彼の渇望、彼女の願望
「ジャス様」
背後から声をかけられ、ジャスティーナは本を隠して、手の甲で涙を拭う。けれどもそれは無駄なことで、大きな溜息をつかれた。
「ジャス様。その本を見つけてしまわれたのですね」
「ごめんなさい。気になってしまって。これは、」
彼女はイーサンが読んでいた本かと聞きそうになって、口を押さえた。
「ジャス様。あなたがご想像される通りです。旦那様は夢を見てらしました。私達がもっと早く、呪いではないことを聞かせるべきでした。亡くなられた大旦那様とシャーロット様の代わりに」
亡くなられた、予想はしていたが、親をすでに失っているイーサンのことを思うと、ジャスティーナの胸がまた痛む。
「大旦那様とシャーロット様が病で亡くなられたのは、もう七年前のことになります。まずシャーロット様がなくなり、後を追うように大旦那様が。本当に仲の良いご夫婦でした」
マデリーンはそうしてイーサンについてジャスティーナに語り始めた。
「夕食は別なのね」
図書室から部屋に戻りしばらくすると、モリーがやってきて、イーサンから仕事が忙しいため、食事は一緒にできないという伝言が伝えられた。
「ジャス様。本当に旦那様はお仕事です。なので、変な誤解をなさらないようにしてくださいませ」
「安心して。わかってるから」
夕食を一緒にできないことは寂しかった。けれども、昼間の破かれた「蜥蜴の王子様」という童話、マデリーンから聞かされた話を考えると、今夜は会わない方がいいかもしれないとも思った。
今彼に会えば同情の眼差しを向けてしまう可能性があるからだ。
両親を十三歳でなくし、使用人達と森にこもるイーサン。己の顔が、呪いによるもので、いつの日か解けると願っていて、それが事実ではないと知った時の彼の動揺と悲しみ、そして怒り。
想像しかできないが、それだけジャスティーナの心が悲鳴をあげる。
「私の呪いはいつしか解け、元の顔に戻る。けれども彼は」
主が不在なのに広間で食事を取るのもおかしく、夕食は部屋に運んで貰った。給仕をするのはモリーだ。
「ジャス様、大丈夫ですか?もしかしてお口に合いませんか?」
「そ、そんなことないわ。美味しいわ。ちょっと考えことをしていて。ごめんなさいね」
ジャスティーナはモリーの問いに慌てて答える。
食事は美味しい。
ニコラスの暖かさを感じるもので、彼女は首を振る。
――折角の料理なのに駄目ね。こんな風に食べたら、ニコラスに悪いわ。
「このスープの味付け、塩加減がちょうどいいわね。パンも柔らかい」
ジャスティーナが急にそんなことを言い始めたので、モリーの方が戸惑っていた。
「お世辞じゃないのよ。ニコラスの料理は本当に美味しいわ。なんていうか気持ちがこもってる感じがするの」
「そうですか?ニコラスが聞けば喜びます!」
お互い無理をしているような、そんな微妙な雰囲気で食事を終える。
モリーが食器を片付け、ジャスティーナだけが部屋に一人。すると静寂が訪れ、またイーサンのことを考えてしまう。
「私は呪いをかけられ、この屋敷にたどり着いた。でも今がとても幸せに思える。あの家にいた時、私はとても寂しくて、いつもイライラしていた。誰も優しくなかった。いえ、顔が変わる前は、お父様は優しかったわね」
ホッパー男爵は、ジャスティーナが成長するにつれ、どんどん優しくなっていった。新しいドレスに、宝石、本以外の彼女が気に入ったものは全て与えてくれた。
反面、なぜか彼女の母親、そして使用人達は彼女が大人になるにつれて、厳しくなっていった気がする。
「厳しい。いえ、そんなものじゃなかったわね。無関心。お母様は、私のことを見てくださらなくなってしまった。使用人達も」
美しい顔から醜い顔に変化し、どん底の気分だった。
けれども今はとても晴やかで、このままこの屋敷にずっといたいと思う。
呪いなんて解けなくても、そんな風まで思えてしまう。
「でもそれは、傲慢なことなのかしら」
呪いが解けなければいい、そう思う彼女の気持ちを知ったら、イーサンは激怒するに違いなかった。彼は、「呪い」が解けてほしかったのだから。
ジャスティーナは布が掛けられている鏡台の前に座り、布を剥ぎ取る。
そして改めて己の顔を見る。
「また、変わってる」
あれほど膨らんでいた頬が、腫れが引くように小さくなっていた。
呪いが解け始めている理由なんて、彼女にはわからない。
けれども、彼女は呪いなど解けなくてもいい、そう思わずにはいられなかった。
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