戦章の2:Re War
1頁目 水際に没する ~上~
「楽しかった!」
自動ドアから出るなり紫暮はそう叫んだ。周囲の人がギョッとした目で彼女を見るが、本人はまるで気にしない。
「うん、楽しかった」
とはいえ私もその意見には極めて同感だった。ちょっとしたショッピングモールで服の冷やかしをしただけだが、なぜか楽しかった。友達と一緒に行くと大抵の場所は楽しいっていうあれだ。
「こういうのも悪くないわね」
スコーピオンの笑顔につられて私まで顔がほころんでしまう。紫暮も嬉しそうだしキャンサーは――
「――つまらん」
キャンサーは腰にかかった刀の鞘をいじり、再び言う。
「つまらん、理解できん。理解したいとも思わん」
「おいおいそいつはねぇだろ、キャンサーだって珍しく文句言わずに付き合ってくれたじゃねぇか」
「お前らがよほど楽しそうにしていたからな。我は我なりに楽しみを見出そうとしたが、やはり無理だ」
キャンサーはこちらにまったく顔を向けず、一人で勝手に歩きだしてしまった。
「追いかけなくていいの?」
私が紫暮に問いかけると、紫暮はあきれた、といった顔で、
「勝手に帰ってくるだろ。今までも気づいたら居たし。それよりもここ行こーぜここ」
示された端末には“絶品! フルーツケーキフェア!”のカラフルな文字が躍っていた。
「……まあ、そうだね」
キャンサーも気になるが、私としてもフルーツケーキが気にならないわけでもない。フルーツケーキは待ってくれないのだ。
◇
紫暮は戦いを始めて以来、ほとんどの食事はコンビニ、寝床は適当なホテル――と言った風にろくな買い物もしていなかったらしく、もちろん最後に遊びに行ったときの記憶などは忘却の彼方。そのため遊びに行こうと誘ったときの喜びようはすさまじかった。結局彼女にプラン立てを任せてしまったが、楽しそうな顔を見てるとどうでもよくなってくるから不思議だ。
先日の一件以来、彼女は素の自分を出すことに抵抗がなくなったらしく、これまでよりも格段に“女の子”の面が見えるようになった。甘いものが好きだったり、服は少女然としたものが好きだったり、いくらボーイッシュで不良風とはいえやはりストレートな女子高生の形であると言えるかもしれない。
「おーい、行くぞ留雨十!」
「置いてくわよー!」
「ごめん今行くー」
やはり見違えるように仲良くなった二人へ駆け寄る。結局夜の買い出しで何を話したかは教えてくれなかった。なんど粘っても教えてくれないのでそういうものだと諦めることにした。
これでいよいよ私たちの間の確執はキャンサーのみ、ということになる。彼女は未だにこちらを敵視している節が目立つ上、紫暮にも完全に心を開いているとは言えない彼女と分かり合える日が来る――想像もできない。
「おいおいどうしたよ。もうバテたのか?」
「ちょっと考え事をね」
「根詰めすぎるのも毒よ?」
「そうかも……よし」
ひとまず心はフルーツケーキへ向けることにしよう。現実から逃げる時間だってきっと必要だ。
❖
「くだらん」
店が立ち並ぶ路地。ここは明るすぎる。顔がだらけ、腑抜けきった奴らの巣窟だ。
「くだらん」
もう一度繰り返す。先ほどの紫暮の様子を思い出してまたむかっ腹が立ってきた。なんだあの緩み切った顔は、あの様子ではとてもこの先の戦いを乗り越えられまい。人は孤独にて強くなるもの、仲間などという自らの質を下げる害悪を受け入れてしまってはその先に待つのは劣化、ただそれのみだろうに。
明るい表通りを過ぎ去って、店の横にあるごみ捨て場。あの調子では紫暮が戻ってくるのにだいぶかかるだろうし、時間をつぶす当てもない。ならいつものように鍛錬をするのみ、と、思った矢先。
「おんやぁ?」
頭上から見知らぬ声が響いた。反射的に上を見上げた我の視界を人影が飛ぶ。
「よっと」
