10-1 高揚なる手助け


 目を覚ました俺は、ベッドから飛び起きる。

「くそっ!」

 時計が示す日付は二十二日。悪態をつくしかなかった。

 〆られる寸前の鶏のようにみっともなく着替えを済ませる。なかなかうまく結べない靴紐にいら立ちをぶつけながら、バタバタと暴れるように靴を履いて、部屋を出た。

 こうなるような予感はしていたのにどうして俺はうなずいてしまったのかという自責の念が胸の内をぐるぐると渦巻いて、俺は目の前に開かれた扉に気が付かなかった。

 ガツン! と隣の部屋の扉が、飛び出るように部屋を出た俺の前に立ちふさがった。

 扉の裏から彩芽が素っ頓狂な声を上げる。

「あっ! えっ……! 大丈夫!?」

 どうやら彩芽が部屋から出てきたところに鉢合わせたようだった。完全に頭から抜けていたけど、そういうスケジュールだったな。

 だが、今は彼女を相手にしている余裕がない。

「すまん。後でな」

「は!? ちょっと!」

 近所迷惑になりそうな幼馴染の大声を背後に聞きながら、狭い廊下をすり抜けて、俺は夢の中でついさっきしたように一足とびに階段を下りていった。


 向う見ずに走ることができたのは世界が終わるまで。

 この世界で生きていく必要のある俺は慎重にあの日見た道のりを急ぎ足に歩いた。

 逸る足を抑えながら、ぐるぐると悔恨の思いが胸をかき混ぜる。

 こんなことになるならちゃんと見送るべきだったと後悔してももう何十億年と遅い。それこそビギナーの俺が取り乱したところで意味はないのだろうけれど、シビュラの死に目を見た時の急き立てるような罪悪感には、何度やったところで慣れることができる気がしなかった。

 俺はただ――

 待ち合わせ場所の交差点でを曲がる俺の胸に、ドン、と一人の人間がぶつかる。

「慎!」

「……っ……!」

 初めて会った場所で初めて会ったあの時のように、煌めく白髪をたなびかせて、彼女はそこにいる。

 俺はいつの間にか、胸の中にシビュラを抱きすくめていた。

「し、慎……!?」

「よかった……」

 あんなふうに世界は終わっても、こんな風に非日常が続いても、それでも今が地続きであるという事実に俺は安堵する。

 そうやって気が緩んでいたせいかもしれない。いや、そのせいにしてしまえばいいという心理が働いたのだろうか。なにを考えるよりも先に身体が動いてしまっていた。

 抱きしめられたシビュラはたおやかに背中へ両腕を回し、母親が子供の不安を収めるようにポンポンと優しく背中を叩いてくれていた。


「…………すまん」

 熱に浮かされたようにここまでやってきて、行き場をなくした不安感からシビュラを突然抱きしめてしまうという暴挙に出た後、我に返った俺は恥ずかしさに彼女の顔が直視できなかった。

 消えてなくなってしまいたい……。

 最後の方もうシビュラが母親みたいになっていたし、完全に甘やかされてしまっていた。

 実年齢からしたら当然といえば当然なのかもしれないし、彼女からしたらみんな子供みたいなものなのかもしれないけど。

 こちらとしてはもう目も合わせられないような感じなのに、彼女の表情をうかがってみれば上機嫌にニコニコと微笑んでいる。

「ちゃんと会えてよかった。こんな風に待ち合わせるなんて初めてだったから。」

 なにも気にしていない風なのはなおのこといたたまれない。

「会えないなんてことはないだろ。実質的にはさっきの今だし」

「慎の体感としてはそうなのね。私は一回世界をやり直してきているから」

 そうか。俺としてはこのクリスマスをループしているようだけれど、彼女からしてみればゲームを最初からやり直しているようなものなのか。

「それに、あなたがやめてしまうという可能性もあったから」

「そんなことするわけないだろ」

「よしんばそうだったとしても、あなたにはその選択肢を捨ててほしくはないんです」

 彼女の赤い瞳が懇願するように視線を作る。

 たぶん、シビュラは怖いのだ。俺のような普通の人間をこの神のゲームに巻き込むことが。そして、その中で俺がこわれてしまうんじゃないかということが。

 すでに記憶にある限り三回、俺はクリスマスをやり直している。今はまだいつも通り過ごすことができているけれど、どういうわけかリセットされる世界の記憶を保持したままの俺が百回千回と繰り返せばいつまで正気でいられるかはわからない。

