3頁目 嘆けとて、定めし星は、夜に墜ち。

黄道12星座を象った魔導書群は特別だ。とスコーピオンも紫暮も口々に言っていた。多くの人間が狙う貴重なものだと。それなのに、3冊目が目の前にいる。


「3冊目――こんなに早く?」


「よお、待たせた」


後ろから肩をたたかれる。振り返ればそこには紫暮が刀を抜いて立っていた。


「そんで? こいつは――情報屋ってわけじゃなさそうだな」

「情報屋ならあそこ……もう情報は売れなさそうだけど」


 私が指さした方向を見た紫暮の顔がいかにも“うへぇ”と言いたげなものへと変わった。


「大体状況は把握した。とりあえず目の前のこいつをぶち倒せば解決だな!」


 マスク姿の人物は乱入者に怒りを示すかのように首をガクガクと震わせた。ゾンビのような動きはその不気味さをますます加速させる。


 マスクの人物が塞がっていない左手をかざすと、もう一台のチェーンソーが出現してその手に収まった。そのまま奴はこちらへ向かって疾走してくる。


「へっ、このくらい――!?」


 刀で迎撃しようした紫暮の目が驚愕に見開かれる。こちらへ向けて振り上げられたチェーンソーがいきなり膨張したからだ。それは次第に形を変え、牙を生やした口となる。


「――なんだこりゃ!」


 巨大な口を持つ怪物は、マスクの手から離れ、紫暮の立っていた地面へ食いつく。


『魚類……か?』


 尾びれと背びれ――にしては歪み広がりすぎているそれを振り乱しながら、空を泳ぐ怪物は再び紫暮へ襲い掛かる。


「気をつけろ留雨十――留雨十?」


 私は私で動けない状況にあった。マスクは怪物に紫暮を任せることに決めたらしく、チェーンソーを片手にこちらを襲ってきているのだ。


『なんなのこいつの戦い方!』


 スコーピオンがうんざりしたように叫ぶ。マスクの戦い方は一挙手一投足が洗練されている――と言うには程遠い。素人の私から見ても無駄な動きが山ほどあり、遊んでいるともとらえられるものだ。だが、強い。どうしようもなく強い。こちらは反撃する暇さえ与えられず、かといってあちらは決定打を打ってこない。


「――喰らえ!」


 チェーンソーが大きく振られたその隙に潜り込んで、私は片刃剣を構える。このまま振れば目の前のマスクはスコーピオンの、《蝕みと穢れ振りまく天蝎宮ゾディアック・ スコーピオン》の能力により死ぬ――


「――」


 私は刃を反対に向けた。結局、私はまだ人を死に追い込むまでの勇気がない。


 しかし、思い切り振り上げた片刃剣は、巨大な魚の化け物に見事に防がれた。


「二匹目――!?」


 ということはチェーンソーから魚への変化は二台同時に可能ということなのか。


「これが――あいつの能力」


 あまりに奇妙で、そしてなんと強大か。化け物は空中を泳ぎ、その大あごで標的を喰らう。一方チェーンソーはその切れ味でもって敵を切断する。大型の武器特有の攻撃を外した後の隙はチェーンソーを即座に化け物に変えそれをカバー。更には対多人数にも対応とは――


「――いいえ」


 だが、そんな私の驚きと洞察は一瞬にして砕かれることになる。その向こうにあるのはさらなる驚愕と絶望だ。


『星座の名を冠する魔導書の能力には共通点があるの。それはある程度“単純である”ということよ。私は絶対殺害、キャンサーなら切断と防御――あの化け物は少し複雑すぎる』

「複雑……?」

『不本意だが我もそれには同意する。あの怪異は我らと同型の能力にしては手が込みすぎている』


 キャンサーがその声を不機嫌そうに響かせた。未だこちらへの若干の敵意を隠す気はなさそうだが、それでも反応があっただけ良し――としていいだろうか。


「じゃあ、あの化け物は」

『別の魔導書かそれか――』

『本来の機能の内、だったりして』

「はっ? おいおい冗談じゃねぇぞ」


 化け物と戦いを続けながら紫暮が毒づく。


「このクソッタレな魚が機能の内、クソ魚とチェーンソーセットで一つってことかよ。だとしたら……」


 紫暮が続けたい言葉が今の私には理解できた。理解したかったかは別として。

 だとしたら、敵が今までの戦い全てをオマケで戦っていたとしたら。能力はいったいどれだけ強大なんだ?


