第4話 熱狂


 室外機問題のウケは良かった。有坂が一つのテーブルでこの話題を振ると、そのテーブルにいた「数学士」はみな爛々と目を輝かせて食いついた。

 見る限り、数学士の多くは二十代から三十代だと思うが、大人がまるで子供のように目を輝かせるのだ。

 眩しかった。自分にはこんなに目を輝かせられる対象があるだろうか、と思った。

「なんかわりと簡単に行けそうだな」「『どれくらいの時間』、っていうのは?」「そこなんですよね、だから多分ある時間を決めて、そのうちどれだけの割合かっていう」「じゃその時間をtとして極限とる感じですか?」「え、極限?」「例えばt分のうち静かなのはどんだけって話になったら、tを変えると答えも変わっちゃうので、tの極限とって全体のうちどれだけかっていう」「いや、そこはmnでいいと思います。とりあえずmとnは整数でいきましょう」

 あれ、もうこれ議論始まってる? 置いていかれるところだった。

「位相のズレ考えないといけないって話ですよね、いつも両方『うるさい』から始まるとは限らないから」「例えばmとn同じだったら最悪ずっとうるさいですもんね」「ウケる」

 ウケるなよ。

「位相のズレっていうのは?」「トポロジーじゃなくてフェイズの方ですよね」「はい。いつも両方の室外機が『うるさい』から始まるとは限らないですよね、例えば両方1分で切り替わるとして、両方『うるさい』から始まったら1分毎に静かになるけどズレて始まったらずっとうるさい」「これ、三角関数でいける気がしません?」「あーなんかわかる」「sin(2πm)とsin(2πn)かけて、でその符号をとるとか」「フーリエっぽい感じもありますね」

 フーリエっぽい感じってなんなんだ。

「とりあえず一個書いてみますか。5と7で」「5と7だと多分でかいですよ、2と3とかにしましょう」

 壁のホワイトボードに図が描かれる。2つの室外機の運転の状況を表した図だ。

(図:https://twitter.com/motcho_tw/status/1093783053753769984)

 やはり図を見てわかることは多い。誰かが言う。

「『両方うるさい』をU、『片方うるさい』をAとB、『両方静か』をSとして数えると上から3、3、3、3。全部同じですね」「そうするとSは全部で12ブロックあるうちの3ブロック。1/4ですね。1/4静か」「え? そこ12ブロックなんですか? mnの6ブロックではなく?」「あー……。えーと」「あそっか。『もとの状態に戻ってくる』までを考えると2倍しないといけなくて、だから全体のブロック数は2mnですね」「てか図の時点で2mnですね」「確かに」「あれ? てかこれ自明に1/4じゃない? 常に」「え?」「だってnが何分でも運転と停止は同じ期間だけあるんだから1/2の割合でうるさいでしょ。mも同じでしょ。1/2×1/2で1/4」「え? あれ本当だ」

 数学士たちが「え?」「あれ?」などと頻繁に言うのは意外だった。数学ができる人なら、どんな問題でもパッと解けてしまうというイメージがあったからだ。

「いや待って待って、もう一個例がほしい。3と5とかでやってみよ」

(図:https://twitter.com/motcho_tw/status/1093783443735887872)

「上から8、7、7、8」「あっ、一緒にはならないのか」「あらら」「UとSの個数は一緒になるんですね」「『うるさい』と『静か』とは双対というか、数学的には区別できないので、当然といえば当然」「なるほど」「線対称になるんですね」「さっきは点対称でしたね」「『うるさい』と『静か』が区別できない、っていうのが現れている感じですかね」「ええと?」「この図の前半と後半を見たら、状態がひっくり返ってるだけで全く同じなので……」「あーなるほど」「用語の確認なんですけど、『状態』ってのは運転状況ってことですよね、『うるさい』か『静か』か。で『ブロック』ってのはありうる状態ひとつ分」「ですね」「何個か図を書いてみましたけど、これ少なくとも一方が偶数かどうかで分けたほうがいいかもしれないです。片方偶数だと全部同じになる気がします」「図の前半と後半見たらそりゃそうですよね、前半が『両方うるさい』から始まってた場合、片方偶数だと後半は『片方だけうるさい』から始まるわけで、UとAは同じになる。UとSが同じことはもうわかってるんで、UとAが同じなら全部同じで1/4ですね」「じゃ両方奇数のときだけ考えればいいってことですね」「はい」

