かたぶくまでの命かな
すみれ色のワンピースが風にしたがって揺れる。私は彼女から目を離すことができないでいた。
「あん? どした」
「お、おはよう、ごめん。待たせた?」
「いんや、あたしが勝手に早く来ただけだ」
そんなテンプレどうりの会話を交わす。その間も、視線はチラチラとワンピースへ向いていた。
「おいおい、なんか心ここにあらずって感じだぞ」
「いや。あの、その服――」
「――ああ、やっぱ似合わねぇよな。あたしの見た目的に似合わないのはわかってっけど……結構好きなんだよ、こういうの」
照れくさそうに顔を傾ける紫暮に慌てて弁解する。
「そんなことない! 似合ってる! すごく!」
その言葉は偽りざる私の本音だった。すみれ色のワンピースは紫暮の高い背にちょうどマッチし、柔らかめの生地が彼女の纏う鋭い刃物のような雰囲気を穏やかなものへ変えている。雑誌のモデルだと名乗っても通用するほどのハマリっぷりだった。
「お、おう。そんなに褒められるとは……」
「くだらん挨拶は終わったか?」
しびれを切らしたキャンサーが、相変わらずの口調でそう言った。
◇
「ほれ、これ美味いぞ」
紫暮が投げ渡してきたのは丸いカステラのようなもの入った紙袋だった。道端の移動販売車から買ったもので、店名の“ブルドック亭”は世情に疎い私でも聞いたことがあるくらい有名な店だった。
カステラ玉を1つ口に放り込めば、ほのかな甘みが口に広がる。
「……おいしい」
「だろ? この前はクレープ食わせてもらったからな、そのお礼だ」
こっちの桃色のは果物風味なんだよ、と紫暮は私の持つ紙袋からひとつ取り出し、ひょいと自分の口へ入れた。
「あら、ほんとにおいしい」
「おいおい、あたしの味覚を疑ってんのか?」
スコーピオンのつぶやきに、紫暮は苦笑いを浮かべた。
「お世辞にもそういうことに明るくは見えないもの」
「……否定しきれないのがなんともなぁ」
――未だ、私たちの間には壁がある。私と紫暮に関してはおおむね問題はない。お互いに歩み寄る意思が――少なくとも私にはあるし彼女にもあるように感じる。私とスコーピオン、紫暮とキャンサーはもちろん問題ない。
だが、それ以外は。キャンサーは私のことを未だ明確に敵だと思っているし、スコーピオンも、紫暮に良い印象を持っているとは言い難い。仲間――と言っていいのか怪しい間柄なのが今の私たちだ。
◇
「話し合いたいのはあたしたちの今後についてだ」
クラシックが静かに流れるカフェの店内。格好といい、店の趣味といい、今日は紫暮のイメージが180°変わる日のようだ。
正面に座る紫暮は真剣な面持ちでコーヒーをすすると顔をしかめた。
「苦っ……」
そして無言でシュガースティックの封を開け、一気に全てをカップ内に入れる。
「私たちの、今後?」
私は彼女の言葉をもう一度復唱した。
「なに? まさか今更、やっぱりお前らの魔導書が欲しくなった、とか言うんじゃないでしょうね」
目を吊り上げたスコーピオンの言葉に紫暮は軽く両手を上げ、
「まさか、責任は取るって言ったろ。その言葉に偽りはねぇよ」
3本目となるシュガースティックを開け終わると、紫暮は続ける。
「だがな、そろそろハッキリつけねぇと。あたしたちがただの約束事で縛られる仲なのか、それともってな」
あえて後の選択肢をぼかす紫暮、私はそこに彼女の何らかの意見の存在を感じ取った。
「参考までになんだけど。紫暮はどうなりたいの?」
「……」
私が恐る恐る尋ねると、紫暮はちょうどコーヒーをもう一口飲むところだった。無言で4本目のシュガースティックに手を伸ばすと、彼女はゆっくりと口を開いた。
「――願いについてはどれくらい聞いてる?」
「願い――願いって」
最初にスコーピオンが言った台詞だ。命を賭けて叶えたい願いはあるか、と。私は結局それに“この場を生き残りたい”とそう答えた。
「でも、それは願いというには少し違うだろ?」
「ちょっと待ってよ。どうしてみんな願いにこだわるの?」
私はてっきり、それくらいの気概がないとやっていけないことの比喩として、スコーピオンが使ったのだと思い込んでいた。だが紫暮までそんなことを言い出すとしたら――
「まさか」
――『星座の名前を冠した魔導書は、特別なのよ。いろいろとね』
『それを皆求めてるってこった。これからもそれはそれは沢山、お前さんの魔導書を求めて人が来ると思うぞ』――
先日理科室での2人の台詞がフラッシュバックする。おかしいとは思った。星座の本は通常の魔導書よりもシンプルな能力を持ち、そして通常の魔導書よりも強大だ。だが、それだけなのだ。
