不思議町観音寺にようこそ

富士村

漂着

「かんのんじ……???」

 寝ぼけ眼を瞬かせ、僕は呟いた。

『観音寺』と書かれた標識が目に映っていた。知らない町だ。次の電車までは…………わからない。

 ……あぁ、やってしまった…。

 徐々にはっきりしていく意識を急かすように、僕は盛大なため息をついた。

 …完全に乗り過ごしてしまったらしい。

 僕の乗っている電車が動き出す気配は無いので、とりあえず電車から降りてみる。どうやら、この駅が終点みたいだ。吐く息は白く、電車の中で温まった身体が急速に冷えていく。いかにも、冬、という感じがする。

 観音寺駅のホームは閑散としていた。だからだろうか、空気がキリリと締まった感じがする。なんとなく。ほら、二酸化炭素少なめ、みたいな。…伝わらない。

 ホームの外は壁に覆われていて、町の様子を知ることは出来なかったが、僅かに見える黒い空が夜であることを示していた。

 そもそも、ここはどこなんだろう?

 東京より西にあるのは確かだ。滅茶苦茶に乗り換えて随分遠くまで来てしまったが、関西方面に来たのは間違いない…筈だ。

 実際、ずっと寝ていたから、どのくらい移動したのか分からない。『観音寺』という町の名前を聞いたことがないし、夜とはいえ人が少ないことを踏まえれば都会ではないと思う。少なくとも、関西圏ではないだろう。

 中国地方くらいかな…と考えながら、ホームの出口へ向かう。幸い、所持金は潤っている為、費用の心配は無い。

 ……しかし、本当に人がいない。東京なら、夜でも人波に揉まれるというのに…。

 夜の空気と時代を感じるホームに、若干の恐怖を禁じ得ないでいると、視界の隅で何かが動いた気がした。

 流石に気の所為だろう。僕も長旅で疲れているんだ。人がいないのも怖いが、だからといって人ならざる者に頼る気は全く無い。

 コツン。…コツン?おっと、何か背後から音がしたぞ…。おかしいな。

 …振り向くなよ…振り向いたら負けだ…気にするなこれは他の客だ馬鹿!!!!!!!

 錯乱して口が悪くなるのは断じて僕のせいではない。そう創りたもうた神が悪いのだ…。

 幾ら自分に言い聞かせても、膝小僧が言うことを聞いてくれない。窮地に(勝手に)陥る僕を追い詰めるように、気配が近づいてくる。足音がするから気配とか分からなくても分かる。僕はもう、ダメかもしれない…。

「えいっ」

「~~~~!?!?!?」

 祈りも虚しく、僕は声にならない叫びを上げるハメになった。

 やっぱり全力で走るべきだったのか。多分無理だったけど…。

 視界を、奪われた。息も上手く出来ない。

 なんだこれ…布…??誘拐だろうか…??

 パニックで再び飛んでいきそうな意識を、持ちうる最大の理性で引き止める。

 …今寝たら、確実に殺られる。

 遅すぎる判断をした僕は、とりあえず抵抗してみた。……あれっ?

「わわ、駄目だよっ、ちゃんと被らなきゃ…!!」

 僕の顔を覆っていたのは、驚くことに、真っ黒な帽子だった。抑える力が弱かったのか、そもそも抑える気など無かったのか、僕は自由を簡単に取り戻せた。

 それにしても、聞こえた声は幼いというか、どう形容すれば良いのか…。なんとも間抜けな声だ。しかし、一抹の恐怖を拭い去れない為、決死の覚悟で振り向く。…何か妙なものがいた。

 女の子、だった。全身黒ずくめの。

 オイオイ、君は魔女か、それとも小さくなる薬の使い手か?と問いたくなってしまう。絶対言わない。言えない。

 顔立ちは素敵な方だ。といっても、僕に顔の善し悪しは分からないけれど。

 年齢は、同じくらいだろうか。高校生に見える。

 まぁ、幾ら可愛かろうが、親しげな笑みを浮かべていようが、こいつは帽子で人を窒息死させようとした殺人鬼なのだ。僕は騙されないからな。些か勘違いがあるような気はするが、大した問題では無いだろう。

 …まぁ凶器がこんな帽子だなんて、笑えないな…。

 僕が手元にある帽子に目を向けると、その殺人鬼はにっこり笑ってそれを被った。

 なかなか奇抜なデザインだ。

 世間的かどうかは知らないが、僕はそれを『とんがり帽子』と呼ぶ。

 …これじゃあ、まるでみたいじゃないか…。

「こんばんは!」

 極めて友好的に、彼女は言った。

「こんばんは」

 極めて社交辞令的に、僕は言った。

「私は鹿子木 かのこぎ 麻衣まい。君は?」

「…鈴原すずはら 千冬ちふゆ

「鈴ちゃんね!よろしく!!」

 名乗られたから名乗っただけなのに、よろしくされてしまった。

 それにしても、初対面の男に渾名とか、この女、中々肝が据わっている。

「それじゃあ、行こっか!」

 手を引かれて、数歩前に進んだ。普段、女の子の手を触ることなんて無い為、少しどぎまぎしてしまう。

「行くって、一体何処に!?」

 慌てて尋ねると、鹿子木は可笑しそうに、嬉しそうに笑った。

「そんなの、駅の外に決まってるよ!鈴ちゃんも魔女になる為に来たんでしょう?ここは町だもんね!ようこそ、観音寺 かんおんじに!!」

「……はっ??」


 これが、僕と鹿子木との出会いで、この時分かったのは、彼女が電波ちゃんだということと、『観音寺』は『かんのんじ』ではなく『かんおんじ』と読むこと。

 そして、僕がまだ知らないのは、これから彼女は本物の魔女であるということ。ここは中国地方では無いこと。そして、彼女が僕を女の子だと勘違いしていること。

 …全て、電車に揺られる僕の夢の中の出来事かもしれないけれど。

 12月22日、サバトの起きるその日、僕はその不思議な町に、確かに存在していた。








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