 急に目の前の人物の影が増したような気がした。得体の知れなさというのは恐怖だ。知らないということを最も恐れるのが人間。私たちはまるで原始時代に還ったかのような恐怖に足を取られ始めていた。

 そして、その恐怖は唐突に終わりを迎えることになる。私が半ばやけくそに仕掛けた攻撃が空を切った。マスク身体を透過したのだ。


「んなっ……!?」

『すり抜けた、の?』


 そして徐々に色を失い、その身が空気へと溶けていく。それは魚の化け物も同様だ。まるでパレットについた絵の具を落とすように薄く、そして跡形もなく消える。最初から戦いなどなかったかのように風が吹けば、そこにはもう誰も居はしなかった。


「消えた……」

「逃げやがったのか。なんでだ?」


 私は地面にへたり込み、紫暮は腕を抑えて壁へと寄りかかる。突然現れて突然消えた。目的も何もわからない。そんな気味の悪い後味を私たちの口の中に残して、マスクの人物との戦闘は終わったのだ。


 ❖


『どうだった? 望んだ岸へ船はついた?』


 どこかも知らないビルの屋上で、そんな声が響いた。


「……」


 人物は無言のまま、つけていた鳥を模したマスクをいじる。手にしていた二台の大型チェーンソーは先ほどのようにエンジンの音を立ててはいない。


『面白くないみたいね、あなたの天使の隣の悪魔が』


 チェーンソーから手を離すと、それは光を失った本へ吸収され、いっきに幼い少女へと変わる。


「まあいいでしょう。あなたが天へ上げる言葉は一つだけ」


 マスクを外さないままその首を縦に振るのを見て少女は顔を空へと向けた。ブルーベリーヨーグルトのような、淡い紫の乱雑な髪が風に揺れる。


「あの人と花畑で、小さい小屋で暮らすんでしょう?」


 また、マスクの人物が無言で首を縦に振る。


「あなたの祈りは届く。いずれ、永遠に」


 少女はヘリポートの上で踊った。芝居めいた動きで、大げさに。


「――この舞踏会の勝者は魚座、すべての星をあなたの手に、すべての蠅に裁きあれ」


 またマスクの人物が頷くと、二人の姿は風に溶け、再び消えた。


 ❖


「……眠い」


 最近ろくに寝ていない。目が覚めてしまってまったく寝付けなかった。原因はわかっている。数日前に対峙したマスクの人物だ。


「星座の本……ね」


 星の名を冠する魔導書。私の蠍座と紫暮の蟹座、そしてマスクが持つ三冊目。私はともかく紫暮を圧倒した奴の技量は恐ろしいものだ。


「あんなのが、後9冊もあるのか」


 まだ見ぬ9冊はいったいどんな能力を秘めているのだろう。そしてやはり私は戦うことになるのだろうか。


「留雨十」

「ん?」


 2階から降りてきたスコーピオンが私の手元を指さす。


「目玉焼き、焦げてない?」

「……あああ!?」


 ◇


「……苦い」

「私がそっち食べるっていったでしょう?」

「だって……」


 精神年齢はともかく、幼い少女に黒焦げの目玉焼きを食べさせるというのは罪悪感が。

 というかスコーピオンが日に日に母親と化している気がする。朝私を起こしに来たり、学校に行くときは持ち物確認をさせたり。


「どうしても我慢できないなら食べるわよ」

「頑張る」


 目玉焼きと言うには黒すぎるそれをお箸でつまんでかまずに飲み込む。それでもなお、少しにがみが広がった。


「それで今日は……紫暮と駅、でいいのよね」

「うん、10時に待ち合わせ」

「時刻表調べたの?」

「昨日ね。9時に出れば余裕」


 紫暮からなにやら相談があるとのことで、私たちは待ち合わせをするのだ。


「それにしても前回会ってからもう三日経つのね」

「時間の流れ早いって」

「同感よ」


 私の情報が流れ出るのを防ぐため、私は情報屋を捕まえた。しかし得体のしれない人物にすぐに殺され――今でもはっきりと思い出せる。


「不安?」


 マグカップを置いたスコーピオンが心配そうな顔をこちらに向けた。


「そりゃね、学校にいるってなれば不安」


 情報屋は最後に重要な情報を残してくれた。私の学校に星座の本を狙う奴がいる。その情報屋は死んだので今となっては誰かわからない。


「でも、これ以上広まるわけじゃないから」

「……そうね」


 情報屋は死んだ。よって私が蠍座の所有者であることは当分広まらないんだ。


「ひとまず安心――って言いたいんだけどね」


 まだ見ぬ脅威があまりにも多すぎる。あのマスクに始まり、あと10冊の星座の魔導書たち、そしてそれを狙うその他の魔導書所持者、警戒するに越したことはない。

 とは言っても気を張りすぎるのも問題だ。と言うのも私自身、道行く人がこちらを見ているような錯覚に陥り始めている。宝くじの高額当選をした人はこんな気分なのだろうか。


「さて、行きますか」


 玄関の電気を消すと私は一歩を踏みだした。


 ◇


「よぉ!」

 

 改札を出ればすぐに元気な声が私を迎えた。一瞬にして紫暮であることを理解した私はそちらに目を――


「へっ?」

「あらこれは……」


 彼女は人ごみの中でなお、存在感を放っていた。背がたかいというのもあるかもしれない。だが、なによりも。


「おいおいどうしたんだよ、そんな呆けた顔してよ」


 こちらに近づいてきた紫暮、彼女が一歩歩くたびにゆらりと服の裾が揺れる。

 最初に彼女と出会ったとき着ていたジャージ姿は、どうやら運動用だったらしい。驚くべきことに彼女の格好はワンピ―ス、それもすみれ色のとびきりおしゃれなやつ。そして――信じられないくらい似合っていた。

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