強い力は確かに魅力的ではあるが、それを狙って続々と魔導書所持者がこの街に来るかと言われると、正直首をかしげざるを得ない。情報屋を追う際にも感じたことだが星座の本は決して圧倒的な神のごとき力ではないのだ。
「それでも、みんなが狙っている」
噂に尾ひれがついたんじゃなければ、
「比喩じゃない、のか……」
「ご明察だよ」
紫暮の眼光がまっすぐにこっちを見据える。その横に座ってお茶をすするキャンサーも、その手を止めた。そして紫暮は――
「星座の本12冊、そのすべてを手にしたものはどんな願いだって叶う」
そう、断言した。
「いや願いって、そんな――」
「確かにこれも噂だ。尾ひれがついてるかもしれねぇ。だが、そんなわずかな希望にすがりたい奴はいくらでも居ンだよ」
あたしもその1人だけどな。そう言って紫暮は自虐的に笑った。
「つまりだ。ここから先の戦いはあたしの個人的なモンになる。お前さんがついてくる必要はない」
「そうだ」
続きを引き継いだのはキャンサーだった。
「元よりこの場は覚悟ある者のみに許された戦場。己がどれだけ場違いなのか理解したか?」
「言い方がキツいっての! ともかく、もうお前さんが蠍座の所有者であることは広がらねぇ。」
紫暮はぐい、と甘々になったコーヒーを飲みほした。
「つうわけで、お前さんはもう戦っちゃダメだ」
「え?」
「そりゃそうだろ、お前が戦ってまたそれが広まっちまったらどうするんだよ」
確かにそうだ。なら私は――
「安心しろ、蠍座は持ってていい、安全のためにな。だがさすがに11冊集まったら最後はもらうぜ?」
――
「責任は取る。この言葉に偽りはねぇ。危ないときは呼べばそっちすっ飛んで行くからよ」
――
「まあこれで御の字ってやつだ。お前さんは日常を、あたしは蠍座の保管場所を見つけたってわけだ」
今の紫暮の発言でようやく、ようやく理解した。私の迷いの原因。
「紫暮は?」
「あん?」
唐突に何を言うか、と紫暮が驚いた顔をする。
「紫暮が危ないときは誰を呼ぶの?」
「――」
何を言ってるんだ? って顔だ。でもここで止めるわけにはいかない。
「紫暮が危ないときにすっ飛んできてくれる人はいないの?」
「お、おいおい。何を言い出すんだよ。あたしは1人で大丈夫だって」
「本当に?」
「それともなにか? お前さんがすっ飛んできてくれるのか? ははっ」
冗談交じりに言う紫暮の顔にはいつもの余裕の笑みが戻り始めていた。――あくまでそういう態度をとるんなら、こっちにだって考えがある。
「ダメだよ。紫暮が戦っている中で私ひとりだけ日常に戻るなんて」
「――おいおい、お前が夢にまでみた平穏だぞ?」
「嫌だ。そんな平穏の裏側がわかってる状況、耐えられない」
「っ、ざけんな! あたしがなんで戦ってきたと――」
「私は紫暮を仲間だと思ってる! まだ一緒にいた日にちは少ないけどそれなりの死地だって潜り抜けた! それを"お前は戦わなくてもう大丈夫だからここでさよなら"なんて勝手だよ!」
絶句。それが彼女の顔から読み取れる唯一の表情だった。が、それは次第に変わっていく。
「自分勝手はどっちだ? お前さんのそれはただの理想論だ。それもとびきり幼稚な」
「それでも私は――」
「この際だから言っておく。あたしはお前を仲間だと思ったことなんてない。すべては義務感からだ。お前と一緒に戦ったのだって全て、巻き込んでしまったという罪悪感から生まれたモンで絆なんて存在しちゃいない」
「じゃあどうして『あたしたちがただの約束事で縛られる仲なのか、それとも』なんて言ったの?」
私たちはにらみ合う。急に言い合いに発展した現場をスコーピオンがおろおろと見渡す。あとで謝らなければ。
「この言葉はまるでそうじゃない間柄になりたいように聞こえる」
「ああそうだよ。あたしはさっさとお前さんと言う重荷を捨てて戦いの世界に戻りたいんだ! お互いにお互いを忘れる。これでハッピーだろうが!!」
「そんなわけ、そんなわけない!!」
そんなわけがない。忘れられるはずがない。
「忘れられるわけないじゃん! 責任責任言うんだったらそれも責任を取ってよ!」
「そうかよ! ならあたしが助けを求めたら同じようにお前さんが来てくれるってのか? 死ぬかもしれない場面にだぞ!」
「行くよ! 私は――」
「仲間だからーってか? 笑わせるんじゃねぇ! お前はあたしを恨むべきだ! 恨んで当然なんだよ! あたしのせいでお前はこの戦いに巻き込まれた! なのに仲間だと? お前のそれはただの依存だ! 事情を知ってる人間への依存でしかない! そんなまやかしはごめんだね!」
「それが理由?」
「なに?」
