第12話 飲み会(2)

 学食を出て歓楽街へと向かう。地下鉄を使っても行けたが、大学から片道200円。徒歩だとおよそ30分。俺も丹波も二人して徒歩を選んだ。仙台の地下鉄は高い。

 橋を渡って某ラーメンチェーン店を通り過ぎると、だんだん街の様相が変わってくる。ざっくり言えば、繁華街っぽくなる。大学が山の中に切り拓かれているだけに、降りていくとそのギャップに最初は戸惑うことも多い。

 デカい交差点の前に来る。ここを左に曲がるとドン・キホーテやパチンコ屋、ラブホテルなどが立ち並ぶ晩翠通ばんすいどおりに入る。おそらく土井晩翠どいばんすいにちなんでいるのだろう。俺は土井晩翠を知らないけど。

 交差点を直進する。

 巨大なビジネスホテルを左手に進むと、やがて『国分町こくぶんちょう』と派手なネオンで飾られたアーチが現れる。まっすぐ行くとカラオケや焼き肉屋なんかがある。

 左に曲がる。そのまま歩く。道路わきには居酒屋や風俗の客引き、酔いつぶれたオッサン、捨てられて煙を吐いているタバコ、チューハイの空き缶、タクシーの列。「お兄さん今日はどこで飲みですか?」「フェラチオ安くしとくよ」などという声が左右からかけられる。初めて来たときは、なにか裏社会の陰謀に巻き込まれるのではないかとビビったものだった。

 しばらく歩いたところのビルに、お目当ての居酒屋『えびがわ』の看板が姿を現した。

 階段を昇ってドアを潜ると、店員の「いらっしゃいませー!」という威勢のよい声が聞こえる。


「何名様でしょうか」

「二人です」

「かしこまりましたー」


 すぐに案内の店員が現れ、すぐ左手の6人掛けのテーブル席に通された。週末は人でにぎわうこの店も、流石に平日の夜は閑古鳥が鳴いている。俺たち以外には大学生らしい男四人組と、やたらと派手な女性二人のほか、誰もいない。

 2時間飲み放題を注文してビールを頼む。丹波もビールを所望した。この店は2時間飲み放題が1500円。アルコールの種類も豊富だから、学生にはありがたい値段である。


「お前、ビール苦手じゃなかったっけ」

「最近飲めるようになったのよ」

「なるほど」


 よくあることだ。俺も最初にビールを飲んだ時、あまりにもクソまずくて一口でやめたが、今ではビール無しでは生きられない身体になっている。かなしい。


「にしても急な飲みだな」

「いいでしょ、別に。急に思いついたんだもの」

「そうか」

「ええ」


 ビールが二杯、お盆に載せられてやって来た。


「じゃ、乾杯」

「乾杯」


 カチン、と冷えたグラスを鳴らし、そのまま口へ運ぶ。炭酸のピリッとした感じ、ビールの苦み、冷えた爽快感。


「っかあ~」


 思わずこんな声が出てしまうのも許してほしい。キンキンに冷えたビールほどうまい飲み物はない、と俺は思っている。


「オヤジくさ……」


 対する丹波は、ちびちびと飲んでいるようだ。人の飲み方に口出しするつもりはないが、ビールに限ってちびちび飲んでうまいのかは疑問に思ってしまう。


「なんか食いもん頼むか」

「私、唐揚げ食べたい」

「オッケー。チャンジャも食べるか」


 テーブルに備え付けのタブレットをいじる。


「にしてもお前から誘うなんて、珍しいな」

「そう?」

「酒は好きじゃなかったと思うが」


 俺の記憶では、丹波はあまりアルコールを嗜まない。弱いのかとも思ったが、純粋に酒が好きじゃないという。

 俺が誘えば付いてきたが、それでも甘いカクテルを1、2杯飲んでいるくらいだった気がする。


「最近いろいろ悩むことがあってさ。……進路とか」

「ああ……」


 うわ、一番聞きたくないものを聞いてしまった。

 俺たちは大学三年生。学部は四年生で卒業だから、あと二年も経たずに卒業を迎える。その後の進路は、就職か進学。教授曰く、法学部は民間就職が三割、公務員が三割、進学が三割とのこと。進学先はほぼ法科大学院だ。