こいつは――店の屋上から飛び降りてきたのか? 随分と斬新な移動方法だが――
殺気はない上に構えはスキだらけ、まったく取るに足らん奴のようだ。
「こんなところに小さな女の子が一人……迷子なのかな?」
「失せろ」
顔を近づけてきた女に、なるべく声を低くしてそう警告する。幼子の見た目というのは時として厄介極まりない。一人で歩いていればこうして物珍しさに面倒が形を成して寄ってくる。
「あちゃー嫌われちゃったかな」
「元から好きではない」
「ありゃりゃ、塩対応」
おちゃらけた奴だ。蠍座の主――留雨十といったか。あいつも十分すぎるほど不快だが、こいつの不快さは群を抜いているな。
「失せろ、と言っている。おまえは私に用があるのかもしれないが、こちらはおまえに用などない」
「うわわ、これは手厳しい。それにしてもその口調かっこいーね!」
周りをくるくると回り続ける女を、我は無視することに決めた。今まで大抵の人間はこうして完全に無視すれば、あきらめてどこかへ行く者がほとんどだったが――
「まーいっかぁ……わたし行くとこあるし」
こいつも例外ではなかったらしい。
「そんじゃらま。また会おーねー! かっこいい君ー!」
女はよいしょと壁をよじ登って再び屋根へ上がった。
「あ、忘れてた」
もう一度振り返った。
「わたし、君とお友達になりたいんだった」
「フンッ、友達か。群れる弱者の言い訳だろう」
さきほどの紫暮の顔がちらつき、つい返答してしまった。途端に水を得た魚のように女が笑顔を浮かべる。
「えー、いいじゃん。なろうよ友達」
「失せろ、四度目は言わんぞ」
「いやー友達に関しては私、結構こだわるタイプなんだよね」
女はそう言って、我の目線と顔の高さを合わせるようにしゃがんだ。
子供扱いされているようでいちいち癇に障る。この女は我の嫌な点を的確についてくるな。
「だからさ、友達になってくれないなら“友達にする”ね?」
「なに?」
女は懐から古ぼけた手帳を取り出し、開いた。
「《
❖
「おいしい!」
目の前でみるみるうちに大量のケーキが消えていく。私と紫暮はそれを見て唖然としていた。
「そんなちっこい身体のどこにそんな入んだよ……」
「こういうの映画とかだけかと思ってた……」
「だっておいしいんだもの!」
皿の上を空にしたスコーピオンは満足げに背もたれへ体重を預ける。その様子は見た目相応……だが食べた量は見た目相応とはとても言えない。
「留雨十、金大丈夫か」
「万が一に備えて備蓄はあるからいいんだけど……それはともかく金額が凄いことになってる……」
食べ放題ではない。繰り返すが食べ放題ではないのだ。私と紫暮も2、3切れ程度しか食べていない。1ホールはもうとっくに越しているんじゃないかくらい食べているスコーピオンが異常なのである。
「生クリームで胃がもたれそうだね……」
「甘いもので胃はもたれないわよ!」
これが歳の差――見た目の――だとでもいうのか。まだ私高校生なのに。
「しっかしこいつは脅威だな。家でもスコーピオンはこんなに食うのか?」
「全然、だから私も本当にビックリしてる」
いつもは私よりも食べるか食べないかを彷徨っているスコーピオンなので、今回は本当に驚いた。
「甘いものは別腹よ!」
「もうそっちがメインじゃねぇか……」
❖
一瞬にして視界が暗く、深くなる。
「ガボッ……」
口に大量の水が流れ込み、喉、肺へ――
「――!」
気が付けば元のゴミ捨て場。眼前には女の顔。
「……なにをした」
「なに? なにってなぁに? なになになになになぁになに!?」
「狂人が……」
吐き捨て、我は腰の刀へと手を伸ばす。
「ちょっとちょっと! わたしとあなたはこれからお友達、でしょ?」
「冗談は死んでからっ、言え!」
