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 さすがに、地球人は慌て始めた。

 テレビでは科学者が、危機的状況であると叫んでいた。数学者たちは、衝突が9年後であると断言した。一部の宇宙物理学者たちは、もっと早いはずだと主張し、袋だたきにされた。

 野党の政治家たちは、議会をすぐさま解散し、総選挙を実施するべきだと主張し、マスコミは、「責任は誰にあるのか!」という特番を組み、宗教家は、だから言ったじゃないか、今からでも遅くはありません、懺悔しなさい!、と街頭で叫んでいた。

 次から次へと考案された、地球人に都合のよい宇宙理論によって、何度も計算がやり直された。しかしどの結果をもってしても、衝突の確率は100%だった。彗星は一直線に地球を目指していた。まるで地球に怨みがあるみたいに。あるいは、わが子に駆け寄る母親のように。

 この年、ほとんどの地球人は、約36億光年も先にある星が、なぜ10年も経たないうちに地球にぶつかるのか、何とか理解しようとして議論を繰り返した。これは、あらゆる場を盛り上げる話題となって流行し、この年の地球人は、地球史上もっとも理屈っぽい1年を送った地球人になった、と思う。

 翌年の1月1日、すべてのマスコミのカメラは、宇宙の一点を映し出していた。0:00から1時間以上、それはそこにあった。地球の約100倍もある彗星は、望遠機能のついた報道カメラでも十分に撮影できる距離にいたのだった。宇宙局からの公式発表によって、彗星が地球から20億9999万8988光年先にあることが確認された。宇宙局とは、昨年地球に組織された機関で、本部はニューヨークにあり、一応全人類(ただし英語を理解できる民族に限る)が参加した、国際的な組織だった。初代局長は、グリニッジ天文台のあるイギリスに敬意を表して、イギリス人貴族のアーサー卿が選ばれた。宇宙局の創設と初代局長の名前は、ほとんどの地球人が知っていたが、いつ彗星が地球に衝突するのかは、誰も知らなかった。計算が難しかったからである。

 ちなみに、この年から地球の時間はグリニッジ標準時一つに統一された。いちいち現地時間に換算して報道するのが面倒くさいという、マスコミの圧力に国連が屈したからである。そのため、夜が昼になったり昼が夜になったりという混乱が生じたが、地球の滅亡という一大事に比べれば、もちろん大した出来事ではなかった。

 宇宙局は、衝突の時期について、予測不能であると発表した。どう数値をひねくり回しても、衝突時期を算出する公式が見いだせなかったからである。その数値とは

 1年目:1光年

 2年目:10光年

 3年目:4億光年

 4年目:15億1001光年

で、確かに数学者には難しすぎる数式だった。そして、それ以上に科学者の頭を悩ませたのは、彗星が光速より速く地球に近づいているならば、なぜ、40億光年先の彗星より、20億9999万8988光年先の彗星の方があとから見えたのかということだった。

 これは難しい問題なので、解説を要する。つまり、40億光年先にある彗星とは、その彗星の放った光が40億年かけて地球に到達する距離にあるということである。彗星が光速以下で地球に近づいているならば、1年後に見える彗星の位置は、地球時間の1年を超えることがない。つまり1年経つうちに、0.5光年分移動すれば、39億9999万9999.5光年先に見え、それだけ時間をかけて地球に近づいたのだと言える。しかし、光速より速い場合、例えば1年で3光年分移動すれば、39億9999万9997光年先に姿を現す。この場合、相対性理論によれば、距離が近づくだけでなく、時間も2年分遡っていることになるのである。より近い時間に位置するものの方が、地球から見れば先に見えるはずなのであるから、39億9999万9997光年先にある彗星の方が、40億光年先の彗星より先に見えなければならないのである。なんと面倒くさいことであろうか。いずれにせよ、40億光年先にある彗星よりも、20億9999万8988光年先の彗星の方が、先に発見されていなければおかしいのである。

 この難しい理屈は、今もほとんどの地球人には理解できないので、もちろん宇宙局は発表しなかった。こうした態度が宇宙局に対する不信感を一層強めることになった。

 ただ、ほとんどの地球人は、宇宙局の沈黙は衝突時期を隠しているためだと推測し、地球滅亡は今年中だろうと震え上がった。衝突の確率が100%であることだけは、疑問の余地がなかったからである。

 これから先の1年間の出来事を記述するのは、辛い作業になる。

 地道に生きてきた人々の一部は、死刑になるような犯罪を犯しても、結果オーライとばかりに、犯罪者になった。取り締まりに当たる警察官の一部まで、犯罪に手を染めたのは哀しい出来事だった。

 株で地道に金を稼いでいた人々は、われ先にと売りに出し、株はあっという間に紙くずになってしまった。ただ、上手に売り抜けた人達が湯水のように金を使ったので、地球史上もっとも景気のよい1年になった、と思う。

 恋人たちは、ことごとく結婚式を挙げ、式場がとれなかった恋人たちは、同棲を始め、久々に「同棲時代」がマンガでも映画でも歌でもリバイバルヒットし、フォーク再元年、などというキャッチフレーズが流行ったりした。もっとも、これは地球のごく限られた地域の出来事で、他の地域については知らない。

 芸能人はこぞって恋愛事情を告白し、すべての芸能人に恋人がおり、そのうちの約20%が不倫で、33%が男同士、または女同士であることが分かって、さすが芸能人、と、大いに庶民は納得したのだった。

 そうこうするうちに、彗星は1月1日未明、突如地球と同じ場所に出現し、地球は一瞬にして粉砕される、という噂が立ち始めた。ほとんどの地球人は、戸惑った。未明とは1日の「早朝」のことなのか、「深夜」のことなのか分からなかったからである。一方で、これは宇宙局が密かに流した、正式な計算結果であろうと信じられたので、その結果、地球は1月1日には滅亡していることになってしまった。みんなが信じるものこそ真実なのだ。

 12月31日、すべての地球人は決断を強いられた。娘たちは、最後の夜を恋人と過ごすか、家族と過ごすか、究極の選択を迫られ、それぞれの事情で、それぞれの決断を下したのだった。

 父親は、最後の日が休日であることを重荷に感じ、何しろ身の置き所がなかったので、朝から公園のブランコで時間をやり過ごした。母親は最後の晩餐の準備をすることで、何もかも忘れてしまおうとしていた。

 政治家たちは、もはや本音を隠す必要がなかったので、国民を馬鹿野郎呼ばわりし、マスコミは、ひたすらカメラを、空虚な宇宙に向けるだけだった。

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