(下)
翌年の1月1日は、何事もなく始まった。彗星はついに姿を現さなかった。
すべての地球人は戸惑った。まだ彗星が到達していないという悲観的な意見と、彗星は何らかの理由で消えてしまったのだという楽観的な意見がほぼ半分ずつを占め、ごく少数だが、我々はすでに死んでいて、地球規模で夢を見ているのだという意見が出された。が、本当のところは、誰にも分からなかった。
宇宙局では、解答を求めて日々会議を重ねていた。無能の集団と信じられていた研究者の中の一人が、おずおずと恐るべき仮説を提示した。つまり、我々が見ていたのは過去の彗星の姿だったのではないかというのである。
彗星は、地球が生まれる前に、ここを通過したのだ。その折りに彗星からこぼれた物質が集まって、地球が生まれたのである。その後、彗星は地球から遠ざかり、今も遠ざかり続けているのである。ただ、地球が生まれた瞬間に、彗星を流れる時間と反対の、反時間が地球上では流れ始めた。だから、地球から遠ざかりつつある彗星が、逆に近づいてくるように見えたのだ。
では、なぜ突然見え始めたのか。それはこうだ。波長と振幅が同じで、山と谷の位置が逆の波を重ねるとお互いに打ち消しあって、波の存在そのものがなくなったように見える。時間も(信じられないだろうが)波の一種で、時間と反時間は波長も振幅も同じで相反する波だから、お互いに打ち消しあって見えなかったのだ。ところが、彗星が地球から遠ざかることで、次第に誤差が生じ、地球誕生から46億年後の今、彗星の影響力が少しだけ減少し、その誤差によって、毎年1月1日のある時間だけ見えるようになったのだ。
この仮説が正しいかどうか、誰にも判断できなかった。そのせいで、宇宙局内はしっちゃかめっちゃかになってしまった。この仮説を発表すべきだというもの、発表したって理解できるはずがないのだから無駄だというもの、そんな楽観的な見通しを発表して、もし彗星が激突して地球が滅びたらどうやって責任をとるのか、局長は死んでお詫びするだけの覚悟があるのか、というもの、などなど。要するに、無駄な議論が続いたのである。
翌年の1月1日、地球人は固唾を呑んで宇宙局の発表を待った。今年も彗星が現れなかったのだ。現状分析と、将来の危険性について、当然発表があってしかるべきだと、誰もが思っていたのである。しかし、宇宙局は1年間ずっと混乱しっぱなしだったから、なんら発表すべき材料を持ってはいなかった。
世界中からのプレッシャーと局内の混乱に対して、宇宙局局長のアーサー卿は、一つの決断を下した。自分が全責任を負うから、宇宙局の公式見解を発表したい、というのである。イギリス人らしい、粘り強い説得と、彼の地位がついに宇宙局全体を動かした。
私は最後に、アーサー卿の勇気ある、公式見解を記すことで、この長い記録を終えようと思う。彼の発表は以下の通りである。
「よかった。」
確実なあした @say37
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます