2頁目 断絶の哲学

「なぁ、もういいって」


 困ったような声を無視する。


「おいおい……聞いてるか? あたしも手伝うって――」

「ストップ」


 私は手でもって紫暮がベッドから起き上がろうとするのを制止した。


「まだ寝ててって言ったでしょ?」

「あたしはもう大丈夫だっての! いい加減動かさないと体が腐り落ちちまう」


 ――牡羊座の星の本。自らの名を《淵に立つ者に手を差し伸べる白洋宮ゾディアック・アリエス》と名乗った少女は紫暮を治してしまうと姿を消した。

 半信半疑ながらもひとまず私の自宅に紫暮を運び込み、翌日の朝に紫暮は無事目を覚ましたというわけだ。


「駄目だよ。まだ病み上がりなんだよ」

「だーかーら! あたしの身体は星の本に治してもらった。留雨十が言ったんだぞ? スコーピオンもなんか言ってやってくれよ」

「そうねぇ……絶対安静!」

「嘘だろ……お前もそっち側かよ」


 味方を失った紫暮がベッドに倒れ込む。

 身体は治っただろう。だが私が心配なのはそれよりも心の問題なのだ。


「しっかし牡羊座か。新たな一冊登場だな。主は?」

「見た感じはいなさそう……私が気づかなかっただけかもしれないけど」

「能力は治療ってことでいいのかね」


 紫暮は自身の身体を見つめる。


「綺麗なもんだ。傷一つねぇ」

「恐らくは……紫暮を治してくれた理由は不明なのだけれどね」

「ふと思ったんだが、星の本は人間態でも自分の能力使えるんだな。スコーピオンも同じなのか?」


 スコーピオンは一瞬悩むようなそぶりを見せると、


「そうね。かなり弱体化する、と言っておきましょうか。私の場合なら傷つけてから若干体調が悪くなる程度ね」

「そりゃまた随分な弱体化だな」

「ええ、冗談でも使い物になるとは言えないわ」


 だとしたなら。あの瞬く間に紫暮を治した牡羊座の真価とはいったいどれくらいなのだろう。

 そんなことを考えながら、私は鍋を持ってリビングへ戻った。


「おかゆできたよ」

「おかゆぅ!? もっとガッツリしたもんが食いてぇよぉ」

「まあまあ、私が食べさせてあげるわよ」

「いらねぇよ!」


 ❖


「ありがとうございましたー」


 店員の反復に近い言葉に見送られ、店外へ出る。店内とはまた違ったまぶしさに目を細めながらキャンサーは舌打ちをした。


「……なぜ我がこんなことを」


 ことの顛末はこうだ。紫暮の世話を留雨十、スコーピオンでしていた。キャンサーは我関せずという風に座禅を組んでいたのだが……


 ◇


「じゃあキャンサーは買い物お願いできる?」

「……なんだと?」

「洗濯機の使い方わかる?」

「いや……」

「キッチン使える?」

「いいや。だがちょっと待て――」

「だよね。じゃあお願い」


 キャンサーは眉をひそめて反論を口にする。


「なぜ我が――」


 留雨十の人差し指がキャンサーの唇を遮った。


「主を失うと困るでしょ」


 有無を言わせないその言葉にキャンサーは不満げにうなずくしかなかった。


 ◇


「……調子づきおって」


 キャンサーの脳裏に留雨十のいら立つ顔が浮かぶ。

 やはり先日あの女に使われたのは失敗だったか。あれで調子づかれたのだとすれば一生ものの不覚だ。


「羊といい蠍座の主といい腑抜けたあ奴といい……心配事ばかりだな」


 キャンサーの戦う意味はたった一つしかない。強者と戦い、自らを研鑽し、ただ上を――


「そのはずだったのだがな」


 近頃は気にしなければならないことが多すぎる。前は楽だった。自らの主である紫暮はただ復讐にために戦っていて、その過程で強敵にいつかたどり着けたはずだった。


「これも全て……」


 留雨十の顔が再びちらつく。全てあいつのせいだ。あいつが表れてから紫暮は自然に笑うようになり、自分はこんなにも悩みが増えた。


「腹立たしい……」


 そう呟くとキャンサーはビニール袋を持ち直した。


 ❖


「しっかし留雨十は真面目だなぁ」


 朝、手洗い場で鏡を見ながら制服を着ていた私に、背後から紫暮が声をかけた。

 紫暮が目を覚ましてから早二日、そろそろ良いだろうと家事などを分担し、そして今日、久しぶりに学校へ登校するわけだ。


「そう?」

「生真面目っつうか……馬鹿真面目か」

「非行少女と一緒にしないでよ」

「おい待て、非行少女ってのはあたしか!?」

「わざわざ言い直したお返し」

「へーへー悪ぅこざいました」


 軽口をたたき合いながら上着を羽織り、鞄の中身を確かめる。

 課題良し。筆箱良し。お弁当良し。それと――

“羽虫の皇様”。私の人生にして指標も忘れずに。


「スコーピオンたちは?」

「スコーピオンはゴミ出し、キャンサーはたぶん部屋で瞑想でもしてるんだろうさ」


「そっか、それじゃあ」


 私と紫暮は拳を突き合せた。


「行ってきます」

「おう! いってらっしゃい」


 ◇


「ああ!! 留雨十!!!!」

「うげ」


 教室に入るなり、紗夜の大声が聞こえてきた。朝から耳が……。


「ここ一週間なにしてたん!? 本当に心配したんだけど!」

「ごめんごめん、ちょっとゴタゴタに巻き込まれちゃって……」


 ああ。クラス中の視線がこっちに……。

 ひとまず紗夜を引きはがす。


 石雨 紗夜せきう さやは私の古くからの友人だ。というか、紗夜ぐらいしか友人と呼べる人間がいない……


 私がクラスの端っこでジッとしている人間なのだとしたら、彼女はどちらも兼任できる謎の才能の持ち主である。どんな輪にもある程度の交友関係を持ち、それでいてその交友関係を深めすぎない。

