第11話 飲み会(1)

 四月も二週目となると、本格的に授業が始まる。少なくとも専門科目の場合はそうだ。よく他学部の知り合いからは、教授の都合で頻繁に休講が発生すると聞くが、法学部ではそのようなことはあまりない。無論あるにはあるが、しっかり補講が開催される。

 月曜日は2限から5限まで講義が入っている。正直一日に3コマ以上授業が入ると本当に面倒になるが、サボるとその分は自分に帰ってくるので、きちんと出席することが求められる。それが普通。

 俺は――目覚めたのが10時。そこから大急ぎで準備して2限講義へ走るのも面倒だったので、寝間着姿のまま、佳乃子が作り置きしておいてくれた朝食を食べている。前にも言ったが、俺はあまり講義に出ない方なのだ。


「まあ、午後からは流石に行くか……」


 2限は教科書を読めばなんとか追いつけるが、3限はそうもいかない。教科書が指定されていないのだ。つまり、教授独自の講義内容になるため、レジュメがある意味で必須となる。この学部では、みんなでレジュメやノートを交換し合うという風習はないので、自分でなんとかしなければならない。


「めんどくせー……」


 まだまだ脳内春休みの俺は、早くも自主全休を欲している。そうしてちょっと身震いする。桜もまだ咲いていない東北の春の朝はまだまだ寒い。

 と、スマホが振動する。暗い画面に映されたのは、佳乃子からのLINEメッセージだった。


『おはよう! もう起きたかな? 今日は2限からだよね。真治君のために頑張って朝食作ったから、それ食べて頑張ってね!』


 ……狙っているのか否か、俺の罪悪感を巧妙にえぐってくる文章だった。そういえば佳乃子は1限から講義が入ってるのか。そんな朝早くから登校とは、殊勝なことである。3月まで高校生だったから早起きには慣れているのだろうか。

 とりあえず、午後からはちゃんと出よう。

 俺はそんな悲壮な決意をするのだった。




 3限の大講義室に入ると、早くも人がいっぱいにひしめいていた。時刻は12時半、開始までまだ30分もある。勤勉であるかといえばそうではない。ただ、友人と並んで座る場所が欲しいためだけに、そしてなるべく後ろの席に座りたいがために、早めに来ているだけだ。だって俺もそうだし。

 普段この部屋で使っているお気に入りの席が幸い空いている。後ろから5列目くらいの廊下側、5人掛けの席の右端。特段理由もないが、初めて受けた講義でここに座っていたためか、一番ここが落ち着くように感じられる。

 白いイヤホンを耳につける。そうして適当に音楽を流す。目をつぶる。しばらくしたら開ける。ツイッターを開く。そして閉じる。本を開く。眠くなって机にもたれかかる。

 いつものことである。暇つぶしをしようにも、その暇つぶしさえする気力がわかない。

 瞼を閉じて眠気を待つ。来なくてもかまわない。どうせあと数十分もすれば起きねばならないのだ。


「ここ、空いてる?」


 頭上から声をかけられた。顔をあげると、丹波愛の顔が俺のことを見ていた。

 右人差し指で俺の隣の席を指している。


「ああ」

「ありがと」


 愛想笑いもせずに隣に腰かける。そうしてショルダーバッグから講義用らしいルーズリーフと、指定された参考書を出した。参考書を買うなんてずいぶん真面目なものである。


「いつも思うが、なんでルーズリーフなんだ? ノートでいいだろ」

「整理しやすいのよ」

「ふーん」


 実は俺も一年生の時に、右に倣えでルーズリーフを使ったことがあった。が、すぐに失くすし、折り目なんかがついて汚くなるから、結局ノートにした。ちなみに今は、ノートすら準備するのが面倒で、レジュメに全部メモをしている。


