第9話

「長老たちを助け出そう」

 ウィルの言葉に、その場の誰もがあかがね色の髪の王子に目を向けた。

「絶対に助け出すんだ。もう誰も、死んでしまわないうちに」

「己の業の深さに焦りを覚えたか? 人間の王子よ」

 エヴァランは、せせら笑いながら顔をあげた。言い返そうとしたウィルは、まともにエヴァランを見つめて、息を呑んだ。

 それまででも、エヴァランはその立派な体躯で人間の少年少女を圧倒してきたが、清らかな水で人間の魔法の傷を癒したエヴァランの迫力は、いや増すばかりだった。

 毛並みは艶やかさを増し、わずかな風にゆれるだけできらきらとこまやかな光が散る。そして、眼は心を見抜かれていると思えるほど冴え冴えとしている。そしてなにより、ただそこに立っているだけで、紛れもなく強い魔力を持った生き物であるということが自覚できる。

 それがたとえ、今まで見てきた魔法とはまったく違うものだとしても、優れた歌を歌い、魔法を操る主であろうことが、一目見ただけでありありとわかる。それほどに、エヴァランの存在は際立って見えた。

 回復したエヴァランのあまりの迫力に圧倒されて言葉のないウィルに、エヴァランはさらに畳みかけた。

「私の群れが捕らえられて久しい。その間、オリヴィエが父の部隊の道程を覚えていてくれたおかげで、後をつけることは容易かった。隙を見ては、あの忌々しい結界を打ち破ろうと試みたが、いまだに果たされていないのだ。自分をよく顧みてみるがいい、人間の王子よ。お前にいったい何の力がある?」

 エヴァランは、人間を統べる王の息子としてウィルを見ていたし、それゆえの敵意を隠そうともしなかった。

 生気を取り戻したユニコーンの勇士が、怒りを瞳に込めて、厳しい言葉を吐き出すと、それだけでウィルの幼い、あまりにも無邪気すぎた心は怯みそうになる。衝動的に、この場から駆け出して、どこかに逃げてしまいたい気分になった。しかし、ウィルは両足に力を込めて必死に堪えた。

「……僕は、あの結界を通り抜けることができる。それなら、結界を作っているオルゴールを壊すことだってできるはずだよ。それから、厩舎からユニコーンたちを逃げ出させればいい」

「そうして我々は、ほんの一瞬外へ抜け出した途端、たちまち兵士たちに囲まれるのか? 逃げようと焦る我々と、それを封じ込めようとする兵士たち。そのうち、焦った兵士がまた、我々を無理にとらえようと、攻撃をしかけてくるだろう。結果は、私の仲間の無駄死にだけだ」

 必死の提案を無残に却下されて、ウィルは返す言葉がなかった。視線をさまよわせた先には、二人のいとこがいた。

「レイラ、シルヴィア。僕に、力を貸してほしい。どうしても、ユニコーンを助けたいんだ。……いや、助けなきゃいけないんだ、絶対に」

「頼まれるまでもなく、シルヴィアはその気よ。いま、知恵を絞っているところなんだから、静かになさいな」

 レイラに言われて、目をしばたいたウィルは、シルヴィアが伏し目がちになって、考え込む表情になっているのに気が付いた。

「ねえ、レイラ」

 しばらくの沈黙の後、シルヴィアは呼びかける。待ちかねたように、「なあに? シルヴィア」とレイラは応えた。

「兵士たちの人員の大部分を出動させるとしたら、どんなことだと思う?」

「そうねぇ……」

 レイラは小首を傾げる。

「やはり、王命が最優先だから、ユニコーンに関わることではないかしら。あとは、彼女ね」

 いきなり、指さされたオリヴィエは、「私、ですか?」と眉を上げた。

「あなたの話を聞いたところ、サンシャ・リヴァー隊長は、あなたを溺愛していたのでしょう。行方不明の娘が現れたとなれば、兵を出さずにはいられないと思うわ」

「あるいは、その二つが組み合わさるか」

 シルヴィアの瞳がきらめいたのを見て、ウィルとレイラは、考えがまとまったらしい、と見て取った。

「オリヴィエ。あなたには一度、駐屯地に戻ってもらうわ。それで、父君のところへ行って、ユニコーンのところから逃れてきたというの。そして、こう言うのよ。……逃げたユニコーンが、他の群れを率いて、こちらに向かって来る、と」

