HAPPY

常世田健人

HAPPY

 私は旅人という人種の者である。時に山へ行き頂上からの絶景を眺めたり、時に海へ行き珊瑚が敷き詰められた藍色の景色を眺めたり、つまりは色々な場所へ行き、眺める者である。私達はあまり自然やそれに関する人達に干渉したりはしない。私達はあくまで傍観者であり、故にとやかく干渉したりしてはいけないのである。


 十月十二日。晴天の空が私を見下ろしながら、宛もなく歩く。目的地などありはしない。目的地をもってしまった時点で私は旅人ではなくなってしまう。旅人というのは旅をする人の略称であり、旅というのはぶらぶらとほっつき歩くことだと考えているからだ。


 現在、私は砂漠を歩いている。熱を持った黄色の地面以外何も見えない場所。ただでさえ暑いのに、太陽は情け容赦なく私を照り付ける。暑い。本当に暑い。季節は秋である筈なのに、真夏の気温と変わらない感覚を受ける。体全身からは汗が流れていた。水分が欲しい所なのだが、生憎今は持ち合わせていない。早く民家に辿り着かなければ、私は干上がって骨しか残らないであろう。そればっかりはごめんこうむる。何がなんでも水にありつかなければ。


 そうこうしていると、私は人影を見つけた。遠くから見ても確認出来る長い髪。恐らくは女性であろう。砂漠に佇む長髪の女性。私と同じ旅人であろうか。水を分け与えてくれるであろうか。水が欲しい。とにかく、水が。


 大声を出し、女性の人影が遠ざからないように呼び掛ける。女性がこちらを振り向いたことを確認しながら、私は体力を使い果たすかのごとく走り、そして女性に追い付いた。


「こんにちは」


 息を整える私に向かって、彼女は微笑みを浮かべながら挨拶をしてくれた。見ると大層麗しい女性であることに私は気付く。黒い長髪は太陽の光りに反射し、神々しいくらいに輝いている。紫外線を気にしているのか白い長袖の服を着用し、宮廷貴族のような白いスカートをはいている。高貴な出で立ちをしていると思いきや、頭に被る麦藁帽子がなんともいえないアンバランスさをかもしだしていた。身長はなかなかに高く、良い体つきをしているに違いない。顔は異常ともいえるくらい整っており、彼女の微笑みはどんな生物でも射止めてしまうであろう。


 だが、不思議なことに彼女は何も持っていなかった。加えて、白い肌に白い頬。砂漠に佇む者とは到底思えない姿。水を持っていませんか、と聞いたとしても「持っていません」としか返ってこないことが容易に想像出来た。腕で額の汗を拭いながら、思わずため息が出た。瞬間、私は取り繕う。何をこんなに白昼堂々ため息をついているのだ。彼女が水を持っていないことは彼女のせいではないではないか。初対面の女性に向かって私はなんと失礼なことをしたのだろう。気付くと私は地面の砂に頭を付けて土下座をしていた。


「うふふ。何故そんなに謝るのですか」彼女が笑いながら私に言う。「顔をお上げ下さい。貴方が私に謝らなければならない道理なんてありませんよ」


 その声を聞いた途端、私は彼女が天使か聖母、もしくは女神の生まれ変わりかと思った。言われた通りに顔を上げると、そこには膝を折って私に右手を差し延べる彼女の姿があった。太陽をバックにニッコリと微笑む彼女の視線は、私を射抜いたのである。


「あ、暑いですか? さっきまで顔が青かったのに、今は赤いです」


 彼女にそう言われて恥ずかしくなる。知らず知らずの内に頬を染めていたようだ。水分が欲しい水分が欲しいと青ざめながら喚いていたのに、今は彼女が欲しかった。などということは言わないし、そんな事実は存在しない。絶対にである。嘘偽りは無い筈だ。


 彼女の白魚のように綺麗な手を握りながら、ゆっくりと立ち上がる。私は彼女に対し、貴女はこんなところで何をしているのですか、と質問した。


「何もしていませんよ」対して彼女は、微笑を浮かべながら言う。「私はここで、ある人を待っているのです」


 私ですか、と言おうとした自分を諌め、同時に自分で自分を恥ずかしく思った。何を馬鹿げたことを言おうとしたのだ。本当にいい加減にした方がいい。改めて確認するが、私と彼女は初対面である。何度も今まで会っているならまだしも、出会って数秒でのたまうのはやめにしなければ。


