異世界冒険記 勇者になんてなりたくなった
リョウ
第1章 渦巻く陰謀
第1話 転移
──こ、ここは?
電車の通りすぎる音、車が走る轟音。子どもの声、隣の家から聞こえる罵声、学校のチャイム。そのどれもが聞こえない、静かな場所で。
細身の男性は意識を覚醒させた。
重い瞼を持ち上げる。そこには透き通るほどの蒼穹が広がっている。すぐ近くにあるような、 永遠の果てにあるような、遠近感すらも狂わせてしまうほどの透明度に男性は思わずため息を零す。
「これが空なのか?」
空なんて、子どもの頃から幾度もなく見てきたもののはずだ。しかし男性は、瞳に映る空に感動を覚えた。それほどまでに、美しい
蒼穹に見とれていた時、不意に耳にザッという音が届いた男性は上を向いていた顔を戻し警戒態勢をとる。
──なんだ?
左右を見渡す。どうやら男性は短い青草が生えた草原のような所にいるようだ。
男性の立っている所からおよそ東の方向には大きな石壁の囲いが見受けられる。
しかし音は止むことなく、段々と近づいてくる。聞こえてくる方角は西。
男性は足元に目をやり、スニーカーを履いていることを確認する。
「いざとなれば逃げるしかない」
ここがどこかも分からない男性が、元いた場所から無闇やたらと動くことは得策とは言えない。だが、見知らぬ脅威によって存在を消されるようなことがあるよりは幾分もいいだろう。
「兄ちゃん、見慣れねぇ格好だけどどっから来たんだ?」
しかし声は、男性が相手を目視出来る距離に来る前に掛けられた。恐怖は残るが、相手が人間であることは理解できた。
──なんだ、人間か。
男性は安堵を覚えたが、その言葉に直ぐに返事をするほど危機管理が薄い人間ではなかった。
「ん? 言葉わかんねぇーか?」
男性が返事をしないことに疑問を覚えた声が届く。
「いや、聞こえてる」
ここで無視を決め込み、あとからトラブルになるのはもっと面倒くさい。そう考えた男性は返事をする。
「それはよかった」
嗄れた声を上げた者の姿が男性の視界に映る。焦げ茶色の髭を無造作に生やした老年の爺さんだ。頭の毛はほとんどなく、毛の養分は髭にいってるらしい。男性の格好を変と言った爺さんは、麻のボロきれを服に
「おじさんは?」
警戒心は欠片も解くことなく男性は訊く。
「ワシか? ワシはサーソンだ」
「サーソン……」
日本に住んでいればあまりに聞きなれない名前に、男性は表情を訝しげにする。
「そうじゃ。ほら、あそこに街が見えてるだろ? あそこに住んどるんじゃ」
「街だったんだ」
石の外壁に囲まれたそこを、隔離施設か何かだと思っていた男性は思わずそんな言葉を零す。
「街に決まってるだろ。おかしなことをいうやつだな」
そんな男性に不審な視線を向けるサーソン。
「すいません。俺、気がついたらここにいて」
「気がついたらって、大陸の極東だぞ?」
サーソンは目を丸くし、男性をマジマジと見る。
「変な格好はもちろんだが、畑仕事や猟をやってるような手じゃねぇーな」
「えぇ、まぁ。そんなことは手伝いでもしたことはないですね」
現代日本にいて畑仕事を手伝うのは田舎に住んでいるものぐらいだろう。ましてや、猟などやったことある人の方が珍しいほどだろう。
「なんと! それじゃあ貴族様か何かですか?」
「貴族? 普通の一般人ですけど」
「お名前の方は?」
男性の言葉だけでは信用出来ないらしく、サーソンは男性に名を求める。
「俺は
「ホソイ・コータさんですか。珍しい名前ですね」
初めのような砕けた話し方では無いが、サーソンの知る貴族に俺のような名前はないのだろう。態度がどこか軽くなった。
「珍しいか?」
「ワシらは聞いた事ないですな」
「そうか」
とりあえずここが日本じゃないことは分かったコータは、どうしてここにいるのかについて思い返した。
* * * *
コータは何の変哲もない、特筆することのない普通の男子高校生だ。少し目にかかる程の前髪を上手に左右に流し、全体的に清潔感があるようにまとめられた黒髪。髪と同色の瞳は少し垂れ気味でやる気が感じられるものでは無い。
