番外編
悪い使用人
「モリー」
「ニ、ニコラス!」
窓から突如現れたニコラスにモリーは慌てて腕を背中にもっていく。
明らかに腕を隠している様子だったが、彼は素知らぬ振りをして妻の傍に立った。
「今日はどうだった?」
「どうって?」
彼の質問にモリーは動揺している。
「あの、馬鹿女達、何もしてないよね?」
「馬鹿女?」
「あの頭悪そうな女の使用人のことだけど」
「あ、ベティ達ね。相変わらず頭にくるけど、まあ、まあよ」
「まあ、まあ、か」
「そう」
ニコラスはモリーが口ごもっているのがわかっており、ちらりと必死に隠している腕に目をやる。
――大方、また嫌がらせか。
「モリー。あいつらのこと、ジャスティーナ様に首にしてもらったほうがいい。俺は、すっかり首になるって思ったのに」
「ジャス様は、気になさってるのよ。前、ほら、冷たい態度をとったみたいじゃない。だから」
「ああ、でもあいつら、それ以上だろ?」
「まあ、私もそう思うけど。ジャス様が首にしないというのだから、ね」
「モリー。腕を見せて」
「は?」
「腕!」
ニコラスは無理やり彼女の腕をつかむ。
「ちょっとやめてよ!」
モリーの抵抗は無駄なことで、ニコラスは袖をめくり上げ、傷ついた腕を視界にいれた。
「これは?」
「ちょ、ちょっと転んだのよ!」
「どこで?庭?」
「そ、そう中庭よ」
「ふうん、中庭ね。後で薬持ってくるから」
「ニコラス?」
ニコラスは楽しそう、いや不気味な笑みを浮かべ、モリーに背を向ける。
「おとなしく待っていて。薬は、俺が後で塗るから」
慣れた仕草で彼は窓枠を踏み越え、外にでた。そしてふっと消える。
「ニコラス!」
なるべく声を抑えながら、彼女は窓際まで慌てて走り、下を見た。
すると笑顔で手を振る彼の姿が眼下にあってほっとする。
「何か嫌な予感がするんだけど」
彼女は小さくつぶやくがその声は闇に溶け込み、消えていった。
「さあて、お仕置きだな。まったく。俺のモリーを傷をつけるなんて」
彼は首の骨を鳴らす動作を繰り返し、ゆっくりと目的地へ向かう。
ニコラスが忍び込んだのは、女性の使用人達の部屋だ。
ベティ、サマンダは一緒の部屋、その隣にケリーの部屋がある。
「ケリー」
「だ、誰?!」
突然天井裏から現れたニコラスに、彼女は悲鳴を上げそうになる。
それを両手で押さえて、彼は囁く。
「あのさあ、どうしてシンディのお父さんが亡くなったか、知ってる?俺が殺したの。次は君かなあと思ってる。もしもさ、モリーに何かしてごらん。君、お父さんかお母さん、ああ、妹さんがいたよね。誰かと会えなくなるかもよ」
ニコラスの囁きに彼女は縮み上がった。
「このこと、誰かにしゃべっても、同じことが起きるから。覚えといてね。それじゃ、よい夢を!」
言いたい事だけ言うと、ニコラスは彼女から手を離す。そしてまた天井裏に戻った。
取り残されたケリーは、呆然としていたが、ふと床を見ると、父親が愛用していた羽ペンが落ちており、幻じゃないことを悟る。
それを確認して、ニコラスは笑う。
「俺は、いつでも見てるから」
「ひっ!」
天井裏からまた声をして、彼女は隠れるようにベッドに潜り込む。
彼は楽しそうに笑うと、次なる部屋に向かった。
ベティはジャスティーナと同年代、サマンダはモリーと同じ位の年頃の女性だ。
二人は貴重な蝋燭に火をともして、なにやら語っていた。
「あの女。ざまあみろって感じよね。ジャスティーナ様に気に入られているからって、いちいちうるさいわ」
「そうよ。そうよ。今度は何をする?物置に閉じ込めちゃおうか?」
二人の会話を盗み聞きし、ニコラスは足を忍ばせることもなく、天井裏から降りた。
「な!」
「だ!」
大きな足音がして振り返り、ニコラスの姿を目に入れ、二人は口を開きかける。
だが、彼は一気に二人の口をふさぎ、壁に押し付けた。
「煩いなあ」
彼は殺気がこもった目で二人を睨む。
二人は口を塞がれ、涙目でニコラスを見ていた。
「あのさあ、俺、頭にきてるの。さっき、ケリーにも言ったけど、殺されたくなかったら、モリーに何もしないてくれるかな?今度何かしたら、俺何するか、わかんないよ」
彼は表情とは裏腹に優しい声で二人に語りかける。
その差がまた恐怖を煽るようで、ベティのほうが泣き出してしまった。
「ああ、親に言いつけてもだめだから。それとも親御さんのほうがいいかな。シンディのお父さん、なんで死んだか知ってる?」
ニコラスがそうたずねると二人の涙が一気に止まった。
「急でかわいそうだったよねぇ。まあ、だから、わかった?」
二人が頷き、彼はやっと手を放す。
すると糸が切れた人形のように二人は床に座り込んだ。
ニコラスは用事が済んだとばかり、天井裏に再び戻り、そのままモリーの部屋に向かう。
「モリー」
「あ、ニコラス?」
モリーは椅子に座ったまま寝ていて、ニコラスは彼女に後で来ると伝えたことを後悔した。
「遅くなってごめん」
「うん、いいけど。何してたの?」
「ちょっと用事」
「え、ニコラス?」
モリーは急に椅子から持ち上げられ、ぎょっとして声を張り上げる。しかし、真夜中であることを思い出し、口を押さえた。
「可愛いなあ。ああ、ホッパー家の屋敷じゃなきゃなあ」
「な、何よ!」
「さあ、横になって。腕の傷を見せて」
ベッドに彼女をおろし、ニコラスはその腕を取る。そして薬を塗り始めた。
「明日からは大丈夫だから」
「え?どういう」
「モリーはいつも通り、元気でいてくれればいいから」
薬を塗り終わり、ニコラスは彼女の頭をなでる。
「おやすみ」
「うん。おやすみ。ニコラス、ごめんね」
「何、謝ってるの。必要ないよ」
「だけど」
「モリーは考えないでいいの。おやすみ」
「うん」
頷いたモリーにニコラスは口付ける。
すると、彼女は嘘のように眠りについた。
「また怒られるかな。でもゆっくり休んでもらいたいから」
彼は愛しい妻の頭をなで、ブランケットをその身にかけると、何時のように窓から出て行く。
見送る彼女の微笑がないことを残念に思いながらも、彼はデイビス家に急いだ。
翌日から、モリーへの嫌がらせは止み、三人の使用人は彼女の言うことを聞くようになったという。ほかの使用人がその訳をきいても、口を割ることはなかった。
悪い使用人ことニコラスは、デイビス家に仕えるようになってからは人を殺めたことはない。今回はあくまで脅しであって、シンディの父は健在だった。引越しをする必要はあったが、たんまりもらった硬貨によって、愛しい娘と幸せな生活を送っているそうだ。
(おしまい)
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