エピローグ
おしまいの間
「あけましておめでとうございます!」
一月一日の朝、元旦。
今日も今日とてやってきた隣人が眠りについていた俺を起こし、寝起きに年明けの挨拶を告げる。
「明けたよ! 年も明けたし夜も明けたよ!」
彼女が開けたカーテンから注いだ柔らかなご来光を浴びて、俺はベッドの上から今年の始まりを言祝いだ。
「ああ……あけましておめでとう。彩芽」
あれから一週間と少し。
彩芽が言葉通りシビュラを殺さなかったために、もうループ現象は起きていなかった。寝て起きて一方通行に日付が進んでいくという当たり前のことが、なんだか少し不思議に感じられる。
俺の日常はまた日常に戻った。了一にあの朝のことを聞いてみたところ、お客さんが来なかったため中止になったと言っていた。どうやら彼女は俺の言うことを聞いてくれたようだった。ホテルを取っていると言っていたし、きっともうシビュラはこの町にはいないのだろう。
変化と言えば彩芽がいることくらいだった。それにしたってループしている間からずっと彼女は俺の部屋の隣にいたのだから、今更変化という感じもしない。ただ、母親と会うわけにはいかないため年の瀬であっても実家に帰れない俺は、当然去年の正月を一人で過ごしていたわけだが、今年は帰省なんてものとは無縁な未来人の彩芽が来ていたから、ずいぶんとにぎやかだったということは記しておこう。
起き上がって携帯電話の日付表示を見れば、律儀にも西暦表示は見慣れたものに数値を一足したものになっていた。
俺は誰に聞かせるわけでもなく呟く。
「新年、か……」
一カ月近くにも渡ったクリスマスを越えて、俺はついに年明けを迎えた。もしかしたら次の年を迎えることはないかもしれないとすら思っていたけれど、そんなこともなくここまでこれたのは素直に喜んでもいいのだろう。
こうして日常に戻ってきた以上、俺は自分の身の振り方を考えなければならないのだけれど、どうしても頭が働かなくて、あれからずっとだらだらとぬるま湯に浸っていた。
鼻歌を歌いながら(勝手に)戸棚からトースターとパンを取り出している彩芽は、さも今思いついたというように提案を俺に告げる。
「ね、初詣行かない!?」
彼女はなにが楽しいのか、この一週間ずっとご機嫌だった。今日は正月ムードもあって一層元気いっぱいで、寝起きの俺は少しついていけてない。
「まあ、悪くないな」
少し遠くならこの時代の彩芽に出会うこともないだろう。実験をすっぽかしたあの日から了一にも会ってないし、せっかくだから呼んでもいい。もし彩芽がこれからもずっとここにいるんだとしたらどうせいつかは了一と顔を合わせることになるだろうし。あいつは結構こっちの都合におかまいなくやってくるからな。
「なによその玉虫色の返事。行きたくないわけ?」
仁王立ちで座る俺を上から見下ろす。それ俺が相手じゃなかったらちょっと威圧的すぎるぞ。半分恫喝だ。
でも、俺はむしろそういう彼女の様子を見つけるたびに、なんとなく慰められている気がしていた。それと同時に罪悪感をも覚える。
ただの俺の日常。
いつも通りで、変わらないまま、ずっと俺は間違いを探している。
「行かせていただきます」
おざなりに吸った空気に虚ろな中身を乗せて、俺は彼女の手を取った。
***
そうと決まれば、そそくさと準備を済ませた俺と彩芽は人のごった返す正月の街に繰り出した。
どうやら彼女は初詣に行く神社に目星をつけていたようで、迷うことなく目的地に向かう。出かけ際に連絡を取った了一は二つ返事で了承して、待ち合わせの予定を取り付けた。去年の正月、彼は、家に親戚がやってくるけれど会いたくもないし親も親戚に会わせたくないから家に居づらい、ということをえらくもっともらしく話していたから、予想通り身の振り方に困っていたのだろう。
了一を呼ぶことについて彩芽は嫌がるかと思って聞いてみたところ、「うん! むしろちょうどいいわ!」と好意的な反応だった。彼女は一応未来の了一のことを話していたから、知り合い(予定)だったりするのかもしれない。
いくらか歩いて着いたのは街の外れにある小さな神社だった。普段は人のいないうらぶれた神社なのだろうけれど、今日に限ってはこんなところでも多くの人が参拝にやってきていた。
「やあ、慎。どこかの誰かが決めた暦が切り替わったことを喜んでいるかい?」
初詣の賑わいのちょうどすぐ外のあたりで、ひねくれたような挨拶をかけてきたのは当然、彼だ。
「了一、お前、もっと素直に生きられないのか」
「僕は十分素直だと思うけどね。ただ多くの人が楽しんでいることが往々にして僕が楽しめることではないというだけさ。とはいえ、挨拶にこだわりはないからね。一応言っておこうか」と、ここまでもったいぶって、ようやく彼は新年のあいさつを口にする。
「あけましておめでとう、慎」
「あけましておめでとう、了一」
ただ型通りの挨拶をするだけでこれだけの前置きが必要だというのが彼の彼らしさなのだろう。とはいえ、俺にとっての「あけましておめでとう」というのが、単純に暦が切り替わったというだけの意味ではないということは確かだった。
その思いを共有することができる人はもうここにはいないのだけれど。
「ところで、そちらが言っていた同行者かい?」
彼は俺の隣の人物に興味を示す。それから、彼はニヤニヤ笑いを強めて俺を見た。彼を誘ったときの反応からなんだか嫌な予感もしていたのだけれど、勘違いをしていそうだった。だが、彼が何も言わないことには反論もできない。もやもやしながら彼の自己紹介を聞いた。
