尽くす言葉は消えぬれど

2‐4 訪問


 ピンポーン、と呼び鈴が音を鳴らす。

 十二月二十五日。クリスマスイヴが明けた日の朝。

「はいはい今出ますよっと」

 前日の余韻からなんとなく早起きしてしまって、朝からこたつの中で時間を持て余していた俺は、最近妙に頻度の増えた呼び鈴に応じようと立ち上がる。

 まともな暖房のない家の朝の床は靴下越しにも一際冷たい。

 どうせ彩芽が今日もやってきたのだろう。

 玄関に立った俺は無用心にガチャガチャと用心のチェーンロックを外し、シリンダー錠を回す。しかし、鍵を開ける俺に向けて、ドアの向こう側からかけられた声はその予想に反するものだった。

「やあ、おはよう。慎が起きるには早い気がするけど、昨夜は早く眠ったのかい?」

 この見透かしたような声、タイミング、どう考えても了一だ。

 急いでドアを開けると、そこにはやっぱり白衣のポケットに手を突っ込んだ友人の姿があった。

「了一。なにしに来たんだ? 暇なのか?」

「クリスマスの朝にやってきた友人になにしにきたんだとはご挨拶だな。まるで彼女でもできたみたいじゃないか」

 彼の言葉にぎくりとするが、慌てて振り払う。

 彩芽とは昨日たまたま出かけただけで、別に彼女というわけではないし、そもそもそんなつもりもない。

 了一はひょいと俺の部屋を覗き込んで「ふぅん」と呟いているが、ここに来たのが彩芽でないということは、彼女は隣の部屋ですやすや眠っているはずだ。

「まあいいや。とはいえ今日は遊びに来たわけでも、連絡なしに約束をドタキャンしたことを問い詰めに来たわけでもないんだ」

「あ……その件はすまん。ちょっと事情が……」

「だからいいんだって。埋め合わせはしてもらうけどそれは一旦置いておこう」

 水に流してはくれないのか。まあ身から出た錆ではあるけれど。

 しかし、クリスマスで緒方先生に構ってもらえないから退屈だったとかでもなく、この間の件というわけでもないならいったいなんの用なのだろう。

「ちょっと今日は紹介したい人がいてね。紹介したい、というか紹介してほしいと頼まれたというか彼女曰くその必要もないということらしいのだけれど」

「……つまり、どういうことだ?」

 俺に会わせたい人間がいるということはわかったが、彼にしては珍しい要領を得ない説明からはそれ以上のことはわからなかった。

「まあ、とりあえず会ってみてよ。どうせ会うはずだったんだからね」

 会うはずだった……?

 その言葉の意味は、彼が扉の陰から招き寄せた人影を見ればすぐにわかった。

 わかってしまった。

 会ったことのないはずで、しかも会うはずで、しかし会ったことがある彼女の姿を見て。

「初めまして、シビュラと申します。今日は朝早くの訪問になり、ご迷惑をおかけします」

 色の抜け落ちた白髪。透き通るような白肌。紅玉と見紛う赤眼。

 それは間違いなくシビュラだった。

 しかし、なぜここに?

 横目で脇に退いた友人の顔を窺うもいつも通りなにを考えているかわからない微笑みに阻まれてなにを考えているかはわからなかった。

 対して、真剣な顔でこちらを見つめるシビュラはさらに続ける。

「今日はお話があって参りました」

「話?」

「はい。もしかしたら長くなるかもしれないのですが……今日、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。別に構わないけど……」

 二人組で朝からやってきて長話とはそのもの宗教勧誘のようだけれど、むしろそうであった方がどんな話をされるのかの予想がついて良かったかもしれなかった。

 俺がシビュラの提案に首肯すると、了一はもう用は済んだとばかりに踵を返す。

「了一、帰るのかよ」

「僕が紹介する必要はなさそうだしね。慎、ドタキャンの借りはラーメンでいいよ」

「わざわざ来たんだから上がってけばいいだろ。今更遠慮するようなこともないだろうに」

「僕に初対面の人間の仲立ちなんかさせるなよ。そういうのじゃなくて、もっと宇宙とか未来とか異世界とかとの仲立ちが必要になったら呼んで欲しいね」

「せいぜい面倒ごとの時は呼ぶことにする。じゃあまたな」

 見送りの言葉をかけると彼は手だけひらひらと振って去っていった。

 残されたのは初対面のはずの俺とシビュラだけ。

 了一がいなくなって話を始めるのかと思えば、ただ黙ってこちらを見つめている彼女をどうしたものかと俺はがりがりと頭をかいた。

「とりあえず、上がるか?」

「はい。それじゃあ……おじゃまします」



 彼女がこたつに腰を下ろして、開口一番言った言葉はずいぶんと物騒なものだった。

「実は、私が殺されるのを止めてほしいんです」

 たった今沸かしたインスタントコーヒーがゆらゆらと白い湯気を立てる。

 真っ白な彼女の肌に溶け込むように漂うそれを眺めていると、俺は、あの時の記憶を呼び覚ましてしまいそうになる。

「殺されるのを止めるって……」

 そう、俺は知っている。

 かつて、彼女が死んでしまったことを。

 脳裏に蘇ろうとする凄惨な光景を吹き飛ばそうとして、俺は握りしめた拳で額を叩いた。

 どうして、俺が必死に避けて、忘れようとしていたことを、そっちからやってきて思い出させようとする――!

 真摯な視線が俺を射抜いた。

 彼女にとってはその所作だけで俺の心のうちまですべて見通せてしまうのかもしれない。

 シビュラは、確信するように囁いた。

「突拍子もない話かもしれません。でも、きっとあなたは知っていると思うのです。私が殺された時の姿を」

「……!」

「前回のクリスマスイヴ、私はドーナツショップで毒殺されて死んだ。その時の記憶をあなたも持っている。違いますか?」

 ――前回。

 まるでこの時間を繰り返しているような、そんな言葉遣い。

 俺が感覚として感じて、そのように言ってきたものと同じ。

 それが示すものはつまり――

「だが、もう十二月二十五日だ! もうあの夜は終わったはず! もう死ぬことはないんじゃないのか!?」

「別に十二月二十四日の夜に死ぬと決まっていたわけではありません。ただ、前回とその前はそうだったというだけです」

 前回と、その前?

 もしかしたら、前回俺が見ていた夢は、その前を示すものだった――?

「大体、どうしてそんなことが起きている!? お前はなにを知っているんだ! お前が、俺をこうしたのか!?」

「私はそのすべてに答えることができません。けれど、一つだけ、あなたにこの世界の仕組みについて教えてさしあげることはできます」

「この世界の、仕組み?」

「はい。これまでのことに関係するかもしれないし関係しないかもしれない。ただ、私がここに来た目的のために必要なことです」

 とらえどころのない回答だったけれど、しかしどういうわけか頬を撫でるような彼女の柔らかな声を聞いた俺はさっきまでの興奮が嘘のように引いて、彼女の言葉を冷静に聞くことができてしまった。

 そうだ。今は少しでも情報が多い方がいい。

 もしもまだこの円環が終わっていないとするなら――猶更だ。

 俺は黙ってから、

 少しの沈黙の後、彼女は上品なソプラノに乗せて核心を告げた。

「私は――です」

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