 二年というと、結構長いようにも思えるが、世間によれば早め早めに動いた方がいいらしい。つまり、そろそろ自分の将来について決めなければならないということだ。


「でもお前は進学一本だったんじゃなかったっけ」


 丹波はいつか「私は検察官になる」と意気込んていたはずだ。学部の講義に真面目に出ているのもそのせいだろう。最近では司法試験を意識した講義もある。


「そうだったけど……最近、よくわからなくなって」

「というと?」

「最初は『検事になるんだ』って意気込んでたんだけど、本当にそれでいいのかって考えたら、さ」

「なるほどな。検事になりたいか分からなくなったと」

「そういうこと」

「俺が言えたことじゃないけど、いいんじゃないの、検事。目指して損はないだろ」

「でも、検事になって一生を過ごしたいかって考えれば、そうでもないかなって」

「ふーん」


 ありそうではある。仕事一筋で生きるか、プライベート重視で生きるか――これは将来を考える際に必ず突き当たる選択肢だろう。無論検察は仕事一筋の部類に入る。

 丹波も、今はそのあたりで揺れ動いているといったところか。


「法科大学院に入って民間就職って手もあるんじゃないのか?」

「だったら最初から民間一本でいく」

「頑固だな」

「人生は有限なのよ」


 言ってることがイマイチよく分からん。酔ってるらしい。どっちがだろう? 両方酔ってるのかもしれない。


「尾崎はどうするの?」

「俺は――民間かなあ」


「かなあ」とつけたのは、民間に強くこだわっているわけではないからだ。が、公務員ルートだと公務員口座に30万。大学院だと年間100万の学費がかかる。それを比較すると、どうしても民間に引っ張られる。


「なんか煮え切らない」

「うるせえ、できるだけ考えないようにしてたんだよ」

「――なにそれ?」


 ずいと、丹波が俺の方へ身を乗り出した。目の前に端正な顔立ちが迫り、ついでに胸がテーブルと身体の間で押しつぶされている。

 少し、顔が赤い。怒っているようにも見える。


「私たち、もう今年で21歳なんだよ? いつまでも将来からは逃げられないって。これから40年間、働かないといけないんだし。いつまでも子どもじゃいられないんだよ」

「それは……分かってるよ」


 目をそらして、言う。

 ダサくてカッコ悪い。

 心をなじられて、でもそれは正論だから、これが精いっぱいの反応だった。丹波は何も間違ったことは言っていない。

 俺たちはもう子どもじゃない。子ども時代とは、20歳の誕生日に訣別したはずだ。いい加減、大人にならないといけない。


「ほんとにわかってんの?」

「ああ。俺だって、将来で悩むことはあるよ。……本音を言えば、一生今みたいな感じで、だらだらして生きていけたらいいと思ってるけど」

「そんなの無理に決まってんじゃん」

「分かってるって」

「分かってない」

「分かってるから」


 思わず、少し強めに言ってしまった。丹波は赤くなった顔を少し白ませ、


「……ごめん」


 大人しく引っ込んだ。

 店員が、さっき頼んだ唐揚げとチャンジャを持ってきた。丹波は箸でそれをつつきつつも、所在なさげにさまよわせている。


「私、酔ってるかも」

「ああ、多分酔ってる」

「…………あーもう! だめだめ!」


 突然大声をあげた。

 丹波は両手で頭を掻いた。


「酔って嫌なこと忘れちゃお!」


 そう言って、酒のオーダーをする。

 それ、アル中への入り口だぞと言おうと思ったが、やめておいた。俺も今夜は付き合ってやろうじゃないか。




「もう一軒いってみよー!」

「お前、もうべろんべろんだろ……」


 たった2時間の飲酒で、すでに丹波はできあがっていた。顔はもうまっかっか、脚は千鳥足という体たらく。

 おいおい、日本酒や焼酎なんかを飲んだわけじゃあるまいし……。どうやら丹波は割と強くはない方らしい。しかも酔うとテンションが馬鹿みたいにあがる。


「なによお、うっさいわねえ。私の酒が飲めないって言うのお~?」

「飲めない飲めない。帰るぞ」


 俺が先へ歩くと、「あ、待ってよお~」と追いかけてくるが、すぐにふらついて転びそうになる。駄目だ、こりゃ。しかもこんな場所でトラブルなんて起こしてほしくない。ほら、周りにスーツ着た強面こわもてのオッサンがうじゃうじゃいるし。ここでは喧嘩の場面もよく目にしている。


「ほら、肩貸すから。今なら地下鉄もあるだろうし。家まで帰れるか?」

「何言ってんの、これから二次会よ! 私の家で!」

「いや、明日4限あるって――」

「どうでもいい!」


 模範的大学生にあるまじき発言を聞いた。

 とは言うものの、こいつがここまで酔うまで止めなかった責任も感じなくはない。

 それに、やはりストレスが溜まっているのだろう。普段きっちりと生きていると、本人も知らぬ間に不満が募る。それがアルコールにより、こうして表面に出てきたというわけだ。

 まあ、付き合ってやらんでもない、かな。


「しょうがねえな……」


 こうして、やけ酒二次会at丹波家が決定したのだった。

 佳乃子、怒らないかな。……まあ大丈夫だろ、子どもじゃないんだし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る