2-6 成立

 〝実は、私が殺されるのを止めてほしいんです〟。

 結局、最初に言いたいことは言っていたわけだ。

 正直簡単には信じられる話ではない。

 けれど、結局のところ、もうとっくに信じられない話には巻き込まれているのだ。

 どういうわけか夢が現実と化したり、シビュラが目の前で死んでもう一度やり直したり、彩芽が隣に引っ越してきたり。

 そう考えれば今更それが世界に飛び火したところで大した違いはないのかもしれない。

 いや、あるけど……。

 シビュラが実際に超能力者なのかとかもうどうでもよくなるくらい非日常レベルが上がってしまった。ていうか、さっきの話が本当なら俺の死期を見るって言うのは無理じゃないか? それ以前に、そもそも世界が続いていかないって言う話なんだっけか?

 考えても考えても疑問は尽きない。

 自分がなにをすればいいのかもわからない。

 ただ、少なくとも、俺が彼女に死んでほしくないと思っていることは確かだから――

「いいぜ。そのくらいなら、協力してやるよ」

「本当っ!?」

 ぱぁっと百合の花が咲くように笑顔が花開いて、どきりと目をそらす。

 ああ、残り少ない人生だし、妙なことを口走る美少女に付き合うって言うのも悪くない。

「だが、一つ条件がある」

「条件……ですか?」

「ああ。俺がシビュラの殺人を止めることに協力する代わりに、その、やり直させてくれないか」

 喉から出たのは蚊の鳴くような声で、それでも静かな室内でははっきりと彼女の耳に届く。

 気恥ずかしさに顔から火が出そうだった。

 柄じゃないことは、ポリシーに反することは、わかっているけれど、あのことが一つ心残りだった。

「やり直すって、なにを?」

「だから……前回の二十四日だよ」

 つまりは、デートのこと。

 俺がなにを言いたかったのかを理解した彼女は目を真ん丸にして驚いていたと思ったら、顔をくしゃくしゃにして笑い声を立て始めた。

 あっははははは! と見たこともない表情で笑う彼女を見て、その新鮮さに驚くよりも拗ねるような怒りがこみあげてくる。

「…………そんな笑わなくたっていいだろ」

「あはは、ごめんなさい。まさかそう来るとは思わなくて」

「それでどうなんだよ! 条件を呑むのか呑まないのか!」

「ふふ。ええ、もちろん。こちらとしても願ったり叶ったりだわ。でも……」

 笑い混じりの口調でシビュラはこちらに顔を傾ける。その視線が明らかになにかを含んでいて、俺はさらにぶっきらぼうに問い返した。

「なんだよ」

「そんなに気にしていたなんて、かわいい」



 シビュラの話を聞いた後、今度は俺が自分の状況を説明する。

 シビュラが死ぬと二十二日の朝に目覚めること。前回の記憶もあるが前日の記憶もあること。だんだんと記憶の内容が鮮明になること。そして、記憶があるのは今回で三周目だということ。

 これを聞いた彼女はいくらか考え込んでいたが、やはり原因はわからないようだった。

 それから、それらを踏まえて今後の方針を話し合った。

 まず連絡先を交換し、一緒に行動する上での約束事を決める。

「いい? もしもループしたら二十二日の朝に前回出会った交差点に必ず集合すること。携帯の連絡先も消えてしまうから」

「ループしたらっていうのはつまり……シビュラが死んだらってことなんだよな?」

「ええ。いつも死に目に会えるとも限らないし、まずはこれだけ覚えておけばきっとなんとかなるわ」

 個人的にはもう人の死に目に会うなんてのはごめんだった。しかし、このループは彼女の死とともに始まり、死によって終わる。

 抜け出すためには幾度その死を越えなくてはならないのだろうか。

 俺の表情を見てか、彼女は沈痛な面持ちで優しく語りかける。

「これがどれだけ続くかはわからないけれど、大体年明けまで生き延びられたら終わったとみなしていいんじゃないかしら。もちろん、もし、こんなの嫌だって思ったら、いつでもやめてくれて構わないわ。その時は……そうね、集合場所に来なかったらそう判断することにしましょう」

「大丈夫だ。途中で投げ出すような無責任なことはしない」

「そうだとしても、逃げ道を用意しておくことは悪いことじゃないわ。……あなたの人生は一回きりなんだもの」

 まるで、人生は一回きりじゃないような語り口で、真実人生を繰り返し続けてきた彼女は言った。

 そしてその一回きりの人生はいつ終わるのかもわからない。もしかしたら明日には俺の戦いは終わってしまうのかもしれない。けれど、だからこそ、俺は後悔するようなことはしたくなかった。

 無責任なことがいけないんじゃない。途中で投げ出して、俺が後悔することが嫌なんだ。

 心は決まっている。その上で彼女の提案にも頷いて、俺は先を促した。

「あとはこの後どうするか、か。まずは犯人を探すところから始めるべきだよな」

「そうね。ついては、これからずっと一緒にいてほしいのだけれど」

 ………なっ!