一歩踏み込み、そのまま接近。刀でもってねじ伏せる。物体を切断できるわけでもないし、鎧に変えて防御できるわけでもないが、この一太刀で――
「うわわ!」
女の動きは想像していたよりもずっと素早かった。ぬるりという擬音がしそうな動きで攻撃を避け、近くの壁へ張り付く。
「危ないー!」
頭上からの声に、我は忌々し気に舌打ちをしようとした次の瞬間。
「ゴボッ……」
再び視界はほの暗く、そして水が喉から侵略を開始する。とっさに口を閉じるがすでに入った水の量は圧倒的に多く、窒息までの数えが多くなる程度だ。
――いったいなんだ、この能力は。あのおちゃらけた女が魔導書所持者であることはまず間違いない。だが狙いはなんだ? 我を殺したいのか、それとも生かしたいのか。
星の名を冠する本が欲しいなら、まずはその人間体に契約を持ちかけるのが定石のはず、だがこいつはそんなそぶりも見せなかった。我がそうであることを知らないのか? なら奴は関係のない人間を殺そうとしているということなのだろうか。
「――う、グホッ……」
また、戻ってきた。口を開けて水を吐き出す。全て吐き出したはずだがまだ胸に残る違和感がぬぐえない。
「おかえり~、あー、とってもツラそう!」
目の前の女はなにがしたいのだ。溺死させたいならさっさとさせればいいのに。
「少しづつ息ができなくなるのはどんな気分? ツラい? 苦しい? 恐ろしい?」
口を三日月型にゆがめ、真っ黒な光のない瞳を見てようやく理解する。ああ、つまりこいつは楽しんでいるのだ。人が溺れてもだえる様子を何度見て、何度も見世物にしているのだ。
「丁度いい、ならばためらいもなく殺せる」
「殺せる? 殺す? 危ないよ君みたいなちっこい娘が刀なんて振り回したら。だから諦めよ? 委ねよ? 苦しんで飲んでそのあとの顔を見せて?」
「もういい、喋るな」
女の胸から足にかけてを刀で切りつける。女はすぐに後ろへ笑いながら跳んで回避した。
「おおっとおおっと、生きが良い女の子! 膨らんだらどんなふうになるのかな?」
「黙れ!」
既に女へは追いついている。縦に持った刀を横へ変え、薙ぎ払った、だが――
「おっともだち! おっともだち!」
「なっ――」
こともあろうか女は、刀身の上に立って見せたのだ。
「さあさもっかい行ってみよー!」
女は煽るような口調でそう言うと、
「《
自身の魔導書の名前を、気味の悪い名前を叫んだ。
❖
「ん?」
「どうしたのよ、さっきっから携帯ばっか見て」
ギリギリ足りたという綱渡りのような会計を終えて店から出る。さっきから妙な顔をしてしきりに携帯端末を覗き込んでいた紫暮に、スコーピオンがそう問いかけた。
「なんか困りごと?」
「いや、そろそろ不貞腐れたアイツを拾おうと思ったんだが……」
「どうかしたの?」
紫暮は無言で画面をこちらに向けてくる。そこには、ここら一帯の地図と、点滅する赤点が映し出されていた。
「この赤点がキャンサーなんだけどよ、普通点滅なんてしないはずなんだよな」
「不具合?」
「座標が時々どっかにふっ飛んでるみてぇだ」
「不具合じゃない」
「だな……おいおい、見ろよこれ」
紫暮は笑いながら再び画面をこちらに向けてきた。
「地図上だとあいつ、ここと外国を一瞬のうちに行き来してるぜ? なはは! どこだよここ!」
「えーとなになに?」
国名は聞いたことのない名前だった。確かに赤点が点滅している。私はそれと重なっている場所の名前をゆっくりと読み上げた。
「スグナ湖」
◇
・スグナ湖とは、シグルメシア連邦北東に位置する円形の湖である。微生物以外の生き物がほとんど生息しないことで知られ、また、その深さは1000メートルに達する。――世界珍自然百六選より。
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