第10話

 エヴァランの受託を受けて、再度シルヴィアを中心に、計画の細かい部分を詰めた。その後、 ウィルは雲雀に変身すると、駐屯地の方へと飛びたって行った。

それを見送ったレイラとシルヴィアは、手を繋ぐとエヴァランとオリヴィエから離れて歩き出した。計画実行の際、確実に魔法をかけられるように、練習をするためだった。そのためには、エヴァランを傷つけないために歌声が届かないよう、距離を置く必要があった。

「エヴァラン。あなたも、今夜に備えたほうがいいわ。……もっと水を飲んでおいたら?」

 エヴァランと少なくない時間を共にしていたオリヴィエは、清らかな水はユニコーンにとって生きるのに必要不可欠なものであると同時に、力の源であることも知っていた。

 仲間を助けるため、父親の部隊を襲撃するときには、ありったけ水を飲んでから、駆けてゆくことも。

「そうしよう」

 オリヴィエの言葉を受けて、エヴァランは再び水に口をつけた。その首筋を撫でながら、オリヴィエはささやくような声で言った。

「意外だったわ。あなたが、殿下やそのいとこの姫君がたにあんなにも冷たい態度をとるなんて」

「なぜ? むしろ当然だろう。あいつらは、私の仲間を傷つけている邪悪な王の血を継ぐものなのだから」

「それでいったら、私だって、あなたたちユニコーンを傷つける魔法を使う人間なのよ。それなのにあなたは、あの夜、私にすぐあなたたちの清らかな魔法のことを教えてくれた」

 それに、とオリヴィエの声が、深い感慨に揺れた。

「あなