蜥蜴の王子様
賑やかなお茶会は時間的に昼食になり、ジャスティーナは口から何度も食べ物を噴き出しそうになるくらい、楽しい食事を楽しんだ。
イーサンは、食事中に何度も彼女をじっと見つめることがあり、その度に恥ずかしくなったジャスティーナは視線を逸らした。
――なぜ、恥ずかしいの?顔が醜いから?それはないわ。顔のことは関係ない。
自問してみたが、答えは出ないまま食事はお開きになった。
「俺は仕事があるから、ジャス嬢は図書室でも、」
モリーが食器を片付ける中、イーサンはそう言いかけ、言葉を止める。
「図書室?いいの?」
ジャスティーナは興味のあることでもあったので、その言葉を聞き漏らさず、尋ねた。
「あ、もちろんだ。本は好きなのか?」
すると戸惑いながらも彼は聞き返す。
「ええ。大好き。お父様は私が読書をしようとすると、そんなものは必要ないと言って、あまり本を買い与えてくれなかったの。家にも図書室なんてなかったし。ありがとう。とても嬉しいわ」
「ならよかった。えーと、マデリーン。案内を頼めるか?腰は大丈夫か?」
「もちろん。大丈夫ですとも」
そうしてジャスティーナは広間からマデリーンに案内され、図書室へ向かう。
デイビス家の屋敷は森に囲まれているが、その周りの木々はなぎ倒され、人工的な庭を作り出していた。そのため、木々に邪魔されることなく、午後の日差しが屋敷内に入り込む。
その上平家作りで、屋敷の中心部には中庭が作られていた。
広間からその中庭を通り、図書室に辿り着く。本が日の光で傷まないように、窓のカーテンは閉め切られていた。そうなると室内は暗く、読書には適していない。
閲覧するために、図書室の隣に部屋を設けており、テーブルが一台、椅子が二脚、それから壁側にはすわり心地がよさそうなソファーが置かれていた。
「すごく素敵ね。イーサン様もよく利用するの?」
「そうですね」
マデリーンにはしては珍しく歯切れ悪い返事で、その理由を聞きたかったが、ジャスティーナは口を噤んだ。自身は単なる居候の身、イーサンの個人的な事情に踏み込むことはよくないと思ったからだ。
「さて、どんな本があるのかしら。楽しみだわ」
少しおかしくなった空気を変えようと、ジャスティーナはそう口にして、図書室の中に入る。四方に本棚、それから三段の本棚が四台、縦並びに整列している。
マデリーンは、彼女の邪魔にならないように後ろの方に控えていた。
「マデリーン。時間がかかりそうだから、隣の部屋で待っていて。椅子に座ってね。相当かかるから。お願いよ」
マデリーンなら隣の部屋に行っても、立って待ちそうだと、ジャスティーナは彼女に頼む。
「いえ、私はこちらで」
「だめ。また腰が痛くなったらどうするの?モリー達がおしゃべりに夢中になったら誰が私の手伝いをしてくれるの?」
困ったようにお願いすると、マデリーンは了承して、隣の部屋に歩いていった。
一人になったジャスティーナはゆっくりと部屋を見渡し後、壁の側の本棚から攻めていくことにした。
「歴史、文化、宗教……。どれもまじめな本ばかりね。読めないことはないけれど、もう少し砕いたものがいいわ」
壁から今度は部屋の中心の本棚に目を移し、彼女はある本に引き寄せられた。
何度も手にとられたのだろう。その本だけ、色が薄れていた。
「蜥蜴の王子様?」
誘われるようにして手に取った本のタイトルは、ジャスティーナも知っている童話だ。魔女の呪いによって蜥蜴に姿を変えられた王子が、愛する姫の口付けで元の姿に戻る話。
――魔女の呪い、蜥蜴の姿に変えられた王子。まさか。
胸がきりきりと痛み始めたが、彼女はその本を開いた。
中身も何度も読まれたとわかるくらい、手垢が付いたもの。
ゆっくりと頁を捲って行くが、やはり内容はジャスティーナも知っている童話と同じだった。美しい挿絵も入ったもので、懐かしい気持ちになりながら、彼女は読み進めた。
――お姫様は蜥蜴に請われるまま、恐れることもなく、その口に自らの唇を重ねた。
「ジャス様?」
名を呼ばれ、ジャスティーナは肩を震わせ、その本を閉じた。思わず背中に隠してしまう。
「な、何かしら?」
「何か面白い本でもありましたか?」
「ええ。もうちょっと選んでから、隣の部屋に行くわね。マデリーンは隣の部屋で待っていて」
隠すことなどない。
けれども、この本をジャスティーナが見てしまったことを、イーサンは嫌がるはずだった。もしかしてマデリーンすら、この本の存在を知らないかもしれない。
マデリーンが隣の部屋に戻り、ジャスティーナは再びその本を開く。
最後の場面、蜥蜴がお姫様と口付けをする場面だったはずだ。
その挿絵の部分が無残にも破かれていた。
少し残っている部分――トカゲとお姫様の体の一部が見えることから、最後のその場面であることは間違いなかった。
「イーサン様……」
――「気にするな。俺は血筋でこんな顔だが、あなたは呪いのせいだ。しかも解け始めている。すぐに完全に解ける時がやってくる」――
湖で彼が彼女に聞かせた言葉が呼び起こされる。
イーサンはおそらく、その昆虫のような顔が呪いによるものでいつの日か解けるものだと、信じていた時期があったのだろう。
本には何度も読み込まれた痕があった。
けれどもある時、それが血筋であることを悟り、彼がこの最後の場面の絵を破いた。
彼以外の別の者かもしれない。
が、彼女には彼が破いたとしか思えなかった。
ジャスティーナは、彼の心の闇を知ったつもりだった。そしてその闇は使用人達によって癒されているとも、思っていた。
けれどもきっと彼はずっと傷ついたままだ。
この破かれた本のように。
彼の自虐的な笑み、それを思い出し、気がつくと彼女の瞳から涙が零れる。それは一筋、また一筋と流れ落ち、止まることを知らなかった。
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