断絶の哲学②

 「――」


 ヒュン、という空気を切る音。キャンサーの鍛錬はこの世界に生誕した時からの習慣だ。


 キャンサーの記憶は唐突に始まる。ある日、気が付いたらこの世界に立っており、自らの使命は既に理解していた。

 しかし、それ以上にキャンサーを駆り立てたのは圧倒的闘争欲である。戦いたい、強い力と自らの力をぶつけ合わせ、それによって研ぎ澄ませた刃を存分に試し、それをもって更なる強者との戦いに赴きたい。果てのないサイクルだということを理解しつつも心はどうしようもなく惹かれたのだ。


 そして今日も愛刀を振り続ける。一時間を優に超える時間それをひたすら続けているのにもかかわらず、太刀筋は一ミリたりともズレることはなくペースも一定だ。

 満足するまで終えると、キャンサーは刀を鞘に納めた。しかしそれでは終わらない。

 待つ、待つ、待つ。ひたすらに待つ。

 ――そして


「――!」


 音もなく抜刀し、すぐにまた納刀。彼女の目の前をハエが一匹地面に落下した。ハエは腹を大きくえぐられており、完全に死んでいる。


「……」


 キャンサーにとって理想というのは枷だ。追い続ければ追い続けるほど手足を拘束し、そうならないようにまず心を縛った。


「我は――」


 青々とした空はうざったいくらいの眩しさで見下ろす。それがキャンサーにとってはとてつもなく不快だった。


 ❖


夕雨 紫暮ゆうだち しぐれの人生における原動力は今現在“復讐”の二文字に集約されるだろう。

そのために星の本を手にし、そのために戦っている。失った友人たちを蘇らせるために、そして友人たちに手を下した者を完膚なきまでに殺しつくすために。



「……お邪魔しまーす」


扉を開ければすぐに天井に届くほどの本棚が紫暮を出迎えた。


「うわっ、すげぇなこりゃ」


留雨十の部屋、留雨十が読書家だと言うのは知っていたがまさかここまでとは。


本棚の中身はすべて小説が占有しており、図鑑や参考書、雑誌、ノンフィクションものさえ存在しない。

ただし小説の形式はバラバラで、小学校高学年を対象にしたようなものから最近なんかの賞を受賞したらしい小難しいものまで。

それらが所狭しと詰め込まれていた。


「はぁ~、ちょっとした図書館だな」


やることがなくなったので行った小探検だったがこの調子なら面白いものが見つかるかもしれない。


「……怒られっかな」


一応部屋に入っても良い、とは言っていたが面白半分で入るのもいかがなものか。……結局好奇心に負けてしまうのだが。


「こうして見ると……生活感皆無だな」


使った形跡があるのも本棚くらいのもので、机に至っては若干のほこりさえ溜まっている。


「……これ」


紫暮の目を引いたのは机の隅に置かれた写真立てだ。

留雨十を挟むようにして男女が立っている。背後の“卒業式”看板から察せられるように中学校の卒業式のようだ。


「留雨十の親父さんとお母さんか」


留雨十の両親はそろって海外で仕事をしているらしく、家に帰ってくるのはまれらしい。近頃は電話さえもくれないと不満をこぼしていた記憶がある。時節見せる弱みの片鱗は親に会えないことに起因しているのかもしれない。


