6.言い争う


◇◇


 お釣りで買ったお土産片手に店に戻れば、何やら酒場には珍しくピリピリとした空気が漂っている。



(何だあれ……喧嘩?)



 店の中央で二人の男性が睨み合っている。どちらも顔が赤く、足元もおぼつかない様子だ。……何も珍しい光景ではない。酒場ではよくある酔っ払いの言い争いだろう。


 だが、いつもはカウンターにいるビアンカが止める為、ここまで変な空気にはならない。他の店員は皆女性、皆が皆同様にオロオロしながら遠巻きに眺めるだけ。周りの客も酒のつまみにと、止める様子はない。



「あの……ビアンカさんはどこに?」


「ん? ああ、ちょっと依頼を受けているよ、緊急らしい」


「……緊急依頼?」



 何だろう……気になる。定期的に鍛えには行くが、普段彼女が依頼を受けることはなく、ほとんどノータッチだというのに。

 その時、遠巻きに見ていただけの店員から一人、前に出てくるのが見えた。二人の視線も自然とそちらへ向く。



「ちょ、ちょいとお客さん! 待ってくだせぇや」


「ひっく……ああ゛!? 今はこいつと話してんだよ、部外者は引っ込んでろ!!」


「アタイだって好きで首突っ込んだわけじゃあ、ありませんぜ──ここは楽しく酒を飲む場、喧嘩なら外で好きなだけやってくだせぇよ」


「……んだと?」



 途端、男の雰囲気が圧のあるものへと変わる。だが、その威圧をも受け流し、へらりとその女性は笑った。動きに合わせて、頭についた獣耳がピクリと動く。



「たかだか肩がぶつかったくらい水に流してあげ──ぁがッ」


「……ああ、そーかよ」



 刹那、男の手が伸び目の前の胸ぐらを掴む。丸太のような太く筋肉質な腕を高く上げると、掴む拳に力を込めた。女性の顔から笑みが消え、苦痛に歪む。



「──なら、まずはそのムカつく口を閉じろよ、クソ半獣人がよぉ!? ナマイキなんだよああ゛!?」


「ぐっ、ぁ……やめ……」


「お、おい……悪かった、俺が悪かったって」



 その様子に流石に相手の方も焦り始めたのか、慌てて頭を下げる。が、それだけでは男性の怒りは収まらない。「うっせえ!!」と吐き捨てると、相手の男を睨みつける。



「謝る時は土下座……だろーがよ!!」


「ぁ、がっ……」



 バキ、と嫌な音を残して相手の男が崩れ落ちる。何の躊躇いもなく蹴り上げた男に、今まで静かだった周りから制止の声が次々にあがる。



「いくら酔っ払っててもこれはやり過ぎだ。おい、彼女を離してやれよ」


「そーそー、女性に手を出すなんて最っ低。軽蔑するわ」



 他の冒険者らが止めようと立ち上がった──その時だった。



「──うるっせえ!!」



 獣の咆哮のような声が空気を震わせば、しんと静けさが戻る。

 男は突然、掴みあげていた女性を乱暴に近くのテーブルに叩きつけた。上に乗っていた料理が、床に落ちては無残な姿へと変わり果てる。


 私は繋いでいた手を離す。



「ねえ、メシア」



 前の男に目線を合わせたまま、横にいるメシアに声をかける。



「お土産を持って先に二階に行っててくれる? ──私はちょっと掃除が残ってるから」



 一瞬その場で躊躇ったものの、目の端でメシアが動くのが見えた。上に繋がる階段に向かったのを確認すると、私は静かに部屋の端へと移動する。


 周りに聞こえない小声で唱えた。



「──《身体強化Ⅰ》」



 瞬間、身体の底から何かが湧き上がるような感覚と高揚感に包まれる。……僅かに抜けた感覚がするのは魔素が消費されたからだろう。


 いくら最低レベルの〝Ⅰ〟でも長く使えば、それだけ効果解除した際の反動は大きい。

 ……この幼い身体では、すぐに体力が尽きて倒れてしまう。



(その前に何とかしないとな……)