「なるほどね、さすがシルヴィアだわ」

 ぱん、とレイラは手を叩いて、笑顔を浮かべた。

「たった一頭ユニコーンでも苦戦するのよ。それが、さらにもう一群れ現れたとなれば、兵の大半を割いて迎え出ることになるでしょうよ。赤の他人の証言なら信じなくとも、命からがらユニコーンのもとから逃げてきた実の娘の言葉なら、きっと疑わないはずだわ」

「けれどもそれでは、駐屯地の兵を警戒させるだけでありませんか?」

「あなたが他の場所に誘導するのよ。なるべく遠く、すぐには戻ってこられないようなところへ」

 オリヴィエの質問に、シルヴィアはすばやく答えた。一度考えの整ったシルヴィアは、流れるように話を続ける。

「そうしたら今度は、ウィルの出番よ。手薄になった駐屯地に変身して忍び込んで、オルゴールを壊すの。そうしたらエヴァランは、仲間が囚われている厩舎なんて、簡単に壊すことができるわ」

「さすが、シルヴィアだ!」

 シルヴィアのアイデアに興奮するウィルに対して、あくまでもエヴァランは冷ややかだった。

「浅はかな子供の計画だ」

 不思議そうに振り返ったウィルに、エヴァランは続ける。

「その計画では、まず、いかに大部分の兵士がオリヴィエについて行ったとしても、見張りの兵士が残っているだろう。ユニコーンはたしかに俊足だが、人間の魔法にあてられて、群れのみなは弱っている。本来の早駆けはできないだろう。少数の兵にですら阻まれれば、逃げ切れまい。それになにより、オリヴィエがユニコーンを逃がしたことで、王命に背いたことになる。死刑は免れられないのではないか?」

「それは……」

 口ごもったウィルに対し、レイラは進み出た。

「ユニコーンのエヴァラン。私たちのシルヴィアは、とても賢いのよ。その程度のこと、とっくに承知のうえで言っているのよ」

 ね? とレイラに手を取られたシルヴィアは、しっかりと頷いてエヴァランの前に立った。

「あなたは、厩舎からユニコーンを連れだしたら、一目散に駆けて行って下さい。追いかける兵士たちには、私たちが魔法をかけて眠らせます」

「屈強な大人の兵士たちを、そなたたちのようなか弱い娘たちが?」

「魔法に重要なのは歌声よ。そして、私とシルヴィアはとても優れた歌うたい。それこそ、大人に匹敵するくらいの。その私たち二人が、声を合わせれば、少人数の兵士の足止めなんて、なんでもないはずよ」

「……声を合わせる?」

 語尾を上げたエヴァランに、シルヴィアは説明を始めた。

「人間の魔法の応用編に、合唱、という形があるのです。異なりながらも響きの合う音階で声を合わせ、従来の魔法の効果を倍以上に高めることができるのです」

 ただ、とシルヴィアは眉を曇らせた。

「魔法の効果が強くなるということは、あなたがたユニコーンへの負担も大きくなります。なので、タイミングが重要になります。望ましいのは、あなたが厩舎をやぶった途端にユニコーンたちが飛び出して行く方が、兵士たちが集まってくるよりも早く、追いかけようとする兵士たちに眠りの魔法をかけることです」

「それなら、僕がさきに知らせに行っておけばいい」

 ウィルは、久しぶりに明るい声を出した。

「だって、僕なら結界を通り抜けられるんだもの。また雲雀になって忍び込んで、いついつ作戦決行でエヴァランが来るから、そのときにはすぐに走り出して、って心づもりをしておいてもらえばいい」

