10-2 信頼する相談


 研究室の暖かく乾いた空気に出迎えられる。

「二十八分の遅刻だ。遠野くん」

 しゃべる時計のように正確な数字。今日はいつもよりいくらか大きく遅刻してしまっていたようだった。

「華さん。今日のお客さんは慎のお友達のようだよ」

「ほ、本当か? 超能力者の知り合いがいたならどうして紹介してくれなかったんだ!?」

 彼女は了一と全く同じの(しかしより過激な)リアクションで詰め寄ってくる。知り合いの超能力者という果てしなく胡散臭い響きに若干たじろぐが、俺は扉の前でぐずぐずしているシビュラを招き入れて、先生の前に差し出した。

 俺が紹介する間もないまま、緒方先生は彼女の手を取る。

「シビュラさん、で間違いないですね? 彼とは知り合いで?」

「ええ、電話で名乗った通りです。彼とは、そうですね、そんなに古い知り合いというわけではないですが」

「さ、とにかく中へどうぞ」

 ぐいぐいと部屋の奥の応接スペースへと引き入れられようとするシビュラがこちらを振り向く不安な視線がよぎる。

 そういえば、俺に話すときも、彼女は随分と口が重かったように思えた。たぶん、人間と関わりあう中でこんな風に頼るようなことが彼女には無かったのだろう。隔絶した存在のくせに、まるで人見知りの女の子が新しいクラスに放り込まれたときのような心細さを感じさせる目が俺を求めていた。

 彼らがいつも通り応接スペースに入ってしまう前に、俺はホスト然とした振る舞いを心掛けつつ、話を切り出す。

「その、今日は二人に相談があってきたんです」

「相談? 実験のはずだろう」

「まあまあ華さん、まずは聞いてみよう。慎がわざわざこんな風に話すんだから」

 了一からフォローももらいつつ、どこから話すべきか迷った俺は今回の話の発端から切り出していくことにした。

「実は――」

 

「なるほど」

 すべてを聞いた緒方先生が眉間に皺を寄せてうなずく。

 俺は自分の記憶の限り、最初に見た夢からこの十周の中で気づいたことも含めて俺とシビュラにあったことを洗いざらいすべて話した。

 途中口が滑ってずいぶんと恥ずかしいことを言ってしまったような気もしないでもないが、彼らは真剣な様子を崩さなかった。シビュラが頬を赤らめていたかもしれないが、暖房のせいだろう。

 終始いつもの笑みを浮かべたままだった了一はさらに笑みを深めて、主導権を取る。

「一つ聞いてもいいかい? 君は二十五日まで行ったループの時、隣人のそれも幼馴染と一緒にいたと言ったね。前に行ったときは空き室だったはずだったけれど」

 彩芽のことを指摘されて、ぎくりとなんだか後ろめたい気持ちになる。

 別に隠していたわけではないのだけれど、シビュラとのことには関係がないと考えて半ば伏せて話していたのだった。

「引っ越してきたんだよ。最近な」

「今朝部屋にいたのも?」

「ああ」

「女性かい?」

「……それは本当に聞く必要があるのか」

 別になんの意味があったわけでもなくちらりとシビュラを見る。会話を注視していた彼女とは当然目が合って首を傾げられる。

 まあ、なにごともないということはいいことだ。

「うん、それはもちろん意味はあるのだけれど、もういいよ。大体わかった」

 相変わらず知ったようなことを言う。

 それから、彼は自分のデスクから立ち上がり、机を回り込んで適当なパイプ椅子に座った俺たちの前へやってきて、思わせぶりに続けた。

「しかし、まさか世界との仲立ちをすることになるとはね。でもそれで終わりじゃないんだろう?」

「え?」

「相談って言っていたじゃないか。君は最終的にはどうしたいんだい?」

「だからシビュラが殺されないように……」

「そうじゃない。慎が、どうしたいのかっていうことさ」

 俺が……?

