7.夜に①
「メシアっ! お土産食べよー?」
今日の分の仕事は終わり、2階へと戻るように言われた私はすぐにメシアがいる部屋へと飛び込んだ。
外はすっかり暗くなったものの、下からは賑やかな声が止まずに響いている。
私たち二人は深夜帯に下へ降りることを禁止されていた。その為、毎日部屋で二人一緒に遊んでいる。
今日はお土産があるということで、私は浮き足立っていた。満面の笑みで入ってきた私を見て、ぱっとメシアも顔を輝かせる。はい、とでも言うように小包を差し出した。
「わあ、ありがとう……! ちゃんと半分こにするからね」
買い出しの帰りに買ってきたのはちょっとした焼き菓子だ。いつもは買うことの出来ない高価なもので、お陰でお釣りのほとんどを使ってしまった。僅かに残っていた残りは貯金してある。
小包を開けると6枚ほど詰め込まれている。
「メシアが3枚で、私も3枚ね」
はい、と手渡すと、少し手を止めた後、受け取ったうちの1枚を二つに割るメシア。ちょんちょんと私の手を引き、手のひらに乗せる。
きつね色に焼けた生地に、ルビーのような赤いソースがかかっている。何の変哲もないただのクッキーだが、この世界では高級菓子だ。
もちろん、メシアにとっても大好物のはずだが……。
「くれるの?」と聞けばコクリと頷いた。『これね、はんぶんこ。りぃにあげる』と手をなぞる。
……昔からメシアは私に優しい。私は彼にそこまでのことはしていないのだけれど。
「ありがとう。──じゃあ、次は私が半分こするからね」
それをありがたく貰って口に入れれば、メシアは嬉しそうに微笑む。自分も食べるとその微かだった笑みが、更に広がった。
さくり、と口に含むと、ふわりと口いっぱいに素朴な甘さが広がる。その中の甘酸っぱさは、何かの果実が練り込まれているからだろうか。
「……美味しいね」
そう言えばメシアが頷いて反応してくれる。この時間がなによりも一番幸せな時間だ。昔に戻ったような感じがする。
寝るための身支度を終え、明かりを消そうと魔力供給の為の魔石を外すと、魔法陣式の照明は動力を失い明るかった室内は夜の暗さに戻った。いつものように2人で同じ布団に潜り込む。
……私と違ってメシアは寝つきがとても良い。数分後、すうすうと規則正しい寝息が隣から聞こえてくる。
いつもなら私もその数分後に寝るのだが、今夜は違った。
私はメシアを起こさないように、そっとベッドから抜け出すとゆっくり床に足をつける。そのままベッド脇の小窓から下を見た。──人通りが無くなった大通りにポツリと一人。
それは今日出禁となったはずの男性だった。
「……《身体強化Ⅰ》」
見た瞬間、私の口は自然と詠唱呪文を呟く。そうして音を立てないよう窓の鍵を開けた。
(何をしてるんだろ……? こんな時間に)
夜は全ての照明が消され、唯一の光は月光のみとなる。比較的警備がしっかりしている王都とはいえ、完全に治安が良いとは言えない為、夜に出歩く人なんていない。
彼は何やら辺りを見回してから傍の路地裏へと入る。それを追った私の瞳に、男の手に何か掴まれているのが見えた。
──それが何なのかを考えるより先に、身体が動く。
窓枠に足をかけた私は窓の外へ、ひらり、とその小さな身体を放り出した。
◇◇
人のいない夜道を男は急いで駆ける。その骨張った右手には大事そうに一枚、丈夫そうな羊皮紙を握りしめている。
キッ、と前を向く表情はとても険しい。
男の胸の中には、怒りやら恥ずかしさやら悔しさやらが混じった感情が未だに湧き続けていた。
昼から酒を浴び、他の客に難癖をつけた挙句に女性店員に手を出し、あろう事か少女に挑発され、最後には有名女性冒険者に止められギルド共々出禁とされる。
これ以上にない恥をかかされた男の頭には今、〝復讐〟という稚拙な2文字が思考を染めていた。
