呪いが解ける時

「イーサン。いい子を捕まえたのう」

「何を言っているんですか!」


 魔法具の受け渡しのため、イーサンは書斎にメーガンを連れてきていた。

 ハンクは壁際に立ち、二人のやりとりをただ黙って聞いている。

 メーガンは二十代に見えるが、実際の年は不明だ。明らかに人の寿命を超えた存在であるのは確か。

 ハンクが生まれて六十年。彼が物心ついた時から、この魔女は屋敷に通っていた。しかも今と同じ二十代の美女姿だ。

 ハンクはイーサンの父の代から執事になり、魔女と言葉を交わすようになった。しかし、その独特の雰囲気に飲まれ、自然と主人と魔女の会話は邪魔をせず、控えるようにしていた。

 メーガンは空の魔法具を袋から取り出し、代わりに魔力が詰まった魔法具を入れていく。

 

「メーガン様。冗談にも程があります」

「冗談。本当にわかっておらぬな。困ったものだ。なあ、ハンク。おぬしもそう思うじゃろうて」

「はい。その通りでございます」


 メーガンの問いにハンクが頷き、イーサンは苦笑するしかない。


「まあ。イーサン。頑張るのじゃよ」


 魔法具を回収すると、魔女はどこに力があったのかと思うほど、力強くイーサンの肩を叩いた。

 そして悪気がない彼女は、軽やかに笑いながら、屋敷に後にする。

 外門まで送り、その背中を見ながら、イーサンはメーガンが呼ぶという沼の魔女のことを考えた。

 

 ーー来てほしくないと思う俺は、最低だな。


 森の魔女はあのように話していたが、基本的に彼女は人を害するようなことは好まない。だから、沼の魔女がジャスティーナを傷つけることはないはずだ。だからこそ、沼の魔女が来た時は、呪いが完全に解ける時であり、別れの時である。

 

 ーーおそらく数日。もしかしたら明日かもしれない。だから、できる限り彼女のことを記憶に刻み付けよう。


 イーサンは昨晩のように逃げることをやめ、彼女が屋敷から出ていくまで、少しでも彼女と穏やかに過ごそうと決めた。


   ☆

 

 森の魔女の手により、沼の魔女との面会がそのうち実現する。

 そう決まってから、イーサンの態度が変わったように思えた。

 ジャスティーナに対して、ぎこちなかったがよく微笑みを向け、気がつくと優しい眼差しで見つめられていた。

 

 その度に顔が赤くなり、ジャスティーナは俯いてしまう。


 湖に再び遠乗りする際は、また馬に乗せてもらい、彼に身を預けて進むのだが、彼に触れられた部分が熱くなったり、彼女は自身の気持ちを持て余していた。


 初めての印象は恐怖。

 薄暗い森に現れた昆虫男爵。

 けれども彼は、ジャスティーナの変わってしまった顔を蔑むわけではなく、ただ「面白い顔」と称し、彼女の心を救ってくれた。


 彼と話す度、そのぎこちない笑顔を見る度、ジャスティーナの中で気持ちが育っていく。それは、とても暖かくて不思議な感情だった。


「明日、沼の魔女が?」


 三日後、いよいよその日がやってきた。

 少し顔を強張らせ、元気がなさげのイーサンから、沼の魔女が明日来ることを伝えられる。


「大丈夫?」


 ジャスティーナは彼の体のことが気になり、自然とそう尋ねていた。


「大丈夫だ。それよりも今日は皆でピクニックに行かないか?」

「ピクニック?」


 皆でというのは、モリー達も一緒にという意味で、ジャスティーナ達は屋敷から少し離れたところへ、馬車でピクニックに出かけることになった。

 葡萄酒とサンドイッチを籠いっぱいに詰め、賑やかに馬車で進む。

 モリー達はなぜか最初は同行することに難色をしていたが、最後はイーサンが命令と言い切り、重い腰をあげさせた。

 御者台には、ハンクとニコラスが座っており、車内はジャスティーナとイーサンが隣り合い、その向かいにモリーとマデリーンが座っている。

 モリー達は、同乗することにも反対していたが、これもイーサンが無理やり言いくるめた。


 ジャスティーナは、どうしてイーサンがこうまで無理やり事を進めるのかわからなかった。モリー達も最初は戸惑っていたが、後はジャスティーナを楽しませようと次々と面白い話を披露する。

