解けない魔法7

7


 愛を語る歌声で、劇が終わる。

 消されていた照明が再び灯され、人々は物語から現実世界に引き戻された。

 ジャスティーナもその一人で、夢から覚めたように周りを見渡す。そうして隣のイーサンと目が合い、いつの彼ではなく役者のような美形だったため、一瞬驚いてしまった。


「どうかしたか?」


 少し傷ついたような顔をされたので、ジャスティーナは、これはまずいと劇の感想を口にする。


「本当に感動したわ。誘ってくれてありがとう」

「それはよかった。俺も嬉しい」


 心の底からそう思っていたので、浮かべた笑みも自然で、イーサンは安堵したように表情を和らげる。


 その後ジャスティーナはニコラスを待たせるのも悪いと、そのまま真っ直ぐ屋敷へ送ってもらうつもりだった。けれども集まった貴族たちはそれを見逃さなかった。

 歌劇場は、観劇する場所が中心だが、その隣には社交の場が設けられえていた。軽い食事とワインを含んだ飲み物が用意されており、ジャスティーナたちは押されるようして引き込まれる。

 観劇は夫婦又は恋人同士でするものだと彼女は思い込んでいた。しかし女性だけや、その親兄弟を同伴して楽しむ人々も多く、ジャスティーナという婚約者がいるにもかかわらず、イーサンは熱い視線を向ける令嬢たちに包囲されていた。

 戸惑っているのはジャスティーナにもわかるが、鼻の下を伸ばしているようにも見えて、苛立ちが募る。

 そうして彼女がハンズベル伯爵と話をしている間に、イーサンは彼女から離れ、別の女性の群れに連れて行かれてしまった。


 ――どういうこと?


 伯爵との話を打ち切り、追いかけようとしたのだが、足を止める。

 顔を変えたイーサンは本当に別人のようだった。

 奥手で、触れてくる時もわざわざ確認するような彼だったのに、挨拶に過ぎないが、その手に口づけをしたり、わなわなとジャスティーナの中で怒りが溜まっていく。

 けれども、顔を変えた今の彼には、その行動が自然でとても似合っていた。

 なので、膨らんだ怒りはあっという間に小さくなり、疑問が沸き起こる。


 ――あれは、誰なの?イーサン様?私に優しさを教えてくれたイーサン様なの?


 彼の行動を見ていると、まるで元婚約者のシュリンプのようで、ジャスティーナは彼を目で追うことが辛くなり、落ち着こうと飲み物を取りにいく。


「これは、これはホッパー男爵令嬢。こんなところでどうしたんです?」

「……ニコラス?」


 髪色が違ったが、料理人であり、庭師であり、御者でもある彼が、貴族の身なりをして隣に立っていた。


「モリーに頼まれたんですよ。まったく、本当。旦那様には困ってしまいますね。モリーが知ったら、一発殴ってそうです。そういう俺も同じ気持ちですが。こちらでお待ち下さい。すぐに連れてきますから」


 ニコラスは片目をつぶって口角を少し上げると、優雅に女性たちの群れに飛び込んでいった。

 程なくして、顔色を変えたイーサンが戻ってきて、ジャスティーナはニコラスがなんといって連れ戻したか気になる。

 しかし彼はその答えを言わないまま、先に馬車で待っていると伝え、二人をその場に残した。気まずい雰囲気が流れるがそれを壊したのはイーサンであった。


「あの、悪かった。でもそういうことじゃないんだ。なんだか断れなくて」


 ――怒っているとでも、ニコラスが言ったのね。確かにそうだけど。断れないって

すごい手慣れている感じだったけど。


 いろいろ思うところがあったが、イーサンはしどろもどろで、ジャスティーナはおかしくなって令嬢らしからぬ笑い声をあげたくなった。 

 このままだと大きな笑い声をあげてしまうと、彼女はイーサンの腕に自分の腕を絡めると、逃げるようにその場を後にした。


 歌劇場を出ると、ニコラスが御者の格好に戻り待っていた。目を瞬かせたが、イーサンにも勧められジャスティーナは馬車に乗り込む。

 動き出した馬車の中で、最初に口を開いたのは彼女だった。


「イーサン様。今日はとても楽しかったわ」

「そうか。よかった」


 ――でも他の女性にデレデレするのはやめてほしかったけど。


 ジャスティーナはそう言いたかったが、気分が良さそうな彼に水を差すようで、控える。それでも確かめなければとある疑問を口にする。


「イーサン様、今日ものすごく手慣れている感じだったわ。歌劇場に来たことがあるの?」

「すごい手慣れている?歌劇場に来たのは初めてだ。もちろん、観劇も」

「自分では気がつかないのね。やはり薬のせいかしら?」


 ――イーサン様はまるで別人のように振舞っていた。薬の作用としか思えないわ。


 ジャスティーナの声は小さくて、彼には届かなかったようだ。首を傾げて、彼女を見ていた。


「イーサン様。薬を飲んだあなたは顔だけじゃなくて、その振る舞いも別人のようなの。だから、私は心配で」


 正直な話、薬を飲んで社交の場に出る彼はまるでシュリンプのようで、ジャスティーナは好きじゃなかった。

 心配というのは本当に気持ちではない。

 彼の体調には問題がないのだから。


「あの、私はあなたに薬を使ってほしくないの」


 彼女の言葉に、イーサンは不快感をそのまま表す。

 美しい顔が歪み、ジャスティーナの鼓動が早まる。


「ジャスティーナ。俺は普通の男として、あなたと出かけたいんだ。今日は悪かった。もう女性の誘いに乗ったりしない。だから、また一緒に出かけてほしい」


 薬を飲んで、とは付け加えていない。

 しかし、それは薬を使って姿を変えた彼と一緒にという、意味に間違いなかった。


「イーサン様……」


 ――元の彼に戻ってほしい、元の彼と出かけたい。


 ジャスティーナはそう言いたかった。けれども、一度夜会で失敗している話を聞いているので、そんなこと言えるはずがなかった。


「ええ」


 なので彼女は小さくそう答えるしかできなかった。


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