解けない魔法6
翌朝、戻ってきたモリーを待っていたジャスティーナは、ハンクの言葉を聞かされ、胸を痛めた。
頭に浮かんだのは破かれた「蜥蜴の王子様」の絵本だ。
なので、彼が喜んでくれればいいと、明日の観劇は心から楽しもうと決める。
そうであれば、明日出かけることを母、そして父に伝えることにした。
その時に、やんわりといわゆる「呪い」は解けていないと説明し、イーサンに余計なことを言わないように釘をさす。
一ヶ月前まであれこと、口うるさい父であったが、彼は娘の言葉に素直に頷き、隣に座る妻に気をつけようなと優しい物言いで同意を求めた。
以前であれば、物言いは強かったのだが、父も母に対して態度が変わりつつあった。母アビゲイルは、父の変化を嬉しそうにしており、娘から見ても可愛らしかった。
そうして二人の関係がよい方向に向かっているようで、ジャスティーナの口元も緩んでしまう。
「ジャスティーナ。新しいドレスを今から作るのは無理でしょ?私のドレスを少しアレンジするわ」
アビゲイルから急遽すばらしい提案がもたらされ、彼女は目頭が熱くなる。マデリーンとモリーの関係が羨ましかったが、こうしてアビゲイルが母親らしい態度で接してくれて、今はモリーに対してそういう意味で妬ましい気持ちを持たなくなっていた。
「お母様。ありがとう」
「イーサン様が惚れ直すような可愛らしいドレスに仕上げましょうね」
モリーも加わり、賑やかに明日の観劇の準備が進められる。
現在、ホッパー家に勤める使用人たちの半分以上が新しい者たちだ。過去のジャスティーナの態度に問題があったとしても、使用人たちの態度は度を越したものであったので、モリーとニコラスが、暗躍したのだ。
ジャスティーナ自身は自分に非があると思っていたので、屋敷を去った使用人たちは「自主退職」の形になっている。
そうして生まれ変わったホッパー家は、ジャスティーナにとって住み心地の良い屋敷になっていた。
☆
翌日の夕方、迎えに来たイーサンは、髪と瞳と同色の漆黒のジュストコールに、中は白銀のジレ。
顔立ちは三日前に見た――美青年。
一瞬見惚れてしまうが、自信溢れる笑みを見せられ、元婚約者のシュリンプを思い出す。
――彼は違う。
彼女が好きになったのは、彼女の外見ではなく、自身の内面と向き合ってくれたイーサンだ。
ジャスティーナは自身に言い聞かせて、足を踏み出した。
「この格好おかしいか?」
先ほど強張った彼女の表情を見て、イーサンはやはり不安になっていたようだ。
「いいえ。とても似合ってるわ」
それは本当に正直な気持ちだった。
似合いすぎて、美青年すぎて、戸惑うくらいだった。
「だったらいいんだが」
イーサンは安堵の息を吐くと彼女に手を差し出す。
その整った顔に躊躇するが、ジャスティーナは意を決して彼の手を取った。
歌劇場にはたくさんの人がいた。
しかし、イーサンとジャスティーナが入ると、しんと静まり返る。人々の視線が二人に集中し、特にイーサンには好奇の目が向けられていた。
おずおずと一人の貴族が彼に近づく。すると時間が動き出したように、再び音が戻った。けれども、人々が自分たちの様子を窺っていることはひしひしと感じた。
「初めまして。ホッパー男爵令嬢。私はウィリアム・ハンズベルです。失礼だと思いましたが、お隣の紳士をご紹介いただけますか?」
初めましてと言われるように、彼女は目の前のウィリアムと面識はない。けれども自身の名が知られていることは珍しいことではない。なので、イーサンのことをここで紹介していいかと、彼を見上げる。
ゆっくりと頷かれ、彼女は息を小さく吸うと口を開いた。
「こちらはイーサン・デイビス男爵ですわ。私の、」
「婚約者です。お初にお目にかかります。ハンズベル伯爵。私はイーサン・デイビスと申します」
――婚約者。
正式に婚約もしてないし、結婚の申し込みもまだだった。
しかし、こうして口に出され、ジャスティーナは嬉しさで舞い上がりそうになった。
けれども喜びに浮かれている暇はなかった。
イーサンが名乗ると、わっと人が寄ってきたのだ
それもそうだろう。
イーサンは昆虫男爵として有名だったのだから。
男性からは興味津々、女性からはその美青年ぶりに惚れ込まれ、次から次へと質問される。あれよあれよと、イーサンは人に囲まれ、ジャスティーナは壁へ追いやられてしまった。
――置いてけぼりだわ。
婚約者発言で嬉しくなったのだが、こうなると寂しい。
けれども、人に囲まれるイーサンは当惑しながらも嬉しそうにしていたので、ジャスティーナは壁の花に徹することにした。
開幕のベルまで話し込み、結局少し遅れて入場することになったのだが、彼が申し訳なさそうだったので、ジャスティーナは何も言うまいと劇に集中した。
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