 でも、わかったんだ。

 ついさっき頭を刈り取られたシビュラの死体を目の当たりにした時、はっきりと形を伴った自分の気持ちを共に見た。

 俺はただ――シビュラに死んでほしくないんだ。

「いいから、行こうぜ」

 気恥ずかしくってまだ彼女の顔は見られないけれど、それでも一緒に初めて会った時と同じように並んで歩いていく。


     三


 なんて格好つけたものの。

「どうすりゃいいんだ……」

 また、俺とシビュラは待ち合わせ場所の交差点で二人顔を合わせていた。

 もうこうして待ち合わせるのは七回目。

 シビュラから話を聞く前のループを合わせれば通算十回のクリスマスを俺は過ごしていた。

 日数にして一か月、もう街中でクリスマスソングを聞くのにもうんざりしてきた。

「十回やり直してもヒントの一つもつかめないなんて……」

 ベテランのはずのシビュラもこころなしか憂鬱そうな表情を浮かべている。

 この七回のループを経ても、得られた情報は最初の三回から比べても大して変わらなかった。

 七回とも殺されたのは三日目、つまり二十四日の夜。二十五日を迎えられたのはシビュラが俺の部屋にやってきたあの時のみだった。

 殺し方にはいくらかバリエーションがあったが、警察でもない俺が死の直後の数分で分かることなんて狙撃や毒殺など殺すための準備を周到にしていることくらいだった。

 沈鬱な雰囲気の中、シビュラは囁くように言葉を吐いた。

「もしかしたら、私とあなたが一緒にいることが悪いのかもしれないわね……」

 クリスマスイヴを越えられたのは俺と彼女が一緒にいなかったあのループだけだった。しかし、だからと言って俺と彼女が一緒にいるから殺される理由なんて思いつくわけもない。

 それも含めて、

「そろそろ限界かもしれないな……」

 ブロック塀に身を預けて、俺は灰色の空を見上げながらつぶやく。自分に言い聞かせるように。

 でもシビュラはそんな風にはとらえなかったようだった。ギギギと錆びた歯車が回る音が聞こえそうな動きで彼女は俺を見る。

「……そうよね。もう十回だものね」

 まるで納得しているみたいにしているものの、彼女の瞳は正直な心を物語っていた。赤い瞳が心細く揺れる。

「そうじゃねえよ。限界っていうのは俺の力が限界っていうだけだ」

「だから、もう諦めるってことでしょう?」

「違う。誰かに相談してみないかってことだよ」

「誰かに……?」

 そんなこと考えたことさえなかったという表情。

 それはそうか。だって彼女はたった一人世界の興亡を眺める唯一の絶対者であり、俺に会うまでは自分の立場を共有することなんてなかったわけだからな。

 シビュラは少しの間黙りこくっていたが、再び俺を見る。

「でも、当てはあるの?」

 もちろん。その質問は装丁済みだ。

 俺の知り合いかつ今すぐに会うことができて、なおかつシビュラの話を大真面目に聞いてくれるだろう人物。

「ああ。シビュラも知っているはずだぜ?」


    ***


「やあ、今朝は一層寒いね。慎、身体の調子はどうだい?」

 総研棟の自動ドアの前でぼうっと空を見上げていた白衣の男が俺たちを出迎える。

 もうこの言葉を聞くのも何回目になるだろう。できるだけ過去と変わらないようにするため、俺とシビュラは必ずこの実験にはやってきていただが、出迎える彼の挨拶は大抵同じような文言だった。

