森で出会った昆虫男爵
「お、面白い顔ってなによ!あなたなんて、昆虫みたいな顔してるくせに!」
ジャスティーナは己の顔が醜いことを知っていたが、自分より醜い、醜いを超え人間の顔すらしていない男に「面白い」と言われたことに腹を立て、気がつくと言い返していた。
すると男の目が見開かれる。
口がゆっくりと開き、ジャスティーナは怒らせたとすぐに後悔した。
だが、男は怒るどころか、笑い出す。
「な、なにがおかしいのよ!私は、あなたを侮辱したのよ!」
「侮辱?侮辱でもないさ。俺の顔は本当に昆虫に似ている。昆虫男爵と呼ばれるくらいだからな」
「こ、昆虫男爵……?」
それは怪物の類として語られる名前であり、幼少から悪いことをすると昆虫男爵に浚われると母に言われてきた。
まさか、実際に存在した人物だとは思っておらず、ジャスティーナはまじまじと彼を見てしまう。
「珍しいか?」
「ええ。とても。でも面白い顔」
そう答えてしまい、彼女は慌てて口を押さえた。
「あなたもな」
「それは、そうかもしれない」
「面白い」=醜いに置き換えていたのだが、彼の昆虫そっくりの顔を面白いと思ってから、なんだか面白いと言われても不快に感じることがなくなっていた。
しかも初めて今の自分の顔に対して、負の感情を含まない言葉をかけてもらった気がする。
「ありがとう」
顔が変えられてから初めて嬉しい気持ちになり、ジャスティーナは素直にそう礼を述べていた。
「おかしな奴だな」
初めて会った相手、しかもお礼など言われることをしていないので昆虫男爵は口を歪める。
「面白い顔ね。見ていて飽きないわ」
「そうか。そんなこと初めて言われた」
「飽きないわよ。本当。だって、くるくる動く目玉に、微妙に動く口。面白いわ」
「それはあまり嬉しくない表現だな」
「あ、ごめんなさい。そうよね」
ジャスティーナはあまりに不躾だったと素直に謝る。
謝罪などほとんどしない彼女にしては珍しいことで、屋敷の者が知ったら仰天もの。だが彼はそんなことは知らないので、ただ頷き、再び口を開く。
「日が暮れる。屋敷まで送っていこう。いや心配しなくていい。私の屋敷の者に送らせよう」
「や、屋敷。帰りたくないわ。帰ってもどうせ、部屋から出るなって言われて、あのルーベル公爵に謝れって言われるだけだもの」
「ルーベル公爵?もしかしてあなたはホッパー男爵令嬢か?」
「そうよ。そう、あなたも知っているのね。そうよね!魔女を怒らせ呪いをかけられた馬鹿な娘の話なんて面白可笑しく伝えられてるのでしょう!」
彼が事情を知っているという事で、さっきまで感じていた暖かい気持ちが一気の霧散する。
ジャスティーナは踵を返すと歩き出した。
「おい、待て!急に何だ?もう日が暮れ始めている。一人で歩くのは危険だ!」
昆虫男爵は彼女の腕を掴み、まくし立てる。
「離して!あんな家なんて絶対戻らないから!」
「旦那様!」
二人が揉み合っていると、嗄れた声が間に入った。
「何をなさってるんですか!」
現れた老爺はジャスティーナより小柄。けれども背中はピンと伸びて、険しい視線を昆虫男爵に向けていた。
「ハンク。誤解をするな。俺は何もしていない」
「え、誤解!そうよ。私は何もされていないわ。ただ、腕を掴まれて」
「腕を、旦那様。おいたわしい。好いた娘がいないと仰ってましたが、実はいらっしゃったんですね。お嬢様。旦那様は、それはそれは不器用な方で、」
「ハンク!何を言っているんだ」
「そうよ!この、こ、この人とは今さっき会ったばかりなのよ!」
突然、老爺ことハンクがハンカチを取り出し、泣きながら語り始めたので、二人は慌てるしかなかった。
勘違い、誤解だと、二人は懸命に言い返す。
「お二人とも、つもる話はお屋敷でいかがでしょうか?」
ハンクは涙をハンカチでふき取ると、突然に二人に一転してにこやかに問いかけた。
「ハンク!お前」
「屋敷?こ、この方の?」
「そうです。わが主、デイビス男爵の屋敷でごさいます」
ハンクはその格好から、彼の使用人に違いない。
しかし昆虫男爵こと、デイビス男爵は慌てふためいていて、ジャスティーナはおかしくなって笑いがこみ上げてきた。
久しぶり、いや初めて、こんなおかしい気分になったと彼女は声を立てて笑う。
「何がおかしいんだ。いったい」
デイビス男爵――イーサン・デイビスは、ジャスティーナがおかしくたまらないとばかり涙を浮かべて笑い続ける様に、頭を抱えるしかなかった。
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