 そんなことになんの意味があるのか、とっさに思いつくことはなにもない。しかし、彼がわざわざ問うからには必要なことなのだろう。

「俺は……みんなができるだけ悲しまずに元通りの日常を送っていければいいと思ってる」

「みんなが、ね」

 ふっと彼は軽く笑って目をそらし、緒方先生も何か痛ましいものを見たかのように顔を伏せた。

「すまん、なにか変なこと言ったか?」

「いや、いいんだよ。それでいい。慎、君の相談はよくわかった。その上で一つだけ、アドバイスを授けてあげよう」

 通り一遍の説明だけでそんなことを言う彼に、俺とシビュラは絶句するしかなかった。

 まさか、本当にどうすればいいのかわかるというのか?

 実際、猫の手も借りたいような状態で、穴を一つ埋める方針が立つというのならそれに越したことはない。

 彼は勿体ぶるように眼鏡をはずして、ヨレヨレの白衣の胸ポケットにしまいながら、短いお告げを寄越した。

「慎、君は隣に引っ越してきた幼馴染がいると言っていたね。その幼馴染の家を訪ねるといい。ただし、一人でね」


   ***



 アドバイスを聞いた俺とシビュラは狐につままれたような気分で総研棟を後にした。

 元々の予定であった実験は緒方先生が「君らがどうなるかを聞いてからでも遅くはなかろう」といったことでお流れになり、これまでよりは随分早い時間に家に戻れることとなった。

 大学から家に帰る道の上で、俺の相談主は問いかけた。

「彼は、本当に信用できるんでしょうか?」

 彼女が懐疑的になるのももっともだ。

 なにせ彼は自分の言いたいようにアドバイスをしたのち、それに伴う説明を一切行わなかった。

「なぜそうなるんだ? 本当にそれでいいのか?」と聞かれた了一は次のように答えた。

 〝君たちは何度だってやり直すことになるんだろう? だったら別に間違っていたとしても構わないじゃないか〟。

 人死にがかかっていることなのに、彼はまるで面白がっているような、ゲームでもやっているような言い草で、正直なところ気分が良いとは言えなかった。

 でも、少なくとも今回はこちらから頼んだことだし、その気持ちは胸にしまっておいて、俺は慎重な言葉選びで答える。

「少なくともその頭の良さについてだけは間違いなく信用できるはずです。人間性についてはちょっと保証しかねるかもしれないな」

「慎がそういうなら……信じます」

 それから、俺たちは歩きながらこれからの方針について打ち合わせをした。

 ひとまず了一の言うとおりに動くこととし、今日と明日本来なら実験に行くはずの時間に彼女と接触すること、その結果を二十四日に報告することを決めて別れる。

 一人になった帰り道で了一の言ったことについて考えた。

 彼は彩芽と接触しろ、と言った。

 確かに彩芽が引っ越してきたのはちょうど俺がシビュラと会う日であり、この示し合わせは怪しいといえるかもしれない。しかし、実際には俺がシビュラと会ったのは彩芽との再会の後であるし、それこそ未来視でもできなければそれを見越してやってくることなどできないはずだ。ましてや引っ越しなんて一日ですぐできることでもない。

 ただ、もう一つ見逃せないのは唯一二十五日を迎えたループで、俺は彩芽と一緒にいたということだ。それに俺がループに巻き込まれている理由もわからない以上、彼女がそうでないと確信できるわけではないのだ。

「結局、俺なんかが考えてわかるわけがないか……」

 そもそも了一は彩芽が犯人だといったというわけじゃない。といったんだ。情報が足りないし、引っ越してきた理由が不明だから探りを入れてみろとかその程度のことだったのかもしれない。むしろそうであれば彼が説明をしなかった理由に筋が通るし、可能性のほうが高いのではないのか?

「ひとまず、やってみるしかないというわけだ」

 ひとりごちた時にはもう、俺の住むアパートは目前に迫っていた。



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