第2話 初のスキルは鑑定ですか?
綿生地で出来た黒衣の衣装を纏う人物は、紫色の三日月が浮かぶ異世界ハードリアスの東の街ソソケットの中心部のある建物の屋根の上にいた。
この世界に携帯電話などという電波を使っての連絡手段はない。伝書鳩に書簡を運ばせるか、伝達を職とする早馬に乗る人が仲介をするというのが連絡手段の主となっている。
「えぇ、やはりゴード陛下の仰る通り、不審な人物は現れました」
喉の潰れたような嗄れた声が、紫色の月の光に反射し、怪しく紺碧色を放つ石に向かって放たれる。
「ならばその者が《勇者に成りうる者》なのでは?」
「そうと決めつけるのはまだ早いかと。この世界の常識も知らぬ者で、ニホンだのイセカイだのと言っておりましたので」
「ニホン、イセカイ……。ワシも聞いたことない単語じゃ」
「陛下でも知らぬ言葉。奴は一体何者なのだ」
「それを見守るのがお主の役目だ。普通の一般人のサーソンよ」
「承知しております」
その言葉を最後に紺碧色の光は消え去り、石には亀裂が入る。
「はやりこの大きさの魔鉄石なら30秒の通信が限界か」
そう呟き、黒衣を纏う男は闇夜に伸びる深い黒の影を歩く。時折、紫色の月光に照らされ覗く顔は彫りは深いが端整である。切れの長い目には、強い意志が見受けられ先ほど通信相手より告げられた普通の一般人からは掛け離れたものと思われた。
黒衣の男性は少しの間、家屋の影が伸びる場所を歩いていたが不意に光の当たる場所に出た。しかし、その時には男性の服装は変化していた。黒衣ではない。
見た目も焦げ茶色の髭を無造作に生やした老年の爺さんに変化しており、目も少し垂れているように思われる。頭の毛はほとんどなく、黒衣は麻のボロ切れのような衣服になっている。
「陛下より勅命を受けてからもう5年。この姿の自分も板に付いてきたような気がする」
サーソンの姿に変化した男は、苦笑気味にそう吐き捨てソソケットの西端に位置する、強風が吹けば今にも崩れてしまいそうなボロ屋が並ぶ通りに消えていった。
* * * *
次の日──。コータは獣臭い室内で目を覚ました。
いや、室内というのは少し違う。頭上よりは荒い鼻息がかかり、時々ヒヒィーンという鳴き声が耳をつんざく。ここは厩舎だ。
銀貨2枚しか持ち合わせていないコータが宿舎から追い出されたところで声をかけてくれた、運び屋を営んでいるライオ。まだ若く見た感じの年齢は20代半ば。黄土色のゆるふわウェーブのかかった髪を風になびかせながら、コータに「どうかしたのですか?」と微笑みかけてくれたのだ。
「おはようございます、コータさん」
「おはようございます、ライオさん」
馬の様子を見に来たのだろう。麻の服を身にまとったライオは、コータと挨拶を交わしてから馬、一頭一頭を撫でていく。
「昨日はありがとうございました」
「いえいえ。それよりもっと砕けた話し方でもいいんですよ?」
「いえ、それは……」
「あ、僕は職業柄砕けた話し方ができなくなってしまったので、僕のことはお構いなく話してくださっていいですからね」
髪と同色の瞳を細め、優しく笑うライオにコータは「は、はい」と答えるしかなかった。
「改めまして。僕はライオット商会のライオです。父が会長で僕はただのヒラです」
厩舎から隣にある自宅に移動し、居間にあるテーブルを挟んで対面で座る。
「お父さんの会社ってことですか。凄いですね。俺は細井幸太です」
「ホソイ・コータさんですか。珍しい名前ですね」
コータの名前を聞いたライオは目を丸くしながら口を開く。
「あの、昨日は急に泊めて頂きありがとうございました」
「いえいえ。本当はこっちに泊めてあげたかったんですけど、ライオット商会の書類とかあるので流石に難しくて。ごめんなさい」
「厩舎でも、本当にありがたかったです」
昨日、ライオに連れられソソケットの南側にあるライオの家に着いた時、出迎えてくれたライオの母に「会長の意見なしで見ず知らずの人を家に泊める訳にはいかないわ!」と言われライオが厩舎に泊めてくれたのだ。
「金もないのに朝ごはんまで用意して頂いて文句の言うところがありませんよ」
食卓に並んでいるのは目玉焼きによく似た卵料理とフランスパンに酷似した焦げ茶色のパン。
