4.ギルドマスターという存在


 受け付けの奥は通路が続いている。途中にもいくつか部屋はあるが、今用があるのは一番奥の部屋だ。


 他に比べ一段と細かな装飾がなされた扉。両開きだが、私は片方の扉に肩をつけ全体重を乗せてそれを開ける。

 私のような子供からしてみれば、無駄に重いのが欠点である。とにかく開けづらい。


 やっとの思いで開けてみれば、これまただらしない格好で革張りの高級椅子にもたれかかっている男性が。


 手入れのされていないボサボサの灰色髪、半開きの口の端からは涎が垂れている。そして清潔感を減らしている要因であろう無精髭も顎に生えている。

 傍から見れば立派なおっさんだ。顔立ちは整っているものの、紛うことなきおっさんだ。



 ……がしかし、このおっさんこそがジルロ=アマート──このギルドの長、ギルドマスターである。


 そして、私たちのもう一人の恩人でもある。



「もージルさん、また寝てるんですか……ビアンカさんがお怒りですよ、いい加減仕事してください」



 思いっきり股間を蹴り上げる……なんてことは流石にしなかったが、机にお茶を置いて、強めにジルロの肩を揺らす。

 数回揺すると、垂れた青色の瞳がぱちくりと瞬きする。私の姿を認識すると、嬉しそうにその目を細めた。



「んぁ……お~、りーちゃんかぁ。おはようさん」


「おはようじゃないですよ、もうこんにちはの時間です」


「あり? もうそんな時間? ……おいちゃん寝過ぎちゃったかぁ。もしかして、ビアンカちゃん怒ってる?」


「もちろん」



 この上なく良い笑顔でビアンカの伝言を伝えると、「あー」と言葉にならない呻き声をあげ、こめかみに手を当てる。



「参っちゃうなぁ……このままじゃあ、おいちゃん、ストレスと過労で死んじゃうよ」


「ビアンカさんは、もっと働いて欲しいそうですよ」


「えぇ、厳しいなぁ~」



 そう笑いながら、ジルロは懐から煙管を取り出す。ちょいちょいと刻み煙草を詰めると、無詠唱で火を灯した。一瞬だけ小さな魔法陣が現れては炎に変わる。



「おいちゃんも頑張ってはいるんだけどねぇ……」



 ジルロの吐く息と共に白い煙が天井まで上がった。


 ふー、と煙管を燻らせる姿は、端整な顔立ちと相まってなかなか様になっている。そして、運ばれた茶に口をつけた……途端、ほんの僅かだけ眉を顰めた。


 微かだがその表情の変化に、戻ろうとしていた足が止まる。

 ──そうだった。途中、止まっていたせいでお茶は既に冷めているはずだ。そりゃあ、怒るな……入れ直して来ればよかった。


 水面を凝視したまま動かないジルロに、そろそろと寄る。一口も飲んでいないのは、やはり冷めているせいか。



「……あのっ、私……ごめんなさい。すぐに入れ直してきま……」



 慌ててトレーに伸ばしかけた手は、「違う違う。入れ直さなくて大丈夫だから……そういう事じゃなくてねぇ」そう驚いたような声に遮られ、宙で一時停止する。



「──もしかして、おいちゃんが寝てる間に何か……あった?」


「何か……?」


「ほら、こんなに冷めちゃってるし……多分、途中で足止め食らってたんでしょ~? 何ともないかい?」



 流石だ、と言うべきか。こういう細かい所に気づく男だというのに、何故毎回ビアンカの怒りを買ってしまっているのだろう……。


 言われなくとも一応は報告しようと思っていた所だ。実は、と私は話し出す。



「……アーダルベルド=バルツァーさんが、ついさっき」


「へえ~、かの有名な剣士さんじゃないの。それで? 用事は何だったんだい?」


「それが……また来る、とだけ」


「……へえぇ、それは驚いたねぇ」



 名前を聞かれたことは言わなかったけど、まあ大した事じゃないしいいか。


 ジルロが珍しく真剣な表情で何か考え込んでいる。あの、と声をかければ、途端にその表情は元のヘラヘラとした笑みに変わった。



「彼のことは、今度来た時にでも目的を聞いておくね~。……ねぇ、りーちゃん」


「はい?」


「お茶、ありがとねぇ。りーちゃんがいい子で、おいちゃん嬉しいよ」



 それに答える代わりに、にっこりと笑みを浮かべる。今度こそ終わったと私はトレーを持って頭を下げた。



◇◇



 ──バタン、と扉が閉じられる。華奢な少女の身体は黒髪を揺らし、するりと向こう側へと行ってしまった。……その代わり、部屋には元の静けさが戻る。



「……」



 ふぅ、とジルロは息吐き出した。揺らめきながら昇る煙が儚く消えていく。


 それにしても驚いた。──それは、かの英雄級冒険者アーダルベルド=バルツァーが来たことなどではない。


 自分の表情を読み取られたこと、だった。



「おいちゃんのポーカーフェイスも、もうダメかなぁ……」



 完全に表情には出していないと思ったのにねぇ、と苦笑する。そういえば、昔から人の表情を読むのが上手い子だったような気もする。



 ──ただの少女、だと思うんだけどねぇ。ただ、珍しい色の持ち主だというだけで。



 煙管を燻らせ、残っていた茶を飲んだ。冷たさが喉を滑り落ちていく。それが完全に落ちきった時、次に思い浮かべたのはもう何年も会っていない青年のこと。


 鮮明だったその姿も、今ではもうボヤけてしまっている。



「っはぁ……んで、あとはベル坊の訪問、ねぇ?」



 懐かしさもあるし多少驚きもした。しかし、それよりも何しに来たのかという疑問が脳内を占める。たまたま寄ったついでに挨拶をしに来たのか、それとも何か用事があったがやむを得ず帰ったか。



 ──後者の可能性が高いねぇ。



 それならば、今度来た時にその用事は判明するだろう。ジルロは目の前に溜まった書類に視線を向けた。とりあえず今は、これを片付けないとまたビアンカに叱られてしまう。

 一日二日では終わらなそうな量に、自然とため息が出た。



「まーったく……おいちゃん後先短いんだから、いじめないでよねぇ」



◇◇

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