バス停
夜勤明けで帰ってきたアパートのポストには 久しぶりに見る文字と名前の手紙が1通 入っていた。
ただ 苗字が以前と違う事に 封を開けなくても手紙の内容がわかってしまった。
彼女は以前僕と同じ苗字だった。
レストランがしまった後に清掃員として連日の夜勤があけて 帰ってすぐにでも眠ろうと思ってたが
元妻の珍しい手紙と その中身を確認して寝る気も失せた。
ただただ脱力感と自分自身の不甲斐なさに 深いため息が出た。苛立ちも悔しさも感じない。
おもむろに顔を洗い 写った鏡には 無精ヒゲの疲れた男の姿があった。
はぁーと またため息と一緒に無造作にタオルで顔をふく。
テーブルの上のひらいたままの便箋には 「結婚しました」の文字がのぞいていた。
それを横目で通り過ぎ 出窓に腰掛けた。まだらにはえたヒゲをいじりながら 窓から見える景色を呆然と見ていた。
ワンルームの部屋には簡易テーブルと引きっぱなしの布団 そのかたわらに好きな作家の小説と新人発掘のページが開いたままの雑誌 それに古いパソコンがあるだけだ。
僕は30を越えた今も 作家を目指していた。
だけどその情熱も 年月と日々の夜勤疲れで 淡い夢物語になろうとしている。
最年少優秀賞 と飾られた雑誌は もうクタクタになって枕の下に埋もれていた。
僕の唯一のファンであり 支えてくれた人さえ 数年前に離れていった。そしてもう 時々僕の様子を心配して届いてた手紙も コレが最後なんだろう。
僕は何を追っかけていたのだろう。
唯一お気に入りの出窓の手すりに 身を乗せた。
朝の出勤ラッシュはすぎて ゆっくりとした時間が流れる。そう大きくない道沿いのアパート前は 朝や夕方以外は静かで人通りも少ない。
僕がこの出窓がお気に入りなのは静かな景色もいいが 目の前に小さなバス停が見えることだ。
と言っても そんなに利用する人も少ないが 時より3人かけ程度のベンチに現れる子供やその親 若いカップルが目に止まると 勝手に物語の人物に仕立て 聞こえない会話ややり取りを 自分の中で作っていった。
それを小説のネタにしようとしたが 今まで途中で続かなかった。
バス停で見るただ一コマに それ以上の話が作れないでいた。それだけ現実的に僕には 作家に向いてないのだろう。
遠くの森や建物の隙間から見える公園を見回し 部屋に戻ろうとした。
ふとベンチに目をやると老夫婦が腰掛けていた。
今バス停に着いたのか 夫人が手提げからペットボトルのお茶を出した。蓋を開けると隣の主人にトントンと合図した。
主人は無表情で受け取ると 軽く口をつけすぐ 夫人へ手渡した。夫人は少し微笑んでお茶を飲む。
すると 主人はタイミングを見て もう一度受け取り 今度は思い切り飲み夫人へ返した。
夫人はペットボトルのフタをして てさげへ戻した。
ただのお茶のやり取りだが 僕は目が離せなかった。
たった5分ほどの事だ。
だが この老夫婦がものすごくお互いをいたわっているのが分かった。
二人がこの年まで隣で連れ添って 交互にお茶を飲み交わし 揃って出かけバスを待っている。
どこに行くのだろう…それよりこれまでどんな道を歩んで二人はここに居るのだろう。
僕はベンチで肩を合わせ腰掛ける姿の老夫婦に憧れた。
そして美しく見えた。
きっと夫人は自身も喉が渇いてるのに 主人に先に手渡した。
主人はその夫人に気づき最初は軽く口つけ 夫人に返した。その気持ちも分かって夫人は微笑んで先に飲んだ。
終始 無表情の主人だが それを愛おしく思っての笑顔だろう。
言葉を交わすことのないやり取りに 僕は言葉を作って無理に綴っていた事が恥ずかしく思えた。
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