劣等感情

佐藤 田楽

劣等感情

力とはなんたるや

才覚とはなんたるや

これらを妬む心はいけないのだろうか

きっといけないのだろう

だから今こうなっている


黙って見てればよいものを

覚悟も無しに手を伸ばし

されど1歩は踏み出さない

根性無し

甲斐性無し

やはり長所はなにも無し

ただ志したという事に満足感を得て

広がった庭に手がつけられなくなっている

人の青い芝ばかりを見続けて、気づけば己の芝は腐っている

そこで諦める自分もまた腐っている

分かっていても結局座り込み、することは決まって自己嫌悪

聞いていればただ胸糞が悪いだけ

全部才能と努力のせいにして自分を慰めて貰いたい

そんなエゴだけの塊なんだから


妬ましいと羨ましいは似ていてされど同義ではなくて、しかしこれは同意義である。

根本にあるのは同じ感覚感情なのだ。

ただ心の形が陽なのか陰なのか、心の姿が真なのか偽なのか、出てくる言葉が自分なのかそうではないかの違いだ。

妬ましいとは共感を得るためのただの道具に過ぎず、ただし立派な存在証明なのだ。

それがないと利己主義者は透明になって見えなくなってしまう。


そしてそれが今の自分のことだと気づくのはまた後の話で、気づいた時は必死になって足掻いて届かず。

また妬ましくなって吐き捨てて透明になって、いっそ吐き捨て続ければ本当に消えてしまえるんじゃないかと願ってみるものの続けた先にあるのはより鮮明になった瞳、映るのはもちろん自分で結果最後に反吐が出る。


分かっていてもきっと治らない

分かっていてもきっと努力しない

分かっていてもきっと諦められない

何も出来ない自分に酔って沈んで中毒になっているのだから

いつしかそれが根本になり、支えになっているのだから


でも地に落ちたのは分かっているのに、どうして手を伸ばせるのだろう。

どうしてもまだ望めるのだろう。

それはきっと、見上げればまだ理想が照らしてくれて、淀んだ瞳に光をくれるからだ。

ならばまだ飛ぼうとせねば。

既に自殺台の崖に立っているとしても。

前に飛ばなければ。


ーーー劣等感情


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劣等感情 佐藤 田楽 @dekisokonai

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