「少し、昔の話をしてもよろしいでしょうか。私がここでとある人を待つ理由に纏わる話です」


 微笑みながら、彼女は私に遠慮しながら聞く。その姿がなんともいたたまれなく、無意識の内に頭を縦に振っていた。「よかったです」と明るく言う彼女。太陽だ、太陽が二つ輝いているぞ、と叫び倒してしまいたかった。


「では、話させてください」こう言い、彼女は話を切り出した。笑顔のまま、私に向けて。「昔、ここはこのような干上がった砂漠ではなく、草木が繁る街でした。人々は笑い合い、明るい話が尽きることはなかったそうなのです。ですが、そんな楽園のような場所に招かれざる不穏分子が流れ着きました」


 私は、不穏分子とはなんのことですか、と相槌をうった。彼女は尚も笑顔のままこう言う。「宇宙からやって来た人達です」


 彼女の発言に私は驚いた。まさかの宇宙人襲来発言である。到底信じられないことなのだが、笑顔で話す彼女の口調に嘘偽りが含まれているとは思えない。それは真なのですか、と私が聞くと、「はい。本当のことです。うふふ、すいません、信じられないかもしれませんね。ですが本当のことなのです」と彼女は返した。私の次の言葉が、とんでもない貴女の言うことを信じられない訳がないではないですか、という旨であることは殊更に言わずともいいだろう。私の言葉を聞くと、彼女は「うふふ」とだけ笑った。それだけで私は充分であった。続けてください、と彼女の話を促す。


「宇宙人には足が八本あり、腕が左右それぞれ二本あり、頭が三つありました。頭には赤い目が一つ、白い大きな口が一つあり、全体的に青色でした。しかし、それ以外は人間に近い姿をしていました。導体だけみれば完全に人間に見えるでしょう。ただし、青色を除けば」彼女は、うふふ、と笑いながら宇宙人の描写を説明すると、また昔話に戻った。「そんな宇宙人が、街を侵略しに来たのです。総勢百人。大きな大きな白い円盤に乗り、彼らは星の運河からやってきました」


 ここまでの話を聞き、私は何故だか彼女の話に嘘偽りはないと確信していた。それが彼女の手前だからか、もしくは私が旅人という奇異な人種であるからか。私が彼女の話に頷いていると、そんな私の反応に満足したのか、彼女は涙を流した。


「すいません。私、人と喋るのが久しぶりで」


 彼女の指で神秘の水が拭われる。その様子に見とれたことを悟られぬよう、平静を気取って、どのくらい人と喋っていなかったのですか、と聞いてみた。


「十年です」彼女は確かにそう言った。「十年、私は誰とも関わらずに過ごしてきました。陽射しが照る日も、たまにくる雨の日も。病める日はなかったのでよかったのですが」


 流石に今度ばかりは彼女の話が信じられなかった。十年である。そんな長い間こんな砂漠に居たら、生きていられる訳がない。しかし、現に彼女は生きている。有り得ない程白い肌で陽射しを反射しながら。


 この女性は、一体全体何者なのだ。


 それを知る為、私は彼女の話に一切言及しないことを心に誓った。彼女の話だけを聞き、無益な反応をすることを控えよう。とにかく、彼女の昔話を理解しなければ。旅人の心が胸踊る。私はこの時より、好奇心の塊と化した。


「宇宙人は、街に住んでいた人間を労働力とすることに決めました。どうやら白い円盤が壊れたらしく、不時着した結果、街に辿りついたそうなのです。意味がわからない奇声を発しながら、宇宙人は街の人々を酷使し始めました。食べものと飲み物の供給。文明の発達、発展。宇宙人達は、人間が白い円盤を直すことの出来るレベルに達するまで辛抱し、何百年も街に居座り続けました。


 しかし、街の人達が黙っている訳がありません。何世代にも積まれてきた宇宙人に対する怨みが、ついに爆発してしまったのです。宇宙人の寿命は数百年です。ですが逆に、数百年しか生きられません。街の人達は、宇宙人が衰え、その子供がまだ未熟な時を狙って反撃を企てたのです。


 宇宙人はすぐに街の人々の内に潜む恐ろしい企てに気がつきました。今まさに街の人々は自分達を討とうとしている。だがいけない。自分達はもう一度、母なる星に帰らなければならない。白い円盤は徐々に直され、あと十年もあれば飛行可能な段階まで辿り着いていました。