 聞き飽きた挨拶に受け答えながら、しかし今回は傍らのシビュラは緊張した面持ちで了一に相対していた。

「シビュラさんで間違いないですか?」

「ええ。お招きいただいたシビュラです」

 そうやっていつもと同じ会話を交わして、けれどそのあと、彼はさらに続けた。

「しかし、慎、こんな逸材が近くにいたならもっと早く紹介してくれればよかったのに」

「え?」

「君と彼女は随分親しいように見える。少なくともしばらく前から付き合いがあるのだろう?」

「どうしてわかる」

「見てればわかるさ」

 まったく、こいつときたら油断も隙もない。

 俺は友人への信頼を少し深めて、シビュラの手に軽く触れた。

「上に行ったら話すよ。緒方さんにも言わなきゃいけないからな」


 水谷了一。

 彼は白波大付属高校の二年生であり、「超」がつくほど「超」がつくものの好きなオカルトマニアであり、そして、俺の友人だった。

 彼と出会ったのは高校に入学した時であったが、その時の俺にはもう友人を作る気など全くなくなっていた。

 新しい環境で人を拒むような態度を取って入れば当然誰も友人はできず、むしろ俺にはそれを喜ばしいと思っていたくらいだった。

 しかし、入学して一月ほどが経ったころ、教室で孤立していた俺に了一は近づいてきて、こう言った。

「当ててみたいんだ。心臓かい?」

 唐突にそんなことを言われて、俺は驚く以前にあっけにとられたことを覚えている。しかし彼はそんな俺になんの気遣いも見せず、ペラペラと先を続けた。

「君の病気だよ。たぶん死ぬ病気なんだろう? いつくらいなんだ?」

 もしかして、どこかの俺を嫌っている人間が嫌がらせでそんなことを言わせに来ているのか、なんて考えも過ったが、俺はわざわざそんなことをしてもらえるほど大きな人物ではなかった。

 すぐに疑問点に思い至った。俺の病気は養護教諭以外誰も知らない。担任や体育教諭すらただ何らかの病であるということしか教えられていない。それなのにその詳細を――余命のことすらも言い当てた彼に俺は驚いた。

 そしてぶん殴ってやろうかと思った。

「もうすぐ死ぬ人間がどんな気持ちなのかに興味があるんだ。友人にならないか?」

 こんなことを宣う奴と友人になるなんてまっぴらごめんだったが、彼はしつこく付きまとってきた。

 毎朝登校路の途中に待ち伏せしていて、昼休みには一緒に弁当を食べようとして、放課後の下校する時までついてくる有様だった。

 ファーストインプレッションは最悪だったし、付きまとってくるのは面倒だったけれど、そうやって一緒にいる分には彼が特別不愉快な人間というわけではなかった。

 そして、ある日の昼休み。まるで弁当のおかずの話を振るかのように彼は箸を止めることもなく言った。

「君は、もしかして自分が死んだときのために『惜しいと思うものは作らない』とでも思っているのかい?」

「……どうして、それを」

「そりゃあ僕は君のそういうところを知るために一緒にいるんだからね」

 そういえば、こいつはそんなクソみたいなやつだったんだっけ、なんて俺は初めて出会ったときのことを思い返した。

 こいつなら、きっと俺が死んでも悲しまないだろう。

 俺が突然苦しみながら倒れてもメモ帳を取り出して「ねえ、今どんな気持ち?」と喜色満面に問い始めるだろう。

 そんな失ってもまったく惜しくもなんともないクソ野郎こそ、俺の友人にふさわしいのかもしれない。

「……なあ、なんで」

「ん? なんだい?」

「なんで俺の病気のこと、わかったんだ?」

「そんなもの、見てればわかるさ」


 彼は無神経で、人の心がわからず、ただのひとかけらも気遣いを持ち合わない、そのどうしようもないクソ野郎さ加減とそのに関してだけは信頼できる。

 俺の中にあるものを、ひとつ残らず、ノーヒントから当てて見せたのだから。

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