一方の彩芽は普段の様子はどこへやら。確かに彼女は昔随分な人見知りだったけれど、それは今も変わっていないのか。
「纐纈彩芽です。その……うん、です」
「なるほどね。へぇ、よくわかったよ。ありがとう」
彼女に聞いた時の反応は悪くなかったから、誘ってしまったけどこの二人を引き合わせたのは失敗だったかもしれなかった、と今更ながらに考える。
「行こ」
顔合わせを終えて渋い顔をしている彩芽が、俺のコートの裾をつかむ。彼女を先頭にして俺たち三人は石畳を歩き、鳥居をくぐりぬけた。
それから、初詣というけれど、こんな風に順々に決まった作法でお願いを処理していくというのはどちらかというと工場めいている、という了一の話を聞きながら神社に参列し、拝殿し、最後に賽銭を入れ終えて、俺たちは人混みを抜け出した。ただ拝むというだけのことなのに、人が多いというのは大変だ。
目的を達してこれからどうしよう、と俺は二人の顔を見る。すると、彩芽は時間を確認して、一歩後ろに下がる。
「じゃあ、私はこれで……」
「彩芽、なんか用事あるのか?」
聞き返すと、彼女はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに目を輝かせる。
「実はね、今日ここでバイトなの! あれ!」
彼女が指さしたのは参拝を終えた人間が並ぶ社務所。そこにはお守りやら絵馬やらの注文を聞いて忙しそうに働く巫女さんの姿が見える。なるほど。
「今日から三日まで、毎日ちょっとだけだけどね。昔からやってみたいな~って思ってたんだけど機会がなくて」
それで彼女はここに初詣に来ることを決めていたわけだ。最初からバイトの行きがけということだったのだろう。彩芽は「私の巫女服見てから帰ってよね!」と言い残して、手を振りながら神社の奥に入っていった。
「見ていくのかい?」
「まあ、な」
なぜかいつもよりもニヤニヤとした了一は俺の返答に笑いながら頷いた。
***
「そういえば、頼まれてたことがあったんだ。了一へ話しておくようにって」
車通りの多い道の脇を並んで歩く隣の彼に水を向ける。
無事彩芽の衣装チェンジを見ることができた俺は了一とともに神社を出た。
彼と二人で会うというのは実際のところいつ以来なのだろう。前に彼とそんな話をしたこともあった。正月というのはなにをするものなのか、と考えたところで、俺は一つ思いついたのだ。
「なんだい? 君が人からの頼みごとを引き受けるなんて珍しいね。というか僕以外の人間と関わっているのが珍しいのだけれど」
「まあ残念ながら、これを頼まれたのはお前からなんだけどな」
こういうことをいうと、彼は嬉しそうに目に光を灯す。いつもの口調でありながら二割増しに鬱陶しく応えた。
「僕から? こいつは困ったね。僕は記憶を失う実験とかしていたっけ? それとも別の人格でも現れたのかい?」
あの時の伝言を思い出す。
〝もしも君が次の僕に会うことがあったら、落ち着いた時でいい、この話をしてやってくれ。たぶん彼は、退屈しているだろうから〟
彼の言う通り、了一は退屈しているのだろうか。
本当なら、俺がこんな伝言を忘れてしまえるのが一番よかったのだけれど。
事件は終わり、現象は途絶えた。シビュラも、原因が分からなかったとしても年明けを一つの基準としようと言っていたし、新年を迎えたこのタイミングで話すのがきっと一番いいんだろう。
これを了一に話したら、本当の意味で今回の事件を終わらせられると、俺はそう思った。
「少し長い話になるかもしれない。どこか座れるところに入ろう」
そして腰を落ち着けた俺は、これまでの話をした。
彼に事件の話をするのは二度目だったから前よりも整理して話したような気もするし、逆に詳細に話そうと取っ散らかってしまったような気もする。
前回、彼に話したところから先については特に説明が難しかったようにも思う。彼の作戦通り彩芽をつけたこと、彩芽を尋問したこと、彼女が話したこと、シビュラと話したこと、今こうしていること。きっと俺にも思うことがあったということなんだろう。
「ふぅん。なるほどね。僕がそれを僕に。その時の僕は随分楽しかったみたいだね」
事件の顛末を聞いた彼は聞いた言葉を反芻するように頷いた。
しかしその表情は思っていたよりも暗く、なにか憂鬱な出来事に気づいたように沈んだ顔をしていた。途中、それこそ前回彼に話したようなところまでは彼も目を輝かせて聞いていたのに、彩芽の話に入っていったあたりから彼の表情は急速に曇っていった。
彼は一体、なにに気づいたというのだろう。
「僕から言えることは二つ。一つは、申し訳ないけれど、僕はもう君が生きていても死んでいてもどっちでもいいと思っているということ」
最初はあまりにもひどい罵倒をされたように思えて、でもすぐにそうではないことに気がついた。
お前も、そうなのか。
嫌なわけではなくて、きっと嬉しいんだろう。でも、俺にとってそれは、目を逸らしたいと思うに足る一種の絶望だった。
いつから俺はこんなにねじくれてしまったのか。
意味のない問いに応えるものはいない。
彼は自分の分のお代をテーブルに乗せて、彼の言葉になんと返せばいいかわからない俺をそのままに、「楽しかったよ」と席を立った。
最後に、彼は俺のほうを見ることなく「二つ目」と言葉を置いていく。
「――君は、本当に終わったと思うかい?」
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