昆虫男爵の屋敷に招待される。

 イーサン・デイビスの屋敷は木々に守られるように、隠れるように存在していた。

 こうしてハンクに案内されなければ、ジャスティーナは彼の屋敷を見つける事は出来なかっただろう。

 まるで秘密の通路のような小道を通って、外門に辿りつく。


 黒い影が見えたかと思うと、それは大型犬だった。外門の柵から顔を出し、盛んに吠え立てる。ジャスティーナは思わず傍にいたイーサンのジュストコールを掴んでしまった。


「ブロディ!吼えるのはやめろ」


 イーサンが強く命じると黒い犬は吼えるのをやめ、その場に座り込む。


「もう大丈夫だ。すまなかったな」

「え、あの、ごめんなさい。掴んでしまって」


 ジャスティーナは掴んでしまった部分が皺になっていないか気にしながら、手を離す。


「大丈夫だ。気にしなくてもいい」


 イーサンはジャスティーナから離れると、開け放たれた門の前で待っているハンクを追い越し、先に外門を通り抜けた。

 黒い犬は主の後を追い立ち上がる。


「本当、わが主は。せっかくのチャンスなのに」

「ハンク?」

「何でもごさいません。さあ、どうぞ。何か暖かいものを用意させましょう」


 うやうやしく頭を下げられ、彼女は戸惑いながらもハンクの前を通り、昆虫男爵ことイーサン・デイビスの屋敷に足を踏み入れた。



「さあ、どうぞ」


 広間に迎え入れられ、ジャスティーナだけが椅子を勧められる。イーサンは用事があるのか、何なのか、ハンクと屋敷の奥へ消えてしまった。突然一人にされ、不安を覚えながらも、椅子に座っていると、すぐに紅茶が運ばれてきた。


「お嬢様。私はイーサン様に仕えておりますモリーと申します」


 年の頃は恐らく二十代。ジャスティーナよりも少し年上に見える女性だった。白い帽子に髪をすべて入れ、長袖の地味なワンピースに白いエプロンを身につけている。彼女の家の使用人のような洒落っ気はないが、とても優しそうな顔でジャスティーナは好印象を抱いた。


「私は、ジャスよ」


 使用人ごときに名乗る名はないと以前は無視を決め込んでいたはずなのに、彼女はそう答えていた。けれども本名を名乗る勇気はなく、とっさに考えた偽名だ。

 モリーは微笑み、腰をかがめる。


「ジャス様は甘い紅茶がお好みですか?蜂蜜とミルク入りなどいかがでしょうか?」

「頂こうかしら」


 屋敷にいた頃は、高圧的にものを頼んでいたのだが、彼女は人が変わったようにそう答えていた。そんな自分に驚きながらも、心地よく思える。


「どうぞ。おいしいですよ」


 モリーは、紅茶にたっぷりの蜂蜜とミルクをいれ、ゆっくりとかき混ぜた。

 それだけで、何か食欲が刺激されたようで、油断したジャスティーナのお腹がなってしまった。

 彼女は顔を真っ赤にして俯き、両手でお腹を押さえる。よく考えてみれば、屋敷を出てからかなりの時間がたっている。毎日三食、そしてお茶の時間には菓子を食べていた彼女は、お腹を減らしたことがない。時間だから食べる。出されたから食べるという惰性的な生活をしていたからだ。


「ニコラス。夕食の用意はできているんでしょう?早く出して頂戴」


 俯くジャスティーナに何も言わず、モリーは屋敷の奥に向って叫ぶ。


「はいはいさー」

 

 威勢のいい声が聞こえてきて、彼女は恥ずかしさも忘れ、顔を上げてモリーを見た。


「料理をするのは私の夫のニコラスです。ジャス様は鴨などお食べになりますか?」

「鴨、ええ。食べたことはあるわ」


 食事は与えられるもの、そこに好き嫌いはなかった。

 ジャスティーナの答えにモリーは安堵したようで、紅茶を勧める。


「どうぞ。冷めないうちに。すぐに夕食の準備を整えさせますから。まったく、旦那様は何をされているの。お嬢様を待たせるなんて」

「だ、大丈夫よ。私が勝手についてきただけだから。紅茶だけではなく、夕食まで、ありがとう」


 お礼ばかり口に出す自分。

 ジャスティーナは森に入り込んで、いや、イーサンに会ってから自分が自分じゃない感覚に陥っていた。いつもイライラしていて物足らない。そんな気持ちが失せ、なぜか優しい気持ちになっていた。

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