 空気を軽く握りしめるように指を曲げれば、周りの魔素が手の中へと集まる。これぐらいでいいか、とそれを止めると、親指大の氷の粒を形成させた。


 魔力によって作られた氷は溶けずに、ひんやりとした冷気が手に伝わる。私は宙に浮くソレを握りしめ、未だ辺りを怒鳴り散らす男に近づいた。

 2m近くの巨体に見下ろされる。すっぽりと影に覆われても私は笑顔を浮かべた。



「──ああ゛? 何見てんだガキ」


「酔っ払いのおにーさんって、怒鳴るばっかりでかっこ悪いねっ」


「……あ゛?」


「だって、弱い獣程よく吠えるっていうでしょ? おにーさんにぴったりの言葉だね」


「ってめぇ!!」


「わっ、と」



 男の顔が歪んだ。何かを考えるよりも先に、掴もうと男の手が伸ばされた瞬間、前からその対象ご消える。

 目の前から消えたものを追おうと目線が下に向けられ── ポカンと間抜けな顔を晒した。



「は?」


「いたた……転んじゃった……。──わぁ、おにーさんこわぁい。そんな怖い顔してどーしたの?」



 尻餅をついて座り込んでいた私は、パタパタとホコリを払って立ち上がる。周りの客から安堵のため息が聞こえてきた。

 ──ただ一人、目の前の男を除いて。


 男だけはこちらの顔と自身の手を交互に見ては、険しい表情で何か言いたげに睨みつける。



「お前……今……」


「あ、そっか……おにーさん、私に何かしよーとしたんでしょ? わあ、ラッキー!」



 良かったぁ、と子供らしく笑う。と、不意に後から腕を掴まれた。そのまま後に引かれると小声で囁かれる。客の一人だ。女性らしい甘い花の香水がふわりと香る。



「ちょっとちょっと、子供がこんな所で何やってんのよ。……危ないからこっちで遊んでなさい」



 てか連れてきた馬鹿は誰よ、と彼女はぶつくさ文句を呟く。店員に見られていないことに首を傾げたが、ああそうか、と自身の格好を見て納得した。

 まだ上着のローブに脱いでいない。脱ごうとして聞こえてきた足音に手を止めた。──中に隠しておいた氷の粒を消す。



「おいガキ、話はまだ」



 男が私を見る。そして詰め寄ってきたその時だった。凛とした声が酒場に響く。全員の視線がそこに集中した。



「──何の騒ぎだ?」



 そこらを散歩するような軽装。だが、それは所々に赤黒い斑点がついており、離れたここからでもわかるくらいの独特な血の匂いを漂わせている。

 ビアンカは周りを見渡し──ある一点、こちらに視線を向けた。



「……《解除》」



 私はフードを脱ぐ。ふっと今までの高揚感やらが消えたと同時に、どっと押し寄せてきた倦怠感。

 膝をつきそうになるのを耐え、外套を脱いだ彼女に駆け寄った。大事に仕舞っていた領収書を手渡す。



「ビアンカさん、これ……」


「ああ、ありがとう。──で、ここで何があったか説明してくれないか?」



 私が簡単に知っている部分だけを話すと、ビアンカは床の惨状を見、そして中心にいる男に鋭い視線を向けた。冷ややかなソレに、男の顔が青白いものへと変わっていく。


 つかつかと腕組みをして歩み寄った。



「……確か、Bランクソロ冒険者のマルコム=ハーレだったな」


「な、なんで俺の名を……」


「愚問だな。ここに出入りした者は全て記憶している──ただそれだけの事だ。で、店内での荒らし行為と店員への暴行……か」



 はぁ、とビアンカは長いため息をつく。突然、くるりと向く方向を変えた。目線を合わせたのは獣耳の女性店員だ。



「まあ、私が店を空けていたせいでもあるのだろうな。……ロト、お前はどうしたい?」


「えっ!? アタイですかい!?」



 何事も無かったかのように立っていた女性──ロトの顔が驚きの表情に変わる。



「最初がどうあれ、一番の被害者はお前だろう。──この男をどうしたい?」


「えぇ……どうしたいって言われても……アタイはただ、みんなで楽しく酒が飲めりゃあいいんですけどねぇ」


「……、そうか」



 なら、と提案する。それはビアンカにしてはとても甘いものだった。



「料理と床の弁償、あとは出禁でいいか? ……本当は別のにしたかったが……大事おおごとにしないのであれば、これでも充分だろう」



 罰を決めたビアンカは、無言でその場に突っ立っているマルコムに声をかける。そこでようやく動き出した。



「おい、聞こえているだろ? 今日はさっさと帰れ。……ああ心配しなくとも、後で直接請求しにいくから覚悟しておけ」


「……チッ」



 去り際にひとつ舌打ちを残す。ビアンカが睨むと顔を逸らし、ゆっくりと去っていった。

 扉が閉まる音でようやく酒場に元の空気が戻ってくる。



「リィン、大丈夫だったか?」


「私は大丈夫ですけど……ビアンカさん、その血は」


「ああ、返り血だ。心配するな」



 ポン、と安心させるように頭に手を乗せられた。軽く撫でると、洗ってくる、とビアンカは奥に向かう。

 代わりにすっかり元気になったロトが、尻尾を揺らしながら近づいてきた。



「いやぁ~キミ、小さいのに凄いや。アタイびっくりしちまったよ。無謀というか何というか……」


「えへへ……でもあの人、別に怖い人じゃなかったもん」


「そっかねぇ~? アタイにとっては大分おっかない人だったさ」



 そう? と首を傾げれば、子供の特権かね、とロトは朗らかに笑う。自分の仕事に戻ろうと去る時、彼女は意味深に微笑んで言った。



「ま、あの手の客は執拗いからね。お互い二度と会わないように頑張ろうや──会ったら何されるかわからんしね」

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