 ここでやられる訳にはいかない。そう思った宇宙人は、老いた自分達の代わりに戦ってくれる存在を秘密裏に作りだしました。それが、俗にいうアンドロイドだったのです。人間にそっくりな外見の機械人形。海の中でも砂漠の中心でも宇宙の彼方でも、何十年も生きられる存在。それがアンドロイドでした。


アンドロイドは綺麗な外見をしていました。アンドロイドは街の人々に混じり、内部から街の人々を惨殺していったのです。全て、宇宙人の企てでした。単なる人間が宇宙人に反撃するなど、不可能なことだったのです。


 単なる、人間ならば。


 しかし、その街の人々は宇宙人によって文明が発達した人間の集合体であったのです。


 追い詰められた街の人々は、最後の手段をとりました。それは自分達をも死に至らせる危険な手段。ですが、街の人々はどうしても自分達を思うがままにしてきた宇宙人を許すことが出来なかったのです。そして、とうとう街の人々はそれを実行してしまいました。


 それは、巨大な爆発でした。街の人々は、文字通り自爆したのです。草木はねこそぎ風塵により削りとられ、建物も姿を消しました。白い円盤は粉々に砕かれ、宇宙人は瀕死の状態にまで追い込められたのです。やがて静かに死んでいく宇宙人達。百以上が百になり、九十が五十になり、十が一になりました。残ったのは、死にかけの宇宙人が一人と――なんとか損失を免れた一体のアンドロイドだけでした」


 彼女は笑っていた。砂漠にいるにも関わらず、通常よりも白い肌で太陽の光を反射しながら。水分をとらず、何者とも関わらずとも生きていけている彼女。私は思わず聞いていた。貴女は宇宙人なのですか、それともアンドロイドなのですか、と。


「うふふ」彼女は笑った。「アンドロイドは宇宙人を自作の生命維持装置に入れ、回復を待ちました。アンドロイドは、宇宙人の回復を待ち続けていたのです」


 彼女は、私に抱き着いた。


「待っていました。十年、待ち続けていました。さあ行きましょう、母なる星へと」


 彼女は泣きながら、私に抱き着いていた。


「アギグガゴガガゴ。ギグゲガギガガガ、ガゲガガグゲガガ」


 その瞬間、私は思い出した。私の本当の過去。私は旅人などではなかった。私は最初から旅人ではなかったのだ。出した声は明らか人間ではない、低い声。人外である私は、そして誓った。彼女と共に母なる星へ帰ろう、と。


 大丈夫。


 例え、何があろうとも、水分が足りなくても、周りに食べものが何もなくても、材料が何もなくても。


 彼女さえ居れば。彼女さえ、いてくれれば。何の根拠もないこの自信。ここは絶望の淵なのだろう。水もなく、行く先も不透明。このまま生きていても同族とは宇宙の外に行かなければ出会えない。ここは、絶望の淵なのである。


 しかし、彼女は私に抱き着いてくれている。泣きながら、抱き着いていてくれる。アンドロイドと宇宙人。本来ならば結ばれることはないであろう、機械と生命体。だが、彼女は私に、抱き着いてくれていた。


「うふふ」


 彼女は。


 泣いて、私を見上げて、抱き着きながら。




 私に、鋭利な刃物を刺していた。




「ガギグゴ?」


 腹のあたりに痛みが広がる。ゆっくりと、ゆっくりと薄れゆく意識の中。私は涙を流すアンドロイドの微笑みを視界に捉えた。そうして、私は気付いた。気づいてしまったのだ。


 涙?


 アンドロイドが涙を流すなど、有り得ないのでは――。


「うふふ」


 私は最後に、見た。砂漠の砂が盛りあがり、白い円盤が現れたのを。白い円盤の下からパカリと階段が飛び出し、そこから大量の人間が現れたのを。奴らは全員鋭利な刃物を持っている。老若男女問わず。奴らは自爆などしていなかった。奴らは自分達だけ生き延びれるように地下に施設を設立し、そこに潜みながら爆発を起こしたのだ。


「貴方を生かしたのはこの為です。絶望の淵で僅かな光りを掴みとった瞬間、宇宙人にこの事実を突き付ける為」


 私達は貴方の母なる星へと向かいます。虐殺します。私達をこけにした宇宙人を全員虐殺します。


 ですが。


 まずは、貴方から――。


 奴らが私と、私に抱きつく彼女に近づく。彼女は笑った。奴らも笑う。しかしそれは、悪魔の笑みであった。


「うふふ。死ね、宇宙人」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

HAPPY 常世田健人 @urikado

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る