「あいつも……大分大変そうだよな」


紫暮には留雨十の人生を完全に知ることができない。だが、時節崩れ落ちるほどの不安定感を見せる彼女のことを支えたいと思う。


「あ、紫暮。ここにいたんだ」

「うぉわっ、ビビったぁ……」

「それは私の部屋に勝手に入ってるっていう意識がゆえかな?」

「す、すまん。つい気になっちまって……」

「別にいいよ。私の部屋は“ちょっとした図書館”だし」


数冊の本を持って現れた留雨十は、抱えた本を本棚に収めると微笑んだ。


「聞いてたのかよ。意地悪だなぁ……」

「ふふふ、誉め言葉、誉め言葉」

「スコーピオンは?」

「多分下の階、なにしてるんだろ。キャンサーは?」

「さあ? 買い物から帰ってそれっきりだ。公園で刀でも振ってるんだろうさ」



「……なんだ、貴様」


キャンサーは目の前の人物に刀身を突き付けた。が、その人物は一切の動揺を見せない。


「……お嬢様はあなたを欲しております」

「殺されたいか?」


ギラリ、と日光に反射した刀がその殺気を充満させる。時間帯が悪いのか、公園に二人以外人影はなかった。


「あなたの現状は把握しております。そのうえで、あなたとお嬢様の利害は一致するかと」

「なにを――」

「強者と戦いたい。それがあなたの欲望だったのでは?」


フラッシュバックする。ボロボロの紫暮と出会ったあの日のことを。復習に駆り立てられていたあの頃の紫暮を。


「お嬢様からの伝言です“なまくらになりたくないだろう?”」

「――なんだと?」

「あなたは堕落された。というのがお嬢様の主張です。軟弱者とつるむことで太刀筋も練度も下がったと」

「……随分と気に障る言い方をするな、本当に斬られたいようだ」

「ご自由に」


瞬間、スコーピオンの刀と紳士の腕がぶつかり合った。


「――ほう」


紳士の腕には装甲のようなものが展開されており、それが刃を決して通さないと火花を散らしている。


「面白い」


公園は戦場となった。

白い軌跡はキャンサーが扱う刀の切っ先、それを腕一つでさばき続ける紳士の男。


「フン、威勢が良かった割には防戦一方のようだが?」

「――ええ、今日は様子見ですので」

「ならその本気を引き出させてもらうッ!」


小柄さを生かして上下左右を駆け回るキャンサー、そこから強烈な一太刀が紳士にくらわされた。装甲で傷自体は防げるとはいえ、その衝撃までは殺せない。先日の行動省略男の時と同じだ。


