第2話 未園空数学事務所
受付の人の案内で通されたのは、雑然とした部屋だった。「事務所」と言われれば確かに事務所然としている。
入り口のドアに貼られた、あまりに簡素な「
指示に従い、インターホンを押す。
「あどうもこんにちは! はじめまして……ですよね?」
ドアを開けた人物のテンションに一瞬たじろいだ。暴力的なまでの陽性のキャラクター。苦手なタイプだ、と直感的に思った。初対面で懐に入ってこようとされるのはあまり得意ではなかった。
慣れない状況で緊張していたので、無愛想に対応されるよりはまだ良かったのかも知れないが。
その部屋は雑然も雑然であり、10畳ほどの部屋に統一感のないガジェットが所狭しと並んでいる。3Dプリンター、プロジェクターから半田ごて、ガチャガチャの機械まで。あの六角形のマス目が書かれたボードは何に使うんだろうか。
雑然としてはいるが、雰囲気として嫌いではなかった。
どうやら、ここが「応接室」にあたる場所らしい。
「今日一番乗りですよ」
それを言われて一体どう反応すればいいというのか。確かに他には誰もいない。
「ええと、ここの所長さんですか?」
「ああいやいや。所長というかオーナーはまた別にいて、
自分はてっきり「
「あ……あの、」
「はい?」
笑顔の圧がすごい。この暴力的な笑顔もこれはこれで彼なりの処世術なのかもしれない。
さっきから気になっていたことを聞いてみた。
「受付のあの方は……? あの、髪の長い」
「ああ、
「あ、いえ、間に合ってます」
別に間に合ってなんかいないのだが、緊張が言葉となって出てしまっていた。
「
どこでその名を知ったかは忘れた。多分、SNSだったと思う。数学で分からないこと、行きづまった部分があったとき、ここに行けば何とかしてくれる、力になってくれる。誰かがそう言っていた。
であれば、今回の悩みにはうってつけだろうと思った。どんな場所なのか、自分の目で見てみたいという思いもあった。
「あの……初めて来たんですけど」
「ええ、ええ。大丈夫ですよ」
何が大丈夫だというのか。今わかった、この有坂とかいう男、軽薄すぎるのだ。どうも「数学」というものに抱いているイメージと、この男の軽薄さとが結びつかず、据わりの悪い心持ちだった。
「それで、本日はどういう?」
「あ、はい、実は……」
室外機問題の概略を説明する。5分で「うるさい」状態と「静か」な状態とが入れ替わる室外機と、7分で入れ替わる室外機。その二つに挟まれた自分の部屋が静かになるのはどれくらいの時間か?
「あ〜なるほどなるほど。はいはい。……えっこれめっちゃ面白い問題じゃないですか」
有坂は少し考えてそう言った。現実の問題に苦しめられている自分としては面白がってなどいられないのだが、確かに数学の問題としてはわりと面白いという自覚はあった。
「5と7とは、mとnとに一般化していいですよね」
「あ、はい」
その発想はなかったが、おそらく数学者にとってはそれは自然な感情なのだろう。
「どれくらいの時間か? というのはちょっと曖昧ですよね、ん〜ここどうしようかな。そこちゃんとしないといけないな。だから多分
だんだん気になってきていた。この事務所では、実際にはどうやって問題に取り組むんだ? まさかこの男が一人で全部?
「いやいや、それは違います。私なんてむしろ数学あんまりわかってないですから。そこは任せてください。うちの優秀な数学士集団に」
「数学士……?」
「はい。隣の部屋に大勢控えてるので、このあとこの問題をうまいこと振ってみます。そこで解決するかもしれないし、まあ解決しないこともあるでしょう」
この事務所の内実がどうなっているのか、まったく掴めなかった。
「よければご覧になっていきます?」
(続)
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