……云わば完全に男の逆恨みなのだが、その愚かな行動を止める理性は残っていない。そこにあるのは、怒りという感情によって動かされている筋肉の塊である。
時折、手に握られた紙切れを見つめては、笑い出しそうになるのを抑える。
(はっ……これを使えば、この辺り一帯は塵と化すだろうよ)
それは討伐用の高度な爆発系魔法陣。魔法陣専門の高位魔術師が作り上げる高級品である分、硬い皮膚を持つ巨大な魔物でも数発で粉々に吹っ飛ばすような威力がある。一枚でも建物程度なら十分だ。
男は普段の討伐依頼の時には使わずにこなしている為、以前に購入した数枚を持て余しているのであった。
使用方法は簡単。魔力を流し、すぐにその場を離れるだけだ。あとは数秒でソレは発動する仕組みとなっている。
使用する魔力量は普通の魔法陣よりも数十倍と多いが、魔法を併用して戦う男にとってはそれぐらいはなんて事無い。
目的地であるギルドの裏路地へと回り、床に羊皮紙を置く。夜に出歩く者はいない。いたとしてもそれは警備隊くらいで、その警備隊も今の時間は別の場所を見回っている。
──数十秒。そう、数十秒だけ時間を稼げれば良いのだ。危なくなれば、国内用の転移石を使えばいい。
すぐに鬱憤は晴らす事が出来る──そう思っていた。
その凛とした高い声が響くまでは。
「──おにーさん。今日は月がとても綺麗な夜だね」
気配もなく突然背後からした幼い声に肩が跳ねる。その声の正体に気づくと、一瞬懐の転移石伸ばしかけた手を止めた。バクバク騒ぎ立てていた心臓を落ち着け、ホッと息を吐く。
「……っな、なんだ。昼間のガキか」
「うん、さっきぶりー。……で、こんな所で何してたの?」
「てめぇには関係ねぇよ。とっとと失せ──」
ろ、と振り返った男が固まる。先程まで背中越しに話していた少女の姿が、ない。
(おかしい。確かにさっきまでは気配も……)
「へえぇ、魔法陣だったんだぁ。これは……爆発系、かな?」
愉しそうな声。ばっ、と前を向くと裸足の少女が、身を屈めて手元を覗き込んでいる。驚き動けない男を他所に、少女はにっこりと花を咲かせた。
「ってめぇ……なんで、爆発系だと」
魔法陣の仕組みは複雑で、幾万もの組み合わせから成り立つ。一文字変えれば効果も変わる為、それを暗記することは不可能だと言われている。故に、魔法陣を作る際には、複数の分厚い辞典を参考にしながら描くのだ。
どうやっても、数秒見ただけで見破ることの出来る代物ではない。ましてや、こんな幼い少女が──
「……別に不思議なことでもなんでもない。一見複雑だが、ソレには規則がある。まあ、この世界は少し異なるようだが、根本的には同じだ」
少女の口調がガラリと変わった。先程とは打って変わって冷たいものとなる。深い闇を思わす黒い瞳に底知れぬ恐怖を感じる。
(ヤバい……何かわからんがコイツはヤバい)
その変化に本能的に危機を察した男は、魔法陣をそのままに懐から鈍く光る転移石を取り出し発動──出来なかった。
魔力をいくら流しても無反応。いつもなら浮遊感と共に一瞬で景色が変わるはずなのだが、待てども待てども何も起こらない。男の中に焦りと怒りがただただ溜まっていく。
「はあっ!? 何でだよ、何で……発動しねーんだよ!!」
「……あー、それ。ニセモノ」
「んだと!?」
「おにーさん、ちゃんとしたとこから買わなかったでしょ。大方、露店か何か……中の魔法式がぐちゃぐちゃ」
足元の魔法陣を見下げながら、1回も男の方を見ずに指でくるくると黒い髪を弄る少女。
嘘だ、と怒鳴ろうとしたがその言葉を呑み込む。実際に使えないのだから、何も言うことはできない。
くそ、と吐き捨てたかと思うとばっと身を翻す。そうして初めて少女が魔法陣から男の方へと視線を向けた。
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