 その生き方はある意味羨ましいと思うが、その反面絶対にそうはなりたくないと感じる自分もいる。周囲への気配りができないといけないのと同時に丁度良い距離をキープしなければならないからだ。


「もう! 後でなにがあったかみっちり聞かせてもらうかんね!」

「えぇ……」

「逃げんといてよー!? 今度こそ一緒にお昼食べるから!」


 そう言い残して紗夜は引きづられていった。また委員会サボってたのか。


 彼女が姿を消すと私はまたクラスの背景に戻った。安心のため息を漏らすと私は机に座る。そんな私の前に一枚のプリントが置かれた。


「依紅瀬さん、これお願いできる?」

「委員長」


 おかっぱ頭の眼鏡少女、委員長はにこやかな笑顔をこちらに向けた。


「いつまで――」

「今日」

「え゛」

「今日」


 プリントにはでかでかと“学校生活習慣調査”の文字。


「うっわ、最悪」


 この学校のこれはもんのすごく長い上に適当に済ませようとすぐバレる。

 今日中に終わらせるのは不可能ではないが……


「めんどっ……」

「紗夜、あなたのことものすごく心配してたよ」

「え?」


 委員長が口を開いた。


「毎日、留雨十はどこだ、なにしてる、どこにいるってうるさいのなんの」

「その節はご迷惑を……」

「授業中までぶつぶつ。先生に言われても上の空」


 本当になにやってるんだあの子。


「本当にごめん、ちょっと用事が建て込んじゃって」

「ま、私には関係ないからいいけどね。紗夜と仲良くしてよ? また授業妨害されちゃ堪んないから」

「善処もするし一応努力もしているつもり」


 会話を終え、委員長は自分の席に戻り本を読み始めた。

 彼女と私は親友以下――どころか友人というには絡みがない。ただお互いに本を読むほうではあるため少数派ゆえの親近感を覚える程度の間柄だ。


 スコーピオンが知れば恐らく「そこから友達に持っていくのよ!」なんて言うだろう。最近彼女の母親化が止まらない気がする。


 ◇


「捕まえた」

「……捕まった」


 号令と同時に立ちあがった私の制服の裾を紗夜に掴まれた。私は観念しながら振り返る。


「さ、今度こそはお昼、食べるよ」


 わが校の屋上は立ち入り禁止である。ほんの数年前までは入れたらしいがなんらかの事故があって封鎖されたとかなんとか。

 とは言っても入る手段がないわけではない。先代の先輩たちがなにをどうやったのか屋上の合鍵を作り出し、それを隠したのだ。


「よいしょっと……」


 階段をふさぐように置かれた机を動かし、わずかにできた隙間を通る。

 階段の中途にある錆びついた掃除用具入れを開け、その奥に掛けられた鍵を取り出す。

 そうして私たちは屋上にたどり着いた。


「ふいー、ここに来るのも久しぶりだわ」


 紗夜が両手を空に広げる。紗夜はその人柄ゆえか先輩たちから合鍵の位置を教えてもらったらしく、この学校内で屋上に入ることができるのは私たちぐらいのものだろう。

 そのおかげでここは落ち着いて食事するのにはピッタリな場所なのだ。


 二人して柵のそばのコンクリートに腰を下ろし、弁当を広げる。

 空を雲がゆっくりと動いて視界から外れていく、風はわずかで丁度心地よいくらいだ。


「おかず交換しよ」

「まあ、いいけど」


 その提案に私は頷くと、すぐさま私の弁当から卵焼きが消えた。


「……食い意地」

「人生早よせな、って言うけんね」


 紗夜は時々独特の――方言を混ぜ込んで煮込んだような話し方をするときがある。紗夜語とでも言うものだろうか。

 幼いころに各地を転々とした結果だなんて言っていたが、それを聞くと日常に帰還した気がするのだ。最近は激動の時間が多すぎた。戦闘に次ぐ戦闘、心を張り詰めていた時期が多すぎたのかもしれない。


「……ふぅ」


 ポス、と紗夜の膝に頭を預ける。


「あら珍し、留雨十から甘えてくるなんて」

「うるさい。別にいいじゃん」

「駄目なんて言ってなしよ」


 雲は流れる速度を増した、気がした。


「なんかあったの?」

「ん?」


 唐突に紗夜が聞いてきた。


「目に見えて疲れてる」

「あー……心当たりが多すぎてよくわかんない」


 紗夜の右手が私の頭をなでる。


「ゆっくり休憩しよ。留雨十が良ければいつでもこうするからさ」

「んー……」

「目ぇしぱしぱさせちゃって。すっかりお眠さんやね」

「……紗夜」

「なぁに」

「友達、できたかも」

「ありゃ、それはレアですこと」

「それだけ」


 目を開けていられないほどのまどろみ。私は大人しくそれに身体を預けることにする。


「おやすみ、留雨十」


 紗夜の言葉を幕引きとして私は意識を手放した。

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