5.買い出しで



◇◇



 ギルド内の興奮は大分収まっていた。今はそれぞれの目的で動き、幸いなことにこちらに注目する者はいない。


 若干駆け足で酒場に飛び込むと、騒音と熱気でせ返った。ビアンカの方へ向かう。カウンターで接客をしていた彼女は、私を見るなりパッと輝く笑顔を見せた。

 トレーを受け取ってから聞く。



「おっ、お疲れ様。……で、ジルロは?」



 少し考えた。やや間を開けてから言う。



「……、ちゃんと仕事してますよ」


「ふぅん、それは……珍しいな。本当か?」



 疑いの目を向けるビアンカ。それもそうだ、今までの行いからして信じられるはずがない。……実際寝ていたことだし。


 それでも、はい、と笑顔で答えれば、まだ納得のいかない表情ながらも「……そうか」と返してくれた。



「ならいいんだ。そうだ、買い出しを頼めるか? ……息抜きに、な」


「は、はい! ありがとうございます!」


「よし。じゃあ、いつもの店でな。必要なものはここにメモしてあるから──ああ、せっかくだし二人で行くといい」



 小さく切り取られた羊皮紙と麻袋を手渡し、目線で上の階を示す。2階には私たちに宛てがわれた部屋がある。

 同居人の喜ぶ姿を思い浮かべると自然に頬が緩んだ。



「わかりました。すぐに誘ってきますね」


「ああ、人が多いとはいえ気をつけろよ」



 ぺこりと一礼した後、私はカウンター脇の階段を上る。とんとんとん、と軽い足音をたてれば、中の気配が動くのを感じる。

 そのままドアを開けると、何かが私に覆い被さって来た。白銀色のくせっ毛が頬に触れる。……くすぐったい。



「わっ、と……メシア、大丈夫だった?」



 ポンポンと彼の背を優しく叩くと、少年はそっと離れ、ほんの僅かに口元を綻ばせる。私の手をとると、手のひらに何かを書いた。



『りぃは、だいじょうぶ?』



 一文字一文字たどたどしく指で書く。「私は大丈夫だよ」そう言って笑った。それを見てジト目だった瞳が嬉しそうに細められる。



「ほら、行く準備して……早く行かなきゃだめなんだから……」



 メシアはこくんと頷く。パタパタと急ぎ足で上着を取りに行った。私もベッドの上に畳んでおいたローブを手に取る。


 ……彼は小さい頃から一緒にいる少年だ。ほとんど同じくらいの身長だから、恐らくは同い年くらいだろう。ふわふわとした白銀の髪と、こぼれ落ちそうな蜂蜜色の瞳。整った顔立ちは少女のようだと昔から言われていた。


 メシアは出会った頃から言葉が話せない。それに、人見知りだからか私の前以外は表情を顔に出さない……所謂いわゆる無表情というもの──私からしてみれば、他人の前でもかなり表情豊かだが──そのせいで色々と誤解を招いてきた。


