森の魔女の来訪

「やはり人の作る食事は美味しいのう」


 ぺろりと赤い舌で唇を舐め、舌鼓を打っているのは、色気たっぷりの美女だ。白い肌に真っ赤な唇、重くないかと心配になるくらい長い睫毛。艶やかな黒髪に、神秘的な黒い瞳。美女が食事をするだけなのだが、何やら目のやり場に困るほど、色気が漂っていた。

 そんな風に女性のジャスティーナすら色気に当てられてどきどきするのだから、イーサンはどうだろうと、思わず横目で彼を窺う。

 しかし彼は興味なさそうな様子で、彼女は胸をなでおろした。

 

 ――えっと、ほっとしている?どうして。

 

 自身の気持ちに戸惑いながら、「客人」であるジャスティーナは動揺を抑え、静かにこの状況を見守ることにした。

 

 この美女、名前はメーガン、森の魔女のメーガンだ。

 

 今朝早く、ジャスティーナは目覚めた。

 すっかりこの屋敷に馴染み、傲慢さが影を潜めた彼女は、朝から呼び出すのもよくないだろうと遠慮して、モリーが来るのを待っていた。

 待つ時間がそれほど必要なく、程なくして、扉が叩かれた。

 入室許可をすぐ出すとモリーがほっとした様子で部屋に入ってくる。


「何かあったの?」


 彼女は明らかに焦っており、ジャスティーナは尋ねる。


「森の魔女メーガン様がジャス様にお会いしたいそうです」


 彼女が広間に行くと、そこにいたのは口元を歪めているイーサン、そして絶世の美女はにこやかにジャスティーナを出迎えた。


「ジャスだったかの?お主、食べないのか?わしがもらってもええか?」


 美女は美女でも、話し方はどこかの老爺のようだった。

 彼女はジャスティーナの前に置かれた切り分けられたハムをじっと見ていた。


「どう、」

「メーガン様!」


 ジャスティーナがどうぞと答えようとしたが、それを遮ったのはイーサンだ。


「怒るな。怒るな。イーサン。わしはとってもお腹がすいているんじゃ。イーサンが女を連れ込んだって聞いて、いてもたってもいられなくて、朝起きたら、すぐ来たからのう」

「メーガン様!」

「つ、連れ込んだ?!」


 とんでもない言い方をされている。

 連れ込んだのではなく、自身がついてきてしまったわけだから、ジャスティーナは誤解を解こうと驚きつつも、口を開く。


「あの、メーガン様。それは誤解なの!森で迷った私をイーサン様が見つけてくれて、家に送ってくれるとおっしゃってくれたのに、無理やりここに連れてきてもらったの」

「無理やり、そんなことはない。俺は、あなたが来てきてくれたことに感謝している」

「か、感謝?」

「そうだ。あなたがいると屋敷内が華やぐ」

「そんなことないわ。モリー達が十分にその役目を果たしているわ。私はお邪魔しているみたいで」

「そんなことは決してない」

「ふふふ。面白いのう」


 美女が含み笑いをして、二人のやりとりを意地悪く見ていた。

 それはメーガンだけじゃなく、モリーやハンクも一緒で、イーサンはしまったとばかり、額を押さえている。

 

 ――あれ?何かおかしなこと言ったかしら?


 ジャスティーナだけは状況がわからず、皆の顔を見渡してしまう。 


「面白い。面白いのう。沼の魔女は何を思ったのか」


 ――沼の魔女?それってもしかして?