「あはは、そう言って頂けるとこちらも嬉しいですよ」
そんな会話をしながら食事を取った。
「あっ、そうだ。今日、することとかあるんですか?」
食器の片付けをしながら、ライオはコータに訊く。
「えっと……。無い、ですね」
「それなら今日、僕の手伝いをしてみる気はないですか?」
「いいんですか!?」
「お給金はほとんど冒険者さんに与えないとなので残らないから、銀貨1枚が限界になっちゃうと思うのですけど」
「ぜ、全然大丈夫です! いいのですか!?」
「僕は人が多い方が嬉しいのでいいですよ」
「なら、お願いします!」
「こんにちは」
今日の仕事が見つかってからしばらくして、ライオとコータは2人でソソケットの中心部で冒険者を待っていた。中心部の待ち合わせにはもってこいと思われる、噴水広場の噴水前。
そこに現れた3人の女性たちが声をかけてくる。
「こんにちは」
その言葉にライオは柔和な表情で答える。
「ライオさん、こちらはの方は?」
水色の髪をポニーテールで結ている少女が訝しげな表情で訊く。
「こちらはコータさんです。コータさん、こちらの方々は冒険者ギルドでローズライトというパーティーを組んでいるセチアさんです。あと右隣の人がアーロさんで、左隣の人がルアさんです」
右隣に立っていた、胸の大きな白銀の髪をなびかせる少女──アーロが会釈気味に頭を下げる。
「はじめまして、私がローズライトのリーダーやってます、セチアです。コータさん、今日はよろしくお願いします」
「は、はぁ……。こちらこそよろしくお願いします」
差し出された手は、女性とは思えないほどに傷だらけだった。擦り傷、切り傷が絶えていないようだった。それに、見た目は女性らしさはあるものの、握手のために触れてみれば筋肉のためか厚く、硬くなっていた。
──世界が違えばこんなにも違うのか。
すっと筋の通った鼻、大きく丸い髪と同色の瞳、長いまつ毛、もちもちとしてそうな頬、ふっくらとした桜色の唇。どこをとっても非の打ち所のない顔立ちをしたセチアを見て、コータはそう思った。
「私がアーロね。前衛をやってるわ」
大きな胸をたゆん、と揺らしながら背中に担ぐ長槍を指さす。
「あたしがルア。魔術師で、後衛をメインでやってます」
桃色の髪が魔法使いらしいとんがり帽子から覗いている。声は小さく、他2人とは少し違い大人しめの印象を受ける。
「見ない顔だけどあなたも冒険者?」
「いえ、俺は……えっと」
コータは自分が何者かを答えるべく悩んだ。昨夜は厩舎の中で、どうして自分がここに居るのかを何時間も考えた。しかし、ハッキリとした答えは出ず、とりあえず明日を生きるために今日を生きようと結論づけた。
そのため、自分が今何者なのかということを全く考えていなかったのだ。
「彼は放浪者とでも言うべきかもしれない。お金も無くて宿屋からも追い出されてたくらいだからね」
「そんな人を信用できるのですか?」
ライオの言葉に疑問を呈したのはセチアだ。だが、セチアの疑問はその通り。無一文でましてや初対面。それを簡単に信じる方が難しい。
「大丈夫。セチアたちは僕の人を見る目は知ってるでしょ?」
「そ、それは……」
ライオの柔和な表情。それが逆にセチアを追い込み、二の句を紡げないようにする。
「文句、ないですよね?」
それに追い打ちをかけるようにライオは、訝しげな表情のセチアに詰め寄る。端麗な顔立ちに、怒りの様子は見受けられない。しかし、セチアは1歩、2歩と後ずさる。これが商人、というものなのかもしれないとコータは思った。
4人はソソケットを発ち、すぐ西側にあるソソケット森林の入口付近で立ち止まる。
「今日はこの辺りで薬草の材料になるソーリア草を集めて欲しいんだ」
「えっと、それって生えてるもの?」
昨日転移してきたばかりのコータにとって、ソーリア草が何で、どんな姿形をしているのかなど知る由もない。言わば、生まれたての赤子にタンポポを集めろ、と命じているようなもの。
「あぁ、コータさんはわからないですよね。ごめんなさい」
おそらく、この世界ではソーリア草は一般常識に含まれるものなのだろう。コータがソーリア草を知らないと言った瞬間のセチアたちの表情は驚きを通り越して呆れる、といったようにも見えたほどだ。
