第2話

サンシャが強い魔法の気配に気づいたとき、隊列の最後尾にいた兵士が早駆けで前まで報告にやってきた。

「隊長! 駐屯地に異変です! なにか強力な魔法が使われた模様です!」

 そのとき、シルヴィアは見た。駐屯地から、尾を引く流星が素早く夜の闇を横切っていくのを。……いや、あの銀色の流れは流星ではない。ユニコーンたちだ。

 遠目でも、オリヴィエにははっきりと見えた。その先頭を率い、再び幻の中へと仲間たちを率いていくエヴァランが。

「なんということだ! あれはまさか、ユニコーンの群れか? どういうことなのだ、オリヴィエ?」

「申し訳ございません。お父さま」

 オリヴィエの目は、いまはもう遠い、すぐに見失ってしまうだろうエヴァランにくぎ付けだった。わずかに残った理性が、打ち合わせ通りの言葉を唇から紡ぎ出している。

「私の脱走で気付かれたようです。裏をかかれたのかもしれません」

 サンシャは娘の言葉とは裏腹に、オリヴィエが浮かべる微かな笑みと、流れ落ちた涙を見逃さなかった。まさか、という疑念が胸をよぎったとき、後方から駆け付けた兵士が「隊長!」と指示を乞うた。

「総員、撤収! 駐屯地に戻れ!」


 ものものしい蹄の音を響かせて、兵士たちが戻ってくる。レイラとシルヴィアは、厩舎へと走り込んだ。

「ウィル! ユニコーンたちはもう逃げた?」

「兵士たちが戻ってきたわ。私たちも逃げないと!」

「いいや、まだだよ」

 あっけらかんと言ったウィルに、レイラは大きく足を踏み鳴らした。

「どういうことよ! いま逃げないと、あなたいったい自分がどうなるかわかっているの?」

「ごらんよ」

 レイラの激しい言葉に対して、ウィルは静かだった。その指先には、泥土にまみれた哀れな仔ユニコーンの死体があった。

 ウィルは近寄ると、そっと撫でた。

「僕たちは、これをよく見ておかなくちゃならない」

 無残な死をあらわにして横たわる、幼いユニコーンの死体にレイラもさすがに言葉を失った。

「……いくらユニコーンたちが速いとはいえ、長老たちは弱っている。万が一、であっても、もうこんなところに閉じ込められるようなことがあってはいけないんだ」

 ウィルはゆっくりと立ち上がると、厩舎から外に出て行った。

「待って、ウィル。一体なにを……?」

 ウィルは振り返ると、小さく二人に微笑んだ。

「ちょっとの間、耳を塞いでいてくれる?」

 サンシャは、先導隊として先に行かせていた兵士と馬たちが、眠りこけているのに気付いた。そして、大群の馬の駆け足の音にも負けず、響いてくる歌声に気が付いた。

「眠りの魔法……!」

 それは、たった一人の少年のボーイソプラノだった。サンシャは反撃の魔法を繰り出そうとしたが、眠りの魔法があまりに強すぎて、抵抗するだけで精一杯だった。周りの兵士は次々と倒れていき、オリヴィエまで眠り込んで落馬しそうになったのを、間一髪で支える。

 気が付けば、隊のなかで意識を保っているのは、自分たった一人になっていた。サンシャの馬も眠り込み落馬したが、オリヴィエを抱えてどうにか最小限の衝撃で抑えた。

 無傷で眠り込む娘にほっとして、この歌声の人物を探そうと目を凝らす。

 そこに見出したのは、いるはずのない、あかがみの髪に黄金の目をした、ウィル王子だった。

「まさか……!」

 驚きのあまり、気の緩んだのが運の尽きだった。抵抗がゆらぎ、眠りに引きずり込まれてしまう。

 ウィルは、最後の一人が眠りについたのを見届けると、おそらくオリヴィエの父親なのだろうな、と思いつつその腕からオリヴィエを抱き取った。

 それから、ウィルの後ろで耳を塞いでいた、レイラとシルヴィアにオリヴィエを頼んだ。

「彼女の耳を塞いでいてあげて。僕はもう一曲歌うから」

「でも、ウィル、あなた魔法の使いすぎなのでは?」

 おずおずと言ったシルヴィアに、ウィルはにこりと笑った。

「でも、僕にできるのはこれくらいしかないから」

 そして、再び眠り込んだ兵士たちの方へ向くと、ウィルは見事な歌声で歌い始めた。


噴水のゆるきしたたり。——

  霧しぶく苑の奥、夕日の光、

水盤の黄なるさざめき、

なべて、いま

ものあまき嗟嘆の色。


噴水の病めるしたたり。——

いづこにか病児啼き、ゆめはしたたる。

そこここに接吻の音。

空は、はた、

暮れかかる夏のわななき。


噴水の甘きしたたり。

そがもとに痍つける女神の瞳。

はた、赤き眩暈の中、

冷み入る

銀の節、雲のとどろき。


噴水の暮るるしたたり。——

くわとぞ蒸す日のおびえ、晩夏のさけび、

濡れ黄ばむ憂鬱症のゆめ

青む、あな

しとしとと夢はしたたる。


ウィルの最後の一声が、夜の闇に消えていく。兵士たちの顔はみな青白くなり、そこには一様に恐怖が見える。

「これは……悪夢の魔法?」

 レイラはささやきながら、隣のシルヴィアが怯えた顔をしているのを見つけた。

「悪夢の中でも、自分の罪悪感を引きずり出して悪夢を見させる、悪夢の中でも最も恐ろしい悪夢の魔法よ」

「今夜の悪夢で、ユニコーンを見なかったとしたら、その兵士は本当に救いがないね」

 ウィルは悲しい微笑みを浮かべ、振り返る。その途端、ぐらりと身体が揺れた。

 あっ、とレイラとシルヴィアが手を差し伸べた瞬間、頭上で一羽のカラスが鳴いた。それは、一瞬のうちにウィルに向かって滑空すると、またたくまに人の姿となって、倒れようとしていたウィルを支えた。

 カラスの濡れ羽色の髪。人の心をざわつかせる雨が降り出しそうな雲の灰色の瞳。

 オーウェン・メイスフィールドがそこに立っていた。

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