「そういえば今日の2限出た? 知的財産法」

「いや」

「履修しないの?」

「登録はするつもりだが」

「またそれ?」


 丹波は呆れたような声を出す。

 彼女は俺と違って、授業も真面目に受ける。ゼミやサークルも満喫する、バイトも頑張る。いわば模範的な大学生活を送っている。俺とは対照的である。


「2限は起きるのがだるいんだよ」

「そんなこと言ってさ、また泣きつかないでよね」

「……そこをなんとかさ、レジュメ融通してくんね?」

「ばーか」


 冷たい反応。


「金なら払うからさ。あ、あとで飯も奢るし」

「……別にいい。お金儲けのために授業に出てるわけじゃないし」

「知ってる。哀れな子羊を助けるつもりでさ、ここはひとつ」


 手を合わせて拝み倒す。まさに神様仏様丹波様、といった具合。即時のご利益は丹波が一番なので、俺の中では丹波様が一番尊い。


「……しょうがないわね」


 丹波も折れて俺に今日の分のレジュメを渡してくれる。なんだかんだでこういう奴だとは、二年間過ごして分かっている。

 面倒見がいいのだ。

 おそらく、サークルの後輩とも仲良くやっているのだろう。大した人間である。


「サンキュー。コピーしたら返す」

「分かった」


 そこで13時の始業の鐘が鳴った。その前に教授はすでに来ていたようで、学生たちにレジュメを配布していた。




「疲れた……」


 俺は満身創痍で机に突っ伏していた。時刻は18時前。

 4限が終わったらさっさと帰ろうと思っていたら、丹波につかまり、そのまま5限まで無理やり講義を受けさせられた。


「なにへばってんのよ」


 隣では丹波が涼しげな顔で座っている。こいつ、少なくとも2限からずっと講義受けてたんだよな……化け物か?


「こんなに真面目に授業受けたのが久々なんだよ」

「学生の本分は勉強でしょ」

「それはそうだが……俺だって勉強はしてるし、家で」

「授業料の無駄」


 何も言い返せない。


「てかもう18時か。腹減ったな」

「学食でも行く?」

「うーん……」


 正直、夕飯にまで学食を利用するのは気が引ける。家に帰れば佳乃子が晩飯を作ってくれるしその方が安上がりにもなる。


「いいじゃん、たまには」

「……そうだな。行くか」


 そこまで誘われると、強く断る理由もない。俺はこんな具合になあなあで生きている。

 食堂へ移動する。

 夕食時には初めて来たが、割と混んでいて驚いた。思ったよりも学食にはファンが多いらしい。

 アラカルトのレーンに並んでおひたし、白身魚のフライ、みそ汁、中ライスを取って、会計を済ませる。先に席を確保していた丹波の向かい側に座る。


「……それで足りるの?」

「金がないんだよ」


 正確に言えば、金はあるにはあるが食事にそれほど費やそうとは思わない。まして学食だからなおさらだ。


「そんな食生活だと、いずれ破綻するわよ」

「余計なお世話だよ」

「昼は何食べてるの?」

「ラーメン」

「毎日?」

「ああ」

「……やっぱりなんとかした方がいいって。今はまだ若いからなんとかなってるけど、年取ったら一気にしわ寄せが来るから」

「……まあな」


 自分にも危機意識がないわけではない。佳乃子とだっていつまでも暮らしていけるわけじゃない。いずれまた一人暮らしになった時、以前の食生活のようになったら、正直、健康を保てる自信がない。

 ……なんか本当に不安になってきた。これから料理の修行でもしようかな。


「お前は昼飯どうしてんの?」

「お弁当」

「自分で作るのか?」

「うん。見たことなかったっけ」

「多分ない。いや、あったかな。分からん」

「弁当、いいわよ。安いし」

「だろうなあ」


 今度佳乃子にお願いしてみようかな。

 などと考えていると、


「私が作ってきてあげようか?」


 予想外の申し出が来た。


「なんだよ、藪から棒に」

「別に……食べたそうだったから。嫌ならいいけど」

「うーん……ありがたいけど、いくらだ?」

「私はそんなにケチじゃない」


 すねる。


「……悪かった」


 素直に頭を下げる。


「お願いしてもいいか?」

「ええ、もちろん。あ、そうだ。じゃあさ、こっちのお願いも聞いてくれる?」

「ああ」

「今日これから、飲みに行かない?」


 また藪から棒な申し出だった。


「いいけど……平日だろ」

「どうせ明日は4限だけでしょ」

「まあ……」


 時間割を組んでみたら、なぜか火曜日が4限しか入っていなかった。何回もシラバスを見返してみたが、どうやら他のコマにはすべて、俺がもう単位を取った講義しか開講されていないらしかった。

 同じように、丹波も4限しか入らなかったらしい。こいつのことだから学部外履修でもするのかと思っていたが、どうやら違うみたいだ。


「じゃ、行くか。どこにする?」

「『えびがわ』でいい?」

「ああ。俺もそこがいい。……サシか?」

「だめ?」

「駄目じゃないが……ほら、この前紹介した子、いただろ。松川」

「うん」

「あいつも連れて行ったらどうだ?」

「いいけど、未成年じゃないの?」


 確かに、松川は現役合格と言っていた。


「酒を飲まさなければいい」

「それって、居酒屋の必要なくない?」

「いや、新入生にとって飲み会は知らないことの方が多いだろう。雰囲気とかさ。これから新歓でいろんなところ行くかもしれないし、『国分町はこんなところだ』って雰囲気を感じさせるのもありだろう」

「一理あるけど……今日はサシがいい」

「なら二人でいいか」


 何か事情があるのかもしれない。松川を無理に誘うこともないし、相手が二人がいいと言うなら、俺だって断る理由がない。

 というわけで、突発的に飲み会が開催されることとなった。

 ……一応佳乃子には連絡を入れておこう。

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