「基本的には生えています。しかし、それをいちいち探すのは中々手間なので、冒険者さんを雇って確実にソーリア草をドロップしてくれるC級モンスターであるスライムを倒してもらいます」
ライオは肩にかけたカバンから緑色の、おおよそタンポポの葉にも見える先端が丸みを帯びてはいるものの、そこに至るまではジグザグとしている葉を取り出した。
「サンプルはこれですね」
その瞬間、コータの頭の中に軽快なサウンドが流れる。コータは不思議に思い、辺りを見渡す。
「ん? どうかされましたか?」
その様子に疑問を抱いたライオはすぐさま問いかける。
「い、いえ。何も」
周りにいるのは、既にスライムの討伐に取り掛かっているセチアたちだけで音楽団の類は見受けられない。
おかしいな、と思った矢先。
【スキル、鑑定Lv1『植物』を獲得しました】
という文字が眼前に現れる。それはまるでゲームのように現れ、読み切るころには何も無かったかのように消え去る。
「先程からぼーっとされているようですけど……」
心配の種は消えないのか、ライオはコータに問いかけ続ける。しかし、コータはそれに答える余裕はなかった。突然現れ、消えたスキル獲得の文字。あまりに突然の出来事過ぎたために理解の類は追いつくはずがない。
「おーい」
問いかけても返事のないコータに、ライオは手にしたままだったソーリア草をコータの眼前で振る。
その時だった。
ソーリア草 状態:良 レア度:1
低級ポーションの元になる薬草。
という表示が、ライオが手にしている草から現れた。
「なに。これ」
理解できない自体から、どうにか逃げ出したくて。コータはそう呟いた。
「どうしたのですか?」
「文字が……。それから文字が出てるんだ」
慌てた口調で、コータはライオの手にあるソーリア草を指さした。
「なんて文字が出てるのですか?」
食い付きが激しいライオに、コータは少し怖さを覚えながらも、表示されている文字を口に出した。瞬間、ライオの表情が変わる。
驚愕、羨望、嫉妬。そのどれもに当てはまるような、ここまでライオが一度も見せてこなかった表情。
「ど、どうしたのですか?」
その様子に、コータは少し声を震わせていた。
「鑑定スキル……ですよね?」
ライオの声音には恨めしそうなものが孕んでいることが読み取れる。それよりも、コータは先ほど表示された文字のことをライオに言い当てられたことが怖かった。そして、同時にこの世界には『スキル』と呼ばれるものが存在することを認識した。
日本に住んでいれば、絶対に触れることのない能力に戸惑いを隠せない。
「羨ましい」
そんなコータをよそに、ライオは心底そう思っているであろう声音でそうこぼす。
「商人にとって鑑定スキルは羨ましいの何物でもないですよ。騙されることもないですし」
かつて、騙されたことがあるような口ぶりでそう告げてからライオはコータを見る。
「これでコータさんもソーリア草を探せますね! 僕はこの辺りを探すので、コータさんはあちら側で探して頂けますか?」
ライオは微笑みながらソソケット森林の入口から少し奥の辺りを指さした。
ソソケット森林の入口付近はモンスターの類は出ないらしく、奥に行けば行くほどに危険度を示すランクは上がるらしい。ソソケット森林の最奥部にあるロック湖周辺は、かなり強敵が出るらしく、中堅冒険者にならなければ攻略は難しいとナセチが説明していたことを思い出したコータは、表情が曇る。
「どうかしたのですか?」
「奥に行って大丈夫ですか? 俺、戦う術を持ってないんですけど」
恐怖を滲ませた表情を浮かべるコータに、ライオは小さく声を洩らして笑う。
「僕って、そんな鬼に見えます? 同じ場所で探してても意味ないので、少しだけ奥に行ってくださいって意味ですよ?」
屈託のない笑顔でそう言われたコータは、自分の考えがいかにひねくれていて、情けないのかを思い知らされたような気がした。
それがまた恥ずかしく、口先を小さく尖らせながら少し奥へと歩いていくのだった。
コータがソソケット森林の入口から少し奥に進んでから、どれくらいの時間が過ぎただろう。
鬱蒼と繁る森林の中は白亜紀に生息していたようなシダ植物やゼンマイが生えており、天高く聳える木々は