そんなコータは明日から夏休みということで、クラスメイトと会うことが無くなる。だから同じクラスで、学校のアイドルと言っても過言ではない
その日の夜、コータはコンビニへと向かった。理由は本当に単純、お腹が空いたからだ。
財布を持ち、スマホにイヤフォンを繋ぎ音楽を聴きながら近所のコンビニへと向かう途中、コータは謎の音を聞いた。抑揚のない一本調子の音は、イヤフォンをしているにも関わらず耳に届いた。不思議に思い、イヤフォンを取ったその瞬間、コータの意識は失われた。
* * * *
──簡単に言えばそうだ。俺はコンビニへ行こうとして、この訳の分からない場所に来たんだ。あぁ、思い出したら腹減ってきたし、明日学校あるし……。
「ここは一体どこなんだ」
「ん? 記憶喪失とかいうやつか?」
「記憶ならバッチリある。俺は細井幸太で、高校3年、日本出身だ」
「コーコー3年とか、ニホンとかよくわからんが、ここはハードリアスだぞ?」
「……異世界ってやつかよ」
場所を聞いたコータは嘆息を零した。コータの知る中でハードリアスなんて地名が日本にあるわけが無い。
「イセカイ? ってことは、コータは違う世界から来たということか?」
「知らんが、そういうことだろ」
自分の置かれている状況を整理し、これからどうやって日本に戻るかを考えなければならないコータにとって、少し興奮気味で話しかけてくるサーソンは鬱陶しい存在でしかない。
「ならちょっとこい」
サーソンは腕を組み、今後を考えているコータの腕を掴み歩き出す。後ろ歩き状態で引っ張られるコータは「は、はなせよ!」と声をあげる。
しかし、サーソンはそれを聞き入れることは無くコータを石の外壁に囲まれた街まで連れていった。
「ここは?」
コータは街の中を見て思わず声洩らした。検問をしている衛兵には、サーソンが何か説明すれば直ぐに通ることが出来た。これから先、日本に帰る為にも生活することは必須になる。その第一歩として街に入れたのは大きい。
「ソソケットという人族の持つ領地で2番目に栄えている街じゃ」
サーソンは背中に担いでいた縄状のカゴを下ろしながら説明する。
「人族ってことはほかの種族もいるってことか?」
「居るっちゃいるが、正直ほとんど関わりはないな」
友好的な種族はいないってことか。コータは胸中でそう吐露する。
「転生者は過去にいたと聞くが、まさか本当にいるなんてな」
「俺だけじゃないんだ」
「あぁ。だが、王都に現れるはずなんだが」
「どうしてか俺はここにいるってわけか?」
「まぁ、そうじゃな」
何から何まで不思議な存在であるコータに、愛想笑いを浮かべるサーソンは、カゴの中から石ころを三つほど取り出す。
「今日会ったのは何かの縁じゃ。その
「魔鉄石?」
サーソンから受け取ったのは、漆黒の石。探せばどこかに落ちてそうな、貴重性の見受けられないそれを怪しむ声を出す。
「そうじゃ。魔力増強や魔法道具生成に役立ったりするんだ」
「魔法なんてあるんですか?」
フィクションの中での存在である魔法。それがあるかもような発言をするサーソンに驚きを隠せないコータ。
「あるに決まっとるじゃろ」
魔法がある世界が常識だと思っているサーソンにとっては、コータの驚きが理解出来ない様子だ。
「そ、そうですか」
「うむ。ということで、換金に行ってくる」
「換金ですか?」
「当たり前だろ。ワシがこれを持っとったところでなんの価値もないんじゃからな」
そう告げたサーソンについてたどり着いたのは、ミセラス製鉄所だった。
入ってきた門から真っ直ぐと北へと進んだ方角にある、木組みの建物で製鉄所感はあまり感じられない。
「いらっしゃい」
中へと入ると、製鉄所とはミスマッチの可愛らしい声が耳に届いた。
「ミセラスちゃん、いつものなんだが」
「あ、はい! 換金ですね!」
店の奥から聞こえてくる元気な声。それからすぐにバタバタバタと駆けるような音がし、店頭に姿を表したのはピンク色の髪をツインテールにした八歳程度の女の子だ。