 突然の告白じみた文言の返答に窮した俺を楽しそうに見て、彼女はいたずらっぽく片目をつむった。

 こんの……!

「か、からかうのもいい加減にしろっ!」

「あら、私は本当のことを言っているだけですよ。私が知りたいのは自分がどのように殺されるかで、そのためにはできるだけ死んだ際の状況が欲しいの。そしていつ殺されるかわからない以上、一緒にいなきゃいけない。そうでしょう?」

「ぐっ……!」

 理論武装は完璧だった。

 反論は望むべくもなく、海千山千の八百比丘尼に口で勝とうなんて百年早いどころの話ではない。

「彩芽にしろシビュラにしろどうして俺の周りの女性はこう強いんだ……?」

「彩芽って?」

 能天気な雰囲気は形を潜めて、えらく真剣な表情が彼女を包んだ。触れれば切り傷が開きそうなほどの剣呑な声色にたじろぐ。

「なんでもない。ただの隣人だよ」

「…………そう。あなたがそういうのならそうなのでしょう」

 なんだか不満なようだったが俺にはそれがなんなのか問い詰められるほど命知らずではなかった。

 最初から思っていたけれど、打ち解ければ打ち解けるほどシビュラは感情を色鮮やかに見せる。感情は煌めき、艶やかで、それでいて鉛のように重い。彼女の話が本当なら、何億年も生きているはずなのに、誰よりも人間的で、だからこそ厚塗りの顔料のようにべったりと彩りを見せつけた。

 正面から切り込むことができる気がしなかった俺は話を元に戻そうと画策する。

「とにかく、うちに住むとかそういう話はごめんだからな」

 こんな狭いワンルームでシビュラと一緒にいたら、心臓は一週間のうちに爆発して俺が来年を迎えることはないだろう。別に彼女と二人でベッドに添い寝する妄想とかはしていない。決してそんなことはない。

「あら、そんなことを考えていたの? 大丈夫よ、私が今まで殺されたのはすべて人が多い場所だったから、一人なら問題ないはずだわ」

 ……そうか。

 いや、ほんとに残念とか思っているわけではない。決して。今もプライバシーの権利とかについて考えている。

「まあ、もしも慎がどうしても同棲したいというなら私のホテルに来ても構わないけれど……」

 そういって彼女がにっこりと微笑む。見透かすように下がった眦に抵抗するように俺は精一杯の声で答えた。

「行かないっつーの!」


    ***


「じゃあ、明日の朝からよろしくお願いします」

 狭いアパートの玄関でブーツを履いたシビュラはコートの裾を翻して、くるりとこちらへ体を向けた。壁にもたれて一段下に立つ彼女を見下ろす。

「ああ。まだ半信半疑なところはあるが、協力はする」

「デートのためね」

「うっせうっせ」

 シビュラのからかいには慣れてきたものの、こんな美人のからかいにまともに取り合っていたら心臓がいくつあっても足りない。ただでさえ不足気味だというのに。

 彼女はまともに取り合わない俺を見て「もう」と不満そうに嘆息するが、疲れたのはこっちの方だ。

「送っていくか?」

「いいえ、大丈夫よ。まだお昼だもの。それに、あなたにも話を整理する時間が必要でしょう?」

 まだ俺の中ではいくつもの事柄がばらばらで、ゆっくりと時間をかけて整理することが必要なのは確かだった。

 黙って頷くと、彼女は別れの言葉を告げる。

「さようなら。慎」

 耳障りな金属音とともに扉が閉まって、俺は鍵を閉める。

 狙われているかもしれないというのに、本当に彼女を一人で帰してしまってよかったのか。名残惜しいような心配のような気持ちが胸を過ぎる。

 こんな気持ちになるなら無理にでも送ればよかったかもしれない、とキッチン前で踵を返したその瞬間――

 パン!

「――――っ!」

 たった一音で俺の中で嫌な予感が鳴り響く。

 別にこんなことになった記憶があるわけじゃない。

 でも、このタイミングでこんな場所で起こるにはあまりにも不吉すぎた。

 即座にドアノブをひねる。たった今閉じた鍵を外すのがあまりにもじれったい。

 もたもたしているとなにもかも終わってしまうような気がして、蹴り開けるように開いたドアから、靴も履かずに飛び出した。

 一息に階段を下りて、靴下のまま冷たいアスファルトを踏む。

 冬の冷気は部屋着を貫いて、走る身体を阻む。

 たった二つの曲がり角を越えたところで、俺は立ち止まった。たたらを踏んだ足が足元に広がった赤い液体をぴちゃぴちゃと揺らす。

 もう俺は驚きに声を上げることはなくて、ただ悔しさに奥歯を噛むだけだった。

 アパート裏の路上に倒れていたのは――頭のないシビュラの死体だった。

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