 今は筆談が出来るので、まだマシにはなってはいるものの……仕事をしながらではどうしても支障が出てしまう。


 その為、彼だけは部屋で待っていて貰っている。もちろん、彼の分の食費云々は給料からの差し引きだ。だからといって、メシアを責めるだとか切り捨てるつもりはない。


 ……彼は唯一無二の大切な家族だ。



 ひんやりと冷たい手に包まれる。メシアの指が手のひらをなぞった。



『いこ、はやく』


「……うん、そうだね」



 ぎゅっと握り返す。私は微笑んで彼の手を引いた。無表情だが、その瞳は嬉々として輝いているのがわかる。



「じゃあ行こっか。待たせちゃだめだもの」



 ──そう言うと私は、上着のフードを深く被った。この髪を見せないように、深々と。



◇◇



 ビアンカが言う〝いつもの店〟というのは、言葉通り仕入れで毎度お世話になっている店である。 ひっそりと店を構えているため、知る人ぞ知る王都の名店という感じだ。


 城に繋がる大通りに出れば、身体が小さいせいで歩くだけで人波に飲まれそうになる。はぐれないよう私はメシアの手を強く握った。

 ずっしりとした麻袋を片手だけで大事に抱えながら、メモ書きされた内容を確認する。



「……えっと、注文するのは『月下の兎酒』と『鬼神の泪』かぁ。本当に美味しいのかな……」



 両方とも酒の名前である。……後者は分かりにくいだろうが。


 ねえ、と隣に同意を求めるとメシアはちょっと首を傾げた。残念ながら一定の年齢にならないと、ビールやワイン等のお酒は飲むことが出来ない。



「あ、お釣りは好きに使っていいって! 後で何か買って帰ろーね」



 やはりたまにこういう事があると嬉しい。口元を緩ませれば、じっとこちらを見ていたメシアも嬉しそうにしている。

 商人たちが集まる王都には、数えきれない程様々な店があるのだ。考えるだけでも楽しくて、私は思わず歩く速度を早めた。



 大通りを暫く歩いた先。店に繋がる路地裏はそこにある。──この店が広まらない理由がコレだ。そもそも、店内に入る為の入口が見つからないんじゃあ、元も子もない。


 一歩路地裏に足を踏み入れば、じめじめと冷たい空気が頬を撫でる。建物の影になっているせいで、そこは常に薄暗く不気味。わざわざ通ろうとする人なんていない。


 その壁沿いにある小さな扉を開けると、アルコールの独特な香りが鼻をくすぐった。



「コルじい、いるー?」



 瓶だらけの店内を見回してみる。探していた人物はすぐに見つかった。

 ちょんと置かれた高めの机と椅子。そこに座っていた老人は、私の声を聞くなりはっと本から視線を上げた。険しかった表情が途端に柔和なものへと変わる。



「おお、おお。ビアンカさんのとこの……リィンじゃないか! よく来たなぁ……その制服を着ているということは、今日は遊びに来たんじゃなくて酒場の買い出しかの?」



 そうそう、と言いかけてから、居るはずの人物がいないことに気づいた。



「あれ? ……セーカさんは?」



 確かいつもは用心棒として店にいるはずだが……。

 首を傾げて聞いてみると「数日暇をやった」との声が。



「ええー……もしこの店が襲われたらどうするの」


「客も来ないというのに襲われるか。御贔屓さん以外は来んよ、こんな分かりにくい店」


「確かにそうだけど……」



 呆れと心配の目を彼に向ける。……全く、このおじいちゃんは何をやっているんだろう。


 よく、その老いぼれた見た目に反して強者だとかいう爺さんがいるが、彼──コルガット=クリノフは違う。見た目通り、立派な白髪しらがとふさふさの髭を持つただの老人である。

 足腰が悪いせいで歩く為に杖は必須、歩く速度も遅いので、ほとんどの作業は椅子に座りながら行っている状態だ。


 そして彼を支えているのが、用心棒兼店員兼介護人である青年── セーカ=イリイーンである。中央ギルドから紹介された冒険者で、生粋の優男でもある。


 配達等は彼の召喚獣に任せ、基本的に本人はこの店を手伝っていたはずだが。



「代わりの人とかは……」


「……居んよ、ワシ1人じゃ。なに、あやつも明後日には帰ってくる。──ほら、そんな事よりもそのメモを見せてみぃ。後日あやつに届けさせるからの」



 おずおずと腕を伸ばして手に持った紙を渡す。それを受け取ったしわくちゃの手を見て、さらに心配になった。

 ……本当にいなくて大丈夫かな。



「ふむ、金も確かに頂いたぞ。釣りは領収書と共に中に入ってるからの」


「……うん、ありがとう」



 受け取った後はただ店を出るだけだというのに、私はその場で動かずにじっとコルガットを見る。彼はしわくちゃな顔を更にしわくちゃにして笑った。



「そんな顔をするでない。ワシなら大丈夫じゃ」


「……うん。──明日も来るね」



 麻袋を握りしめた手を振る。行こう、と背を向けると、メシアと繋いだままの手を握り直した。

 明日も来よう、絶対。……ああ、メシアも行くかどうか聞かなきゃな。


そんな事を思いながら私は、大通りへと向かったのだった。

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