2-5 あなたが決めた私

「私は――です」

 脳が理解することを拒否してしまうような突拍子のない答えに、俺は生唾を飲み込み、すぐそこにいる彼女を見つめた。

 世界……だって?

 どれだけ見つめてもこたつ机の向こう側にいる彼女は一人の人間の形をしていて、彼女が七十億の愛憎好悪がひしめく地球をビー玉ひとつと変わらなく扱ってしまうこの宇宙を抱いて余りあるようにはとても思えなかった。

 確かに人間離れした美しさではあるけれど、世界なんてものを扱うのはもっとこう、下劣な太鼓とか細いフルートで無聊を慰める混沌無限の魔王みたいなものであるべきだろう。

 俺が呆けて無遠慮な視線を向けるのも気にせず、彼女は朱を引いたような唇を歪めた。

「あるいは神と言ってもあまり外れてはいないでしょう。世界最初の人類、アダムとイヴ。実際にはその二人だけではないにしろ、あなたたち人類をこの手で作ったのは私なのですから」

 世界。神。人類の創造。

 普段見ない概念が飛び交い、頭がついていかない俺は曖昧な質問を投げる。

「な、なんの話をしているんだ?」

「この世界の仕組みの話をしているのです」

 そう嘯いた彼女は誰も語ることのできない話を淡々と続けた。

 世界、なんてものはその中にいる人間にとって扱えるわけがない。ただ、存在することを証明するためだけに現代まで延々と哲学者が管を巻いているのだ。

 それをこんなアパートの一室で?

「いちから話をしましょう。

 まずこの世界――今ある現在の生きている世界とは積み上がっていく因果であり、成熟しきっていない果実。これを〝アレフ〟、あるいは〝エル・アレフ〟と呼ぶわ。

 〝アレフ〟の誕生とともにその核を内包した私が生まれ、宇宙はその版図を無限に広げていく。その無限の空間を何十億年と揺蕩った私は、ようやくある星を見つけた。

 その星は豊かで、どんな場所でも生きられる私にとっても生きやすい場所だったわ。だから、そこで生きることを決めた私は子を産んだの。私の産んだ子たちはその星ですくすくと育ち、私は彼らとともに生きた。寿命のない私は産み増えていく子たちを眺め、来たる時までの慰めとしたの。

 そして、その時――私の死によって世界は完成し、同時に世界は終わり、また新しい〝アレフ〟が生まれる。それがこの世界の仕組み」

「それはつまり、シビュラが死ぬと世界が終わり、また新しい世界が始まるっていうのか?」

「ええ、その通り。だから、私はすべての人類の創造主であり、世界の核であり、この世界のプレイヤーなの。何百憶回とこの百五十億年を繰り返した。

 そして、この円環があなたの何度目かのクリスマスの記憶を作っている。あなたの体感がどんなふうかはわからないけれど、少なくともその記憶の間には百五十億年の時間が挟まっている」

 彼女の話が本当なのかはわからない。

 けれど、今自分に起きている現象についてつけられた説明はそれしかなくて、それがどれだけ突拍子もなくても、その説明を採択しなければならないのかもしれない。

 もう少しスマートな方法でもいいと思うのにな。

 なんだって、世界なんか。

「それでね、ここからが本題」

「本題?」

「そう、あなたに起きている現象、その原因について話すって言ったけど、それはあくまでその寄り道で、実は、相談したいことがあってきたの」

 自分は世界の核だとか自分が死ぬたびに世界が生まれ変わるとか話しておいて、相談と言われるとずいぶんスケールが小さくなったように感じてしまう。

 そんな世界レベルの物事に高校生が関与できるわけがないのだけれど、でもまあ、ここまで来たら乗りかかった船というか、もうなにがなんでも構わない。電波話にしても目的がある方がいくらかマシだ。

「わかったよ。話してみればいいんじゃないか」

 俺が促すと、彼女はさっきまで饒舌にしゃべっていたのも裏腹に、すぐには話し出さなかった。何度か口を開こうとしてためらって、上目遣いにこちらの様子をうかがいながら、おずおずと口を開いた。

「〝アイン〟って言葉は聞いたことある?」

「残念ながら」

「じゃあ、アカシックレコードは?」

 今度は聞き覚えがあった。

 ゲームやなんかでもよく聞く単語だし、こういうオカルト用語は必ず一回は了一から講釈を聞かされるのだ。

「アーカーシャの記録だろ? 世界の始まりからの記憶、アストラル光の痕跡、だっけ? あ、まさか」

「はい。アカシックレコードとは死んだ〝アレフ〟のアーカイブのことです。〝アイン〟あるいはアカシックレコードとは、根源の渦、銀の鍵とも呼ばれる世界の集積。私はそこに接続されていて、自分が辿ってきた記憶に関してはそれを読み取り、思い出すことができるの」

「じゃあ、あの時の競馬の予想は……」

「前回の記憶で知ったことね。すでに一度通ったところだったから、私は結果を知っていたの。シビュラと呼ばれている所以もそれよ」

 予言によってシビュラと呼ばれていて、しかも彼女の話が本当なら彼女は不老不死なわけだから――

「な、シビュラって偽名じゃなかったのか!?」

「失礼ね」

 彼女は口を尖らせる。

 しかし、紀元前の人間が今ここに同じ名前で現れるなんて予想できるわけもない。

「本名……と言っていいかはわからないけれど、古代ギリシアのデルポイのシビュラはほかでもない私のことよ。いろんなところでいろんな名で呼ばれたわ。例えば日本での名なら八百比丘尼、とかね」

 八百比丘尼って言えば人魚の肉を食べて不老不死になったとかその肉を食べれば不老不死になれるとかそういう……。

「不老不死で預言者で死に戻りな神様が俺になにを相談しようっていうんだよ……」

 ぼやくようにつぶやくと、筋違いの相談をしている自覚はあるらしく、彼女はバツの悪そうな表情で目をそらす。

 けれど、だからと言ってやめることはなく、シビュラはさらに続けた。

「さっき言った〝アイン〟、そこに歪みが生じているの。いつからか〝アイン〟に集積されていたはずの〝アレフ〟がごっそり消えていて、その記憶を読み取ることができなくなっている。どうしてそんなことになったのかはわからないけれど、もしかしたらあなたの記憶の継続はその歪みのせいなのかもしれないわ」

「だからどうしろって言うんだよ……。世界の記憶が消えたなんてそりゃどっかの別の神様がバックアップでも取り損ねたんじゃねえの?」

「もちろん、それをどうこうしてほしいってわけじゃないの。最初に言ったでしょう?」

「あ……」

 〝実は、私が殺されるのを止めてほしいんです〟。

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