「自分は恨まれて同然だ。だから本音は言えないって変にかっこつけるわけ?」
「テメェ!」
雰囲気は完全に最悪だった。怒気をはらんだ声が店内に響き渡る。幸い客はいないようで、店主も店の奥から出てこない。それでもまだ、張り詰めた空気は収まらない。
「私にどうしてほしいか言ってみなよ!」
「ふざけんな! 本音なんてそんなもんねぇよ! テメェの依存をこっちのせいにしてるんじゃねぇ!!」
「……そうだよ、私は依存してる。当たり前だよ。戦いなんて経験していないひよっこなんだから」
「だったら――」
「だったらなんで紫暮はしてないの!?」
「――」
「どんなに取り繕っても紫暮だって私と同じ年齢の女の子じゃん!」
「……違う!」
「違わない!」
ひときわ張り上げた二つの声がぶつかり合った。
「あたしは何人もの人を殺してきた! まだ殺しをためらっているお前とは対極なンだよ!」
「なら余計に頼りたいはず!! まだそこまで行ってない私ですらこんなに不安なんだ! 頼る相手すらいない紫暮は――」
「あたしは強い! お前なんかよりも遥かにな!」
「嘘つき!」
「嘘じゃねぇ!!」
肩で息をする私たちはいつしか顔を突き合わせて、感情を全て表にしていた。吐きすぎた、酸素が足りないと脳が悲鳴を上げるが関係ない。
「紫暮だって不安なはずだよ!? だから私を頼ってよ!」
「あたしがお前を頼るだと? 安っぽい友情劇もたいがいにしろ!! あたしはお前に恨まれるべきなんだよ!! なのになんでお前はあたしに仲間だなんて言うんだ! そんなのおかしいだろうが! 不公平だろ! ――あたしの罪に見合わないだろ!!」
空気が震えた。紫暮の言葉は深い悲しみと葛藤で味付けされ、そのまま空気へ解けていく――それを、私が捕まえた。
「――やっと聞けた」
目の前の彼女が肩で息をしながら吐き捨てた言葉はどうしようもない彼女の本音だった。つまり彼女を動かしていたのは罪悪感だったというわけだ。私という一人の人間を巻き込んだことに対する罪悪感。本当に――
「くだらない」
「は? 状況理解してるか? あたしがいなければいお前は――」
「まだ日常の中にいたかもね。でも、そうじゃないかもしれない。もしかしたら、のその先は誰にも分らないんだ。もしかしたら日常にまだいたかもしれない。もしかしたら別の形で巻き込まれていたかもしれない。もしかしたら魔導書所持者同士の戦いに巻き込まれて事故死、なんてこともあったかも」
私は目を閉じて、もう一度開いた。眼前の紫暮の目の奥、その奥の奥をまっすぐに射抜く。
「だから私が紫暮と出会った。それが全てなんだよ。そこに恨む要素なんてない」
「なんだよ、そりゃ……」
言葉に詰まった紫暮はただただ言葉を繰り返し、戸惑うのみ。
「そしてやっぱり私は、最初に出会ったのがあなたで良かったって、そう自信をもって言えるの。少なくとも私は紫暮と一緒にいて心強かったし、今日ここでお茶を飲むのは楽しかったんだけど――それは私の一方的な勘違いだったのかな」
わずかな絆は私が勝手に感じていただけだったのだろうか。
「あたしはだって、お前を殺そうとして、巻き込んで――」
「紫暮」
「あたしはお前を殺してしまうかもって」
「紫暮!」
「っ――」
紫暮がゆっくりとこちらを向いた。頼りになる人としての紫暮の姿はもうどこにもない。あんなに高かった背も私と同じか、それより低くさえ感じる。
「私はあなたを頼る。私が危ないときはあなたを呼ぶし、私の大切な人が巻き込まれた時だって容赦なく呼ぶ。あなたはどうする? なんて言わないよ。だから――」
彼女だって怖い。命をかけた戦いを怖がらない人間のほうが少ないんだ。だから、私はこう言おう。
「――私を頼って、紫暮」
「……あたしは、一人で、孤独で、戦わなきゃって」
「うん」
「気丈に、強気な自分を……」
「うん」
「――怖かった」
目の前で感情が一気に決壊する。紫暮は大粒の涙をその眼からこぼし、私はそんな彼女を抱きしめてそれを受け止めた。
「最初殺したときのっ……手の感覚が……感覚が残ってて……それで」
「うん」
「仇を打たないといけないのに、こんなところで怖がってちゃって」
「うん」
「そんな感覚すら麻痺してく自分が怖くて……」
「うん」
「留雨十……」
「なぁに?」
「あたしに留雨十を頼る資格が、あるのか」
答えはもちろん決まってる。
「頼って、それと同じくらい、私はあなたを頼るから」
どんなに強くとも、どんなに慣れていようとも、彼女は少女で、弱い一人の人間なのだ。
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