昆虫男爵の苦悩
「ああ、イライラする!」
その夜、モリーは苛立ちを夫のニコラスにぶつけていた。
あの後ピクニックは中止。
イーサンは屋敷に戻り、もう一頭馬を連れてきた。
馬車には乗らず、彼は馬車の後方を馬に乗って屋敷に戻る。
奇行としか言えない行動なのだが、その後も、イーサンは明らかにジャスティーナを避ける行動をとり、夕食は自室、結局ジャスティーナに会おうとしなかった。
ジャスティーナも気が強いように見えて、優しい人柄であることがわかってきていたので、イーサンの行動を責めることも、たずねる事もなく、ただ悲しい表情でベッドに横になった。
寝ることなどできるはずがないのにと、モリーが夜通し彼女に付こうとしたが、やんわり拒否され、今に至る。
「旦那様は何を考えているの!馬鹿じゃないの!」
「モリー!なんてことを。ハンクさんが聞いたらまずいって!」
「いいの!だって馬鹿なものは、馬鹿だもん。明日沼の魔女が来るけど、もう意味ないでしょ?どうする気なのよ!このまま、ホッパー家に返す気なの!」
「モリー。やばいから。落ち着いて!」
「うるさいぞ!静かにしないか!」
必死に宥めていたニコラスだったが、隣にその声が完全に漏れていたらしい。
扉が叩かれ、ハンクの怒鳴り声が聞こえた。
「やべー!ハンクさんだ!怒ってるぞ。モリー謝りなよ!」
扉をガンガンと叩く音。
顔を青ざめているニコラスに対し、モリーは全く恐れている様子はない。
「ふん!」
怒りまま、彼女は扉を開けた。
「お父さん!お父さんからも何か言ってよ!」
「モリー!」
部屋の外に立っているのは父だけではく、母のマデリーンも一緒で、急遽第二回「ジャスティーナ様を旦那様の妻にする会」が開かれる事になった。
☆
何か言いたげそうなハンクを早々と追い出し、イーサンは一人書斎に引きこもった。
ハンクを始め使用人達の視線が煩わしく、彼は一人になりたかった。
元に戻ったジャスティーナの美しさは予想以上で、自分の顔がどんなに化け物なのかと思い知らされた。そうして彼女の顔が見たくなくて、子供みたいに避け続け、今に至る。
彼女が嫌いなったわけではない。
ただあの美しい彼女の横に並ぶ、自身が嫌なのだ。
書斎でかすかな明かりを元に何か本でも読もうかと思ったが、文字を追っていても頭に入るわけもなく、イーサンは中庭に出ることにした。
静まり返った屋敷内を歩き、中庭にたどり着く
長いすに腰を下ろし、空を見上げる。
雲ひとつなく、澄み切った夜空。
無数の星が瞬いている。
彼女のはにかんだ笑顔、美しい顔になってもあの笑顔は変わらないでほしい。そんなどうでもいいことを考えてしまう。
ジャスティーナが屋敷にやってきてから、彼の生活は文字通り華やいだ。
元からにぎやかな使用人達のおかげで、屋敷全体が淀むことはなかったが、彼女が来てから、まるで春の訪れのように、毎日心が弾んだ。
彼女の声、笑い声。
それはイーサンの心を癒し、暖めた。
その感情が恋であり、愛であることの気がつくのは早かった。
沼の魔女が来ると聞き及び、彼女に話すのが怖かった。しかし、イーサンは元に戻ることが彼女のためだと信じ話した。
ホッパー家に戻っても、この屋敷のことを明るい思い出にしてほしいと、全員でのピクニックを思いついた。
単に彼女と二人っきりになり、余計なことを言いそうになるのが怖かったこともあるのだが。
現に彼女が寝てしまい、その寝顔を見ていると邪な考えがよぎった。
口付けによって呪いが解ける美しいお姫様。
まさにその通りで、彼女は美しい姿に戻った。
昆虫のような男の口付けであったが、彼女は元に戻った。
喜ぶべきなのだろう。
己が夢にみていた光景、それが目の前で展開され、元に戻ったのはお姫様だった。
わかりきっていたこと。
お姫様はとても美しく、化け物のような彼自身にはふさわしくない。
イーサンは、あの青い瞳に禍々しい自身の姿が映るのが嫌であったし、それによって彼女の態度が変わっていくのが怖かった。
――これでいい。彼女はこのまま、ホッパー家に戻る。俺のことなど、忘れてしまって。
このように逃げるような態度は卑怯だと思ったが、彼女には自分のような醜い男の思い出などいらない。
イーサンはそう考え、深い溜息をついた。
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