「そうね。それがより確実だわ」

「それじゃ、いつにする?」

 レイラの問いに、シルヴィアは難しい顔をした。

「ユニコーンたちが駆け去っていくのを、誰かに見られるのはまずいわ。だから、人々が寝静まる真夜中がいいと思うのだけど……」

「ちょっと待って。真夜中だと、リトホロへ帰る列車がなくなっちゃうわよ?」

「レイラ。僕ら、自分たちのことなんて考えている場合じゃないよ」

 ウィルの言葉に、レイラはきっ、とした目つきになった。

「あのね。いまこの瞬間ですら、私たちが身代わりに変身させてきた子たちの魔法がばれて、大騒ぎになっているかもしれないのよ? 私たちはともかく、あなたがいないと知れたら、それこそ王国の一大事なの。その危険を冒して、私たちはここにいるの。それなのに、帰る手段を考えないでどうするの? 作戦が成功したとしても、あなたがいないとばれれば、ましてやユニコーンを逃がすのに協力していたって、陛下にばれてごらんなさい。国中の大騒ぎよ」

「そのときは、父上に向かって正々堂々と、こんなことは間違ってる、って言ってやるさ。ううん。バレなくたって、言ってやる」

 ウィルの揺るぎのない決心に、レイラが言葉を失くすと、シルヴィアがため息をついた。

「ウィル。気持ちはわかるけど、少し頭を冷やしてちょうだい。王と王子が、公で対立するなんて、王国に無用な争いを生み出しかねないのよ。ユニコーンがそのきっかけだと知られたら、エヴァランたちは、無事に逃げ切れると思う? 捜索隊を出されて、再び捕まってしまう危険を増やすばかりか、今度は命まで危うくしかねないのよ」

 シルヴィアのまっとうな言い分に、ウィルは黙り込んだ。けれども、すぐに顔をあげた。

「……わかった。でも、結構は真夜中だよ。だってそれが、ユニコーンたちが逃げ延びるのにいちばん確実なんだから。僕らは列車がなくなっても、飛んで帰ればいい。早く飛べる種類の鳥になれば、なんとか朝のうちに帰り着けるはずだよ」

「まあ、そうするしかないようね」

 レイラは、納得しかねない表情を浮かべつつも頷き、横目でエヴァランの方を見た。

「……というわけで、どうです? ユニコーンのエヴァランどの」

 エヴァランは順々にウィル、レイラ、シルヴィアを見た。

「本気か? 私には、子供のごっこ遊びの計画にしか聞こえないが」

 ここで、オリヴィエが進み出た。

「エヴァラン。異なる魔法を使っていても、魔力の強さはわかるはずよ。このお三方は並外れて魔法に優れていらっしゃる。普通なら、大の大人だって使いこなせる人が少ない変身魔法をやってのけておられる。これはとてもすごいことなの。だから、いまの計画は、けっして無謀なものではないのよ」

「エヴァラン」

 オリヴィエに続いて、ウィルが口を開いた。

「ユニコーンを逃がすことで、僕が何一つ知らなかったことの罪が帳消しになるとは、これっぽっちも思っていないよ。だけど、僕にできるのはこれだけなんだ。……それだって、いとこのレイラとシルヴィアの力を借りてでしか成功しようのない計画だけど。だけどせめて、これだけは信じて、どうか任せてほしい。……お願いだよ」

 お願いだよ、と言ったウィルの姿は、レイラとシルヴィアに少なくない衝撃を与えた。思い返してみれば、いくら子供でもウィルは王子という身分にあって、すべてのものは何不自由なく与えられ、たとえ悪戯をして叱られるときだって、王子付き近衛兵のオーウェンにしろ、大臣にしろ、その口調はただの子供を頭ごなしに叱るのではなく、丁重な扱いをすべき人物としての一線は超えていなかった。

 だから、ウィルは心の底から誰かに対して、懇願するということをしたことがなかったのだ。王国でたった一人の、王子、であるがゆえに。

 ウィルは生まれ始めて、乞い願っていた。自らの意思を他者に認めてもらうために。

 きっと、リトホロの王城を出なければ、生涯見ることはなかっただろう、とレイラとシルヴィアは思った。

 ウィルの真剣な、澄んだ眼差しを値踏みするように、じっくりと検分したあとで、エヴァランはついに「……いいだろう」と口にした。

「ただ、忘れるなよ、人間の王子。我々はお前に哀れまれて助けられるのではないのだ。お前の過ちの、ほんの一部分の埋め合わせをさせてやることを認めるにすぎないということを」

 その言葉を聞いて、ウィルは苦笑した。

「それと同じようなことを、さっき、長老にも聞いたよ」

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