「なるほど、お嬢様の言葉も納得です」


攻撃を受けながらも、紳士は口を開いた。


「なまくらになりつつある、と」

「貴様――」

「――失礼」


刃を素手で掴んでからの足払い。からの膝を腹へ一撃。


「――」


頭を思い切り地面に打つ。途端に視界と意識の解像度が下がった。


「う、ぐ」

「……メッセージは伝えました。本日はこれで」

「ッ、待て!!」


キャンサーは起き上がろうとするが、足の痛みでもんどりうって砂利の上に転がった。砂の味が口の中に広がる。


「勝ったとは言わせん!! あれは――」


あれは、なんだ? 以前だったら確実に回避できた攻撃。あんなものはフェイントのフェイントとして使われるべきものだ。それに自分は。


「馬鹿な、そんな馬鹿な!」


最後に戦闘をしたのはいつだ。刃を交え、命がはじけるのを目にしたのはいつの話だ。


「そんな……」


キャンサーはその場で大の字になり、空を見上げる。風もない空の中に閉じ込められた雲がこちらに侮蔑の視線を投げかけた。


「我はッ、我は――」


自分の存在意義は、自分の生きる意味は。


「我は――弱くなったのか」


それは、キャンサーの生命の否定だった。



プロペラが次第にその回転数を減少させていく。大型の輸送ヘリの後部ハッチがゆっくりと開き、そこから一人の女が降り立った。


「……これまで世話を掛けたな」

「いいえ! お嬢様についてきたこれまでの人生は一生忘れやせんぜ」


パイロットと二、三言葉を交わすと、ヘリは再び空へ消えていく。


「……お嬢様、お待ちしておりました」

「ロドルベル、首尾はどうだ」


紳士がお辞儀をして、主人の帰りを迎える。女は羽織っただけの軍服をはためかせた。


「蟹座に接触しました」

「それで――響いていそうか?」

「ええ、それはもう」

「重畳、重畳!」


女はにやり、と笑みを浮かべると軍服を軽く叩く。


「貴様の出番ももうすぐだぞ、どんな気分だ」

「最悪です』


軍服の内側から飛び出した白銀の魔導書が少女へと姿を変えた。

腰まで伸びる銀色の髪と、頭に乗せた小さな王冠。凛とした雰囲気の彼女はやれやれとでも言いたげに首を振る。


「まさか本のままでも酔うとは思いませんでした……おぇ」

「はは、本のままなら吐かなくて済むだろうに」

「吐かなかったら吐かなかったで、いつまでも気持ち悪いんですよ」

「好きなだけ吐け、これからは忙しくなるぞ、獅子座」


獅子座、そう呼ばれた少女は着込んだ外套の裾を握り締めて空を見上げた。夕焼け、夜の始まり、闇の到来。


「戦い、かぁ……嫌ですね。人が死ぬのは」


少女の言葉は誰にも聞かれることなく、風に乗って消えた。



「紫暮……さすがにそれは」


食卓に並べられた夕食、その中でひときわ目立つ発泡酒の缶。


「がっつり未成年じゃん、紫暮」

「いやー、あはは。目ぇつぶってくれ、今だけ、な?」

「まあ止めはしないけどさ」

「偶にはってことで」


夕食をつつきながら3人で適当な雑談に興じる。最近の習慣になりつつある光景だ。


「そういやキャンサー、帰ってこねぇな」

「……大丈夫かしら」

「うーん、敵に遭遇した可能性とかは……」


キャンサーの持つ携帯のGPSは、通常通りに町中を動いているように見える。


「動いてんなら大丈夫――じゃねぇかな」

「一応明日になっても帰ってこなかったら迎えに行こうか」



――そして紫暮は、べろんべろんになった。


「まぁ見事に眠りこけたわね」


食卓に突っ伏して寝息を立てる紫暮に毛布を掛けると、スコーピオンは困ったように言った。


「お酒は弱いんだね」

「自分から持ってきたのに」

「ふふ、なんか紫暮って感じ」

「こんなにボーイッシュ……というか不良チックなのにねぇ」


甘いものは好きだし、私服は究極的に清楚だというのも強いギャップを呼び起こす要素だ。


「——絶対に」


一言。眠りの中で紫暮が放ったその言葉の後に続くはずだったのはなんだろう。

勝つ、なのか。叶える、なのか。それとも


「――殺す、なのかよね」


スコーピオンと顔を見合わせる。紫暮の願いは失った友の復活、一度彼女自身が話してくれたことがある。



――「殺されたよ」

「え」

「あたしがいつもつるんでたやつら、全部で8人全員がな」



――彼女の願いは復活だ。だが、その過程で彼女が復讐を望むなら。


「ほんっとに……もう」

「ま、私たちは紫暮に付き合うだけよ」

「うん、そうだね」


夜は更けていく。ただ一人を置き去りにして。



「ハァ、ハァ……う、ぐ……」


致命的な傷はないものの、細かな痛みが断続的に体を蝕んでいる。その事実があの紳士風の男の実力を裏付けているようで、どうしようもなくイラついた。


「クソ……クソッ!!!」


住宅地に点在する裏山。通常人が立ち入らない場所に灯りなどなく、同時にキャンサーの心にも灯りなどなかった。


自らがこの世に生まれ出でたとき、そこにはなにもなかった。わかることは二つ、自らが人ではないこと、所持者と共に戦うこと。


「クソッ……」


それがたまらなく嫌で。すべての縛りがうざったくて。

それ以外の生きる意義が欲しかった。


「——」


だから、欲した。自らの実力が経験に比例して上がっていくのが楽しかった。強者と相まみえたときの神経が振るえる感覚が心地よかった。外界からの刺激を受けて人生に色がやっとついた。


「それだというのに……我は」


すべてはあの留雨十とかいう奴が現れてからだ。勝利と復讐の棘だらけの道を進み、貪欲に力を求めていたはずの紫暮は堕落し、愛だの友情だのという濁々とした液体を飲み始めてしまった。

――だから、なのか。だから我は弱くなったのか。


「――ならば」


背後から、誰かが土を踏む音がした。


「ならば、私と共に来るがいい」

「――貴様は」


「今の主人が不満なのだろう? 執着があるわけでもあるまい」


軍服を羽織った女とそのすぐそばに立つ銀髪の少女。

女はキャンサーへ右手を差し出す。


「よく考えろ、お前のやりたいことはなんだ? 堕落していく主人をただ見ることか?」

「それ、は」

「あんな小娘と共にいたら一生会えなかったであろう強者と刃を交えたくないか?」


しばしの逡巡。自らのやりたいことは、目指す場所とは。


「安心しろ」


女が手で空中をなでつける。


「今の主人と、その周辺人物は必ず殺してやろう。お前がきれいに忘れられるようにな」


瞬間、空中に浮かぶ大量の銃器が、一斉に広がった。


「この私の《戦後の火スクラップ・インダストリー》と」

「えーと、この私、《永久なる王都に一人佇む獅子宮ゾディアック・レオ》が――なんか、ムズかゆいですね、これ」

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Bookshelf:ER 五芒星 @Gobousei_pentagram

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