 そうして、やっと彼女は彼の意図に気がつく。 

 明日は沼の魔女と会う。

 イーサンは多分、呪いが完全に解けると考えていて、これは彼女への送別という意味なのだ。

 そう悟ると、悲しい気持ちが先立ち、ジャスティーナは必死に気持ちを押し殺すしかなかった。


 目的地の少し拓けた平地に到着し、敷物を敷いて、籠一杯に入れてきた果物、サンドイッチを広げる。同席にはどうしても同意せず、モリー達は後で食事をとることになり、ジャスティーナはイーサンと先に食事を始める。

 ニコラスの料理はいつも美味しいのだが、今日は外で食べるということもあってか、格別だった。

 葡萄樹は喉を潤す程度にしか嗜なまないのに、このピクニックが最後だと思うと、寂しい気持ちが溢れ出し、それを誤魔化すために、ジャスティーナはイーサンが止めたにもかかわらず、たくさん飲んでしまった。

 そうすると眠気が出てきて、彼女は気がつくと眠りに落ちていた。

 

 意識が浮上したのは、ここ数日ですっかり耳に慣れてしまった優しい声による。

 

「ジャスティーナ」


 それは彼女を起こそうとして呼んでいるのではなく、一人言のような微かな呼びかけだった。語りかけるように彼の言葉が続く。

 彼に頭を撫でられるのが気持ちよくて、夢心地で彼女は目を閉じたまま、彼の言葉を聴く。


「あなたが屋敷に来てくれて、俺に微笑んでくれる。それだけで、俺は幸せだった。こんな風な気持ちになったのは初めてだ。多分、これが愛するという気持ちなんだと思う」


 ――愛する。


 ジャスティーナの心にその言葉がすとんと落ちる。

 まるで、それは種のように彼女の心の中に根付き、驚き、喜び様々な感情と共に一気に花開いた。


 ――イーサン様


 彼女が目を開けるのと、唇に何か柔らかいものが触れたのは、どちらが先だっただろうか。

 驚いた彼の顔、それから驚愕の表情に変わるイーサンが目に入る。


「イーサン様?」

「口付けで呪いは解けるか」


 彼はすぐに、ジャスティーナから離れる。そして、いつもの声よりずっと低い、諦めたような、とても寂しい声がジャスティーナの耳に届いた。


 ――呪いが解ける?まさか!


 彼女は体を起こし、顔を撫で回す。

 顔の大きさが元に戻っていた。髪もカサついた黄色から、なめらかな金色の髪へ。

 鏡を見なくても、ジャスティーナにはわかった。


「すまない。俺はなんてあなたに酷いことを。詫びをしても許してもらえないとわかっている。ホッパー男爵令嬢」


 彼は顔を背け、ジャスティーナと目を合わそうともせず、詫びを入れる。

 その声は、こちらまで胸が苦しくなりそうな、掠れた声だった。


 ――酷いこと?お詫び?口付けのこと?私はそんなこと思ってないわ


「イーサン様!」

「モリー、マデリーン。ホッパー男爵令嬢のことを頼む。俺は頭を冷やしてくる」


 彼女の呼びかけを無視し、彼は顔を背けたまま、立ち上がる。

 何があったのかと、モリーがまず駆け寄ってきた。


「ジャス様!」


 モリーは彼女の顔を見て、驚きと喜びが混ざった声で名を呼ぶ。

 イーサンは、モリーと入れ替わるように彼女から離れた。


「イーサン様!」


 遠くにいってしまいそうで、彼女は立ち上がると彼を追いかけようした。


「モリー。ホッパー男爵令嬢の世話を頼む。失礼がないように頼めるな。俺は、用事ができた」


 イーサンは、彼女を見ようともせず、ただモリーに命じる。

 鋭い口調で出される命令。

 ジャスではなく、ホッパー男爵令嬢と呼んでいること。

 彼の背中から強い拒絶感を覚えて、ジャスティーナは動きを止めた。

 モリーは、主人と彼女を交互に見ていたが、最終的に主の命令に従う。


「ジャス様。気持ち悪くありませんか?ゆっくり休んでください。なあに、旦那様も気持ちが落ち着いたら戻ってくるはずです」


 後半の台詞はジャスティーナだけに聞かせるためか、小さかった。しかしモリーが安心してくださいと、微笑んだので、彼女はおとなしく再び腰を下ろした。

 視界の端で、ニコラスが馬に鞍を付けている姿を捉える。その作業が終わるとイーサンは馬に乗り、彼女の視界から完全に消えてしまった。

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