 有坂がさっき「数学あんまりわかってない」と言ったとき、いくらなんでもそんなことはないだろうと思っていたが、たいがい真実なのかもしれなかった。むしろ、「数学わかってない」有坂が適宜聞き返してくれることで、数学が不得手な自分もこの会話についていけている。ここに来てはじめて、有坂に親近感を抱き始めていた。

「これ互いに素に帰着させていいんですかね、nとm」「いいんじゃないですか? だって3と5は30と50のときと同じでしょ」「ジーシーディー(最大公約数)で割れるだけ割っても一般性は失わないんで、互いに素に帰着させていいってことですね」「パリティ(偶奇)……パリティっぽい気がするんだよなあ……」「木暮さんはそれ何してんの?」「ん〜、とりあえず、単位時間あたり平均λラムダ回運転と停止が入れ替わるとき、Aが2m+1回、Bが2n+1回切り替わるのにかかる時間の確率密度関数求めてる」

 そう言った木暮の手元には「入」みたいな記号がたくさん並んだ数式が書かれている。しかし、何を言っているのか全く分からなかった。だがそれは心地よくもあった。どうせ結論以外は理解できずともよいのだ。誰かが全くわからない話をしているのを聞くのは面白い。自分の知らない世界がこんなにも広いということを意識させてくれる。

 この未園空数学事務所という場では、何人かで議論をしていることもあれば、いまの木暮のように議論の輪から離れて一人で考えを突き詰めている人もいる。

「こんなふうに考えてみたんですけど、これでいけないですかね」

 いま輪に入ってきたのも、そんなうちの一人だった。

「やっぱりパリティが使えないかと思ってたんですよね。まず一つ一つのブロックに番号をつけるんですよ、0からmn−1までの。例として3と5のときのことを考えるんですけど、3分のほうにはその番号をmod3(3で割ったあまり)したものを書くんです。5のほうはmod5」

(図:https://twitter.com/motcho_tw/status/1093783810485809152)

「そして、この二つの偶奇が一致しているところを見ると、『うるさい』か『静か』の状態が一致しているところになってるんです」

 ええと……。

「つまり、

 余計こんがらがった。

「つまり、偶奇が一致しているブロックの数を数えれば、U(両方うるさい)とS(両方静か)のブロックの個数が出てくるので、それを数えて半分にすればSだけの個数が出てきます。UとSは同じ個数なので。そしてそれを全体のブロック数で割れば、102号室が静かになる割合がわかります」

 なるほどそういうことか。「つまり」を二度も重ねさせるのは気が引けたが、こんな自分にも懇切丁寧に説明してくれるのはありがたかった。

 ほかの数学士にとってもそれは大きな進展に見えたようで、「おお!」とか「なるほど!」とかいう声が各所からあがっていた。

「3と5の場合だと30ブロックのうち8個。8/30=4/15の割合で静か。いまこれは3と5の場合について一個ずつ『数える』ということをしたので、一般のmとnで言えてる話ではないし、構成的に出す方法でもない」「そこをどうするかですよね……」

 一旦話は落ち着いたようだった。そして、その日はこれ以上の進展はなかった。

「まあ問題によりますが、いつも一日で全部解決できるというわけにはいきません。また進展がありましたらお知らせしますよ」

 有坂は最後にそう言った。


 安堵していた。

 この調子なら、室外機問題が解かれるのも時間の問題だろう。そう思っていた。


(続)

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