「この子が店員さん?」
「店員というか店主だぞ?」
「嘘!?」
──八歳で店主だなんて……。異世界、コワイ。
「うぅ、失礼なこと思っちゃってるでしょ?」
何度見ても十歳にも見えないミセラスは、髪と同色の大きく丸い瞳でコータを覗く。
「そんなことは……」
「って、サーソンさん。このお兄さんは誰かな?」「あぁ、こいつはさっき森であったやつだ」
「へぇー、そうなんですか! ということは発掘師とかだったり?」
「発掘師?」
「あれ、違いますか?」
聞き慣れない単語を反芻したコータに、サーソンは厳しい目を向け、
「こいつも発掘師だ」
と告げた。
「やっぱりそうですよね! いやぁ、否定されるから驚きましたよー」
「す、すいません」
どういうわけか分からないが、合わせた方がいいと判断したコータはサーソンさんの調子に合わせる。
「本題なんだが、これと、こいつの持ってる魔鉄石の換金を頼む」
「りょーかい致しましたー!」
元気ハツラツという言葉がぴったり合うと思われるテンションでそう告げたミセラスは、預かった魔鉄石を持って奥の部屋へと戻っていく。
「何歳に見える?」
「ミセラスさんですか?」
「それはそうだろ。ワシの歳を聞いても誰も得しないだろ」
「それはそうですけど。ミセラスさんは見た目的には八歳くらいかなって」
「だろうな。だが、ミセラスちゃんはもうちょいでみそ──いてっ!」
ミセラスの歳を言おうとしたサーソンに、トンカチが飛んでくる。
「こらぁ! またまた失礼なことしてるでしょ?」
「してないって」
「いや、ぜっーたいしてた!」
薄青色のつなぎを着たミセラスが奥からトンカチを拾いにやってくる。
「してないですよ?」
このまま黙っていればいずれは自分にも火の粉が降り注ぐような気がしたコータは、引き攣った笑顔でそう答える。
「ほんとに?」
「ほんとにほんとだってば」
それに乗っかるサーソン。
「今は信じてあげる」
口ではそう言いつつも、表情には信じるのしの字もないのが明らかだった。
「ところで発掘師ってなんなんですか?」
ミセラスが奥に戻ったのを確認してからコータはサーソンに訊く。
「ここから西にあるソソケット森林の南の方で取れる魔鉄石を掘る職業のことじゃ。キツい仕事のわりに給料は今から貰える換金額だけで、割に合わねぇって言われるてる職業だ」
「そうなんですか」
ブラックだな。俺から絶対就職したくねぇよ。
胸中でそう思いながら、コータは「どうして発掘師になったのですか?」と訊く。
「ワシだってなりたくてなったわけじゃない。冒険者になりたかったさ。でも、適正テストに落ちたんだ。で、仕方なくじゃ」
「冒険者、ですか」
「そうじゃ。冒険者ギルドに所属して日々の金を稼ぐって感じだ」
「発掘師と似てますね」
「まぁ、似てるが貰える額と命の掛け具合が全然違う」
サーソンがそう言ったところで、ミセラスが奥から出てくる。
「いつもいつもご苦労さまですっ。えっと、そっちのお兄さんは……」
「幸太です」
「コータさんね。コータさんもこれから換金する時は私のところにきてね」
「は、はぁ」
発掘師になるつもりもないのだけど、などと思いながらも適当な相槌を打つコータ。それを見抜いたのか、ミセラスは「何かあれば、でいいよ」と加える。
さすが店を構えているだけはある。
「はい、それじゃあこっちがサーソンさんの分で銀貨5枚と銅貨8枚ね」
「お、いつもよりちょっと多いな」
「奮発しちゃった」
「違うだろ。ワシが頑張ったんだろ」
「はいはい。せっかく私が可愛く言ってあげたのに」
「もうすぐさんじゅ──いてっ!」
サーソンがミセラスの歳を口にしようとした瞬間、目にも止まらぬ速度でミセラスのチョップがサーソンの脳天に命中する。
「今なにか言った?」
「い、いいえ。言ってません」
「よろしい」
小さい体で爺さんに偉そうにしている様子を傍から見ていたコータは思わず笑いが込み上げてくる。
「何が面白いの?」