 彼女の疑問は、イーサンがまるで心を読んだかのように引き継ぐ。


「沼の魔女とは、ルーベル公爵の魔女のことでしょうか?」

「ふふ。そうだ」


 メーガンは優雅に足を組み直し、険しい顔をしているイーサン、ジャスティーナと対照的に余裕たっぷりだ。葡萄を一粒、さやから引きちぎり口の中に入れる。


「メーガン様。すでに状況はわかっている様子。メーガン様のお考えを聞かせてください」

「考え?考えとは」


 葡萄をゆっくり咀嚼しながら、美女はもったいぶるように聞き返す。

 その態度にイーサンの顔がまた険しくなる。


 ――私のことを相談してもらってる。でもここで私が口を挟んでいいのかしら。


 二人の微妙なやりとりに、ジャスティーナはどうすべきが判断がつかず、ただ耳を傾き続ける。

 いつもは陽気なモリー達も、今日に限っては本来の使用人らしく、言葉を発することはなかった。


「まったく。せっかちだのう。イーサンは。なら、結論だけを言うな。沼の魔女がかけた呪い、どうやら解け始めているようだ。おそらく一週間ほどで、完全に戻るだろう」

「一週間そんなにかかりますか」

「そんなにとはどういう意味じゃな。早く解けてほしいのか?」

「もちろんです」

「ジャス、だったな。ジャスもそう思うか?」

「わ、私は」


 ――私は、解けないでもいいって思ってる。だって、解けたらここを出て行かないといけないから。


 そう答えたかったが、何か怒っているようなイーサンの様子にジャスティーナは言葉を続けられなかった。


「お主は本当に……、鈍感な奴だのう。だが、わしは助けてやるつもりはない」


 ――鈍感?森の魔女は何を言っているの?


「どういう意味ですか?助けてやるつもりはない?ただ呪いが解けるのを待つだけということですか?」


 イーサンも同様に疑問に思ったらしく、聞き返す。

 メーガンは目を細めた後、ゆっくりとした動作で腕を組む。そして、イーサン、ジャスティーナを眺めた。

 美女に微笑みを向けられ、彼女はどう反応していいか、わからない。とりあえず笑顔を作って返してみた。


「ふふふ。そうじゃの。放置したほうが面白そうだが、まあ、ジャスに免じて沼の魔女を呼んでやろう」


 ――沼の魔女。

 

 ルーベル公爵の家でみた彼女の姿を思い出す。今思えばひどい言葉をかけたと、ジャスティーナはあの時のことを反省していた。


 ――お詫びもしてないし。ちょうどいいかもしれないわ。呪いを解いてしまうのか、それとも、むしろ強力な呪いをかけなおされるのか、わからないけど。


「ジャス、ジャス嬢に危害を加えることがないと保証していただけますか?」

「さあのう。わしら魔女は束縛されるのが嫌いじゃ。彼女がジャスに会って何をするかは、彼女の自由だ」

「そんなことはゆるされない」

「ゆるされないか。言うのう。イーサン。それでは沼の魔女は呼べぬ」


 メーガンは軽やかに笑い 一気にイーサンの顔色が変わる。それは明らかに怒りの表情だ。


「怖いのお。昆虫男爵よ」


 怒りをさらに増幅させるような言葉。

 ジャスティーナは、我慢ができず、気がつけば口を挟んでいた。


「森の魔女様。それ以上、イーサン様を怒らせないで。私は、沼の魔女に謝りたいわ。その結果が悪いことになろうとも、構わないわ。イーサン様、またご迷惑をかけるけど、お願いしてもいいかしら」

「迷惑なんてかけられてない!」


 イーサンは、申し訳なさそうなジャスティーナに即答して、その勢いに彼女が少し驚く。彼自身も戸惑っているようで、気まずそうに彼女から視線を外した。


「よく言った。ジャス。わしはお主を気に入ったぞ。沼の魔女は本来悪い奴じゃないのだ。早々にこの屋敷を訪ねるように言ってみようぞ。わかったな。イーサン」

「はい」


 本人が了承しているので、イーサンが反対するわけにもいかなかった。しかし、不承不承という返事だ。


「ありがとうございます」


 自身のために怒ってくれた彼に感謝しつつ、ジャスティーナは森の魔女に礼を言う。

 

 こんな風に人に感謝すること、人の気持ちを推し量ること。

 イーサンの屋敷に来てからできるようになったことだ。

 ジャスティーナは呪いがとけ、あの屋敷に戻ったら、傲慢でわがままな元の自分に戻るのではないかと、不安を覚える。


 ――呪い、私にとって呪いではないわ。むしろよい魔法ね。こんな風に思えるなんて知らなかった。


 けれども、イーサンの手前、そんなことは言えない。

 彼はジャスティーナの呪いがとけ、ホッパー家に戻ることを願っているのだから。


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