その木の根元に目を凝らす。
大きな葉が特徴的な草がよく目に付く。その葉脈は少し紫がかっており、探しているソーリア草と異なっているというのは一目瞭然。
ポイゾ草 状態:劣 レア度:1
解毒剤の元になる薬草。
幾度となくその葉を見ているうちに、鑑定が可能になったらしく、葉脈が紫がかっている薬草がポイゾ草だと理解出来るようになっていた。
まだ1つもソーリア草を発見出来ておらず、少し焦りを覚えていたそんな時だ。
「きゃぁぁぁ」
耳をつんざく金切り声が森林全体に轟いたような、そんな気がした。
その声を聞いたコータは居ても立ってもいられなかった。コータは善人で、困っている人がいれば誰でも助ける。なんて人ではない。自分の利になる可能性を孕むなら助ける。それが零なら助けない。そんな人だ。それならば、何故コータは動いたのか。
それは、聞こえた声があまりに自分の知っている声に酷似していたから。まるで生き写しのようで、少し考えればいるはずがないと理解出来るはずなのに、コータはソソケット森林の奥へと駆けていた。
足にまとわりつくように生えているツタを勢いよく踏みつけ、奥へ、奥へと駆ける。
奥へと進むにつれて地面に含まれる水分が多くなっているのか。踏みしめる大地が緩くなっていき、鼻に届く土の臭いにも湿っぽさが感じられるようになる。
しばらく陽の光と届かないような鬱蒼とした中を走ったところで、眼前に光がこぼれてでいる場所があることに気づく。
コータは
どうやらそこはソソケット森林の中心部辺りらしい。奥にあるロック湖へ行くにしても、入口に戻るにしても、ここはそのちょうど中間地点で、野営ができるほどの広さは確保してある。
木々は1本も生えておらず、恐らくは人の手で切り開かれているのだと理解出来る。
そこに、こんな森林とは似ても似つかない、縁が無さそうな豪華な馬車が何者かに囲まれるようにして止まっていた。
昨日、厩舎に泊めてもらっていたこともあり、コータはこの世界の馬を少しは見知っていた。だが、それでも驚く程にその客車を引く馬の質が高かった。毛並みは、綺麗に揃っており光に反射し光沢があるように見える。
また臭いが、ほとんどない。普通、動物と近い距離に居たならば少なくともその動物特有の獣臭がするもの。しかし、客車を引く馬からはそれがほとんどしない。
「ぐへへ」
その馬車を囲むようにして、どんどんと詰め寄っていく。木槌を片手に持つ、緑の体を持つ生き物が穢い声が零れる。
「お願い、誰か……」
馬を繋ぐ綱をグッと握る行者な男性がか細い声を洩らした。瞬間、緑の体をした生き物の一体が木槌を馬車へと投げつけた。
金色で見るからに豪華な馬車は大きく揺れ、中から甲高い女性の声がする。
それはやはり、コータが憧れた声とよく似ている。
「ゴブリン風情が、許しません!」
震えた声。ガクガクと震わせた脚。身につけた、水色のドレスとは似ても似つかない台詞を吐くも、引けた腰と態度のために威厳が感じられず、緑の生き物──ゴブリンを逆に勢いづかせる。
「サーニャ様、おやめください」
客車の中から顔を覗かせる、40代半ばの女性は先に震えた声をあげた女性を様付けで呼び、ゴブリンに反抗するのを止める。
「やめるわけにはいきません。私は、この国を背負う者なのですから」
一言で現すならば、美しい。それ以外に現しようのないサーニャは、40代半ばと思われる古のヨーロッパに伝わるようなメイド服に身を包む女性に意志のこもった言葉を投げつける。
ドレス姿のサーニャにもちろん武器はない。
対してゴブリンは、おおよそ8体おり、その一体一体が木槌を持っている。
「どうして……」
その様子を見たコータの感想はそれだ。
ゴブリンが女性を襲っている、なんてことは関係ない。ただ水色のドレスに身を包んだ、気の強そうなサーニャの顔が、コータが好きな同じクラスの東雲瑞希と瓜二つなのだ。
声も、目の形も、眉の形も、輪郭も、そのどれをとっても東雲さんとしか言いようがない。
「どうして東雲さんが?」
ゴブリンが瑞希とそっくりのサーニャを追い詰めていく様子を見つめ、コータはそう呟くのだった。
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