ミセラスの冷たい視線が飛んでくる。
「い、いえ。いつもこんな感じなのかなって」
「まぁ、そうかもね。後、はい。これが今日のお給金ね」
そう言ってミセラスはコータに銀貨2枚と銅貨1枚を手渡した。
「たったこれだけって思うかもだけど、頑張ればきっと報われるから」
ミセラスは手のひらに乗った銀貨と銅貨に目を落とすコータにそう告げ、コータの手に自分の手を重ね、銀貨と銅貨を握らせる。
コータに触れたミセラスの手は、女性の手とは思えないほど硬く、薄汚れていた。
「ミセラスさんも頑張ってるんですね」
コータはいつの間にかそんなことを言っていた。その言葉に驚いたのか、ミセラスは幼い顔を赤く染めている。
「こんな手になるまでミセラスさんは仕事頑張ってるんですね」
「し、仕事なんだから普通だよ」
ミセラスはそう言うが、コータが知るのは横領をしたりセクハラをしたりする人がいる日本の社会だ。そりゃあ日本の社会にも真面目に働いてる人も沢山いるだろう。しかし、それらはニュースに取り上げられることも無く、悪い大人達だけが取り上げられていた。それゆえ、コータの中では大人、特に権力のある大人は悪い人ばかりだと思っていたので店主という立場にありながら、真面目に仕事をするミセラスが尊敬に値する人物だと思った。
「普通を当たり間にこなすのがどれだけ難しいか」
そんなコータの言葉を肯定するかのように、サーソンまでもがそんなことを言い出す。
「もぅ」
年相応と言っていいのか分からないが、ミセラスは見た目相応の表情で照れる。
「んじゃ、ワシら行くわ」
「うん。また、ぜひよってね」
その言葉を背に受け、コータとサーソンはミセラス製鉄所を出た。
「ワシは帰るが、コータは大丈夫か?」
「あぁ、大丈夫だろう」
ポケットの中には財布が入っているのが感覚的に理解出来ていた。
コータは財布の中に二千円以上入っていることを覚えていたため、簡単にそう答えることが出来た。
「それじゃあまた困ったことがあればなんでも訊いてくれ」
サーソンは気さくな笑顔を浮かべ、コータに向けて手をあげた。
コータはそれに応えるように軽く手を上げた。
ミセラス製鉄所からさらに中心部へと進んだ所には、露店のような武具屋があったり青果店があったりする。その中の一つにホール宿舎という建物がある。
この世界では木造建築が主であるようで、この建物の例外ではなく木造建築だ。
「宿屋っぽいよな」
独りごち、コータはキィーと音を立てる扉を開ける。中にはコータの腰の高さ程はあるカウンターがあり、その奥には美しい女性が立っている。
「いらっしゃいませ。いつもお疲れ様です。本日はどのようなご要件でしょうか?」
決まり文句のような定型文でコータに問いかける銀髪の美女。たわわに実った二つの果実がかなり目を引く。
「一泊したいのだが」
「はい、それでしたら銀貨5枚ですね」
わざとやっているだろうと思うほどあざとく大きな胸を揺らす受付嬢。
「こ、これじゃあダメか?」
銀貨を2枚しか持っていないコータは少し焦りを見せながら、折りたたみの財布の中から千円札を2枚取り出す。
「これはなんですか?」
「日本のお金だな」
「お金……のような価値は見受けられませんね。これはただの紙くずです」
冷徹な視線を浴びせてくる美女受付嬢は、早く銀貨を、と言わんばかりにコータの顔を見る。
「お、俺、今日この世界に来たばかりで銀貨はまだ2枚しかなくて……」
困ったコータは情に訴えかける方法に出る。しかし、そこは異世界と言えど受付嬢。そのようなもので動かされる情など持ち合わせていない。
「お金のない人に与える宿などありません」
整った顔で無慈悲な言葉を放ち、コータは日の沈みかけたソソケットの街中に放り出される。
「俺、転生初日に野宿ってこと……?」
コータの呟きは街を行き交う誰にも届くことは無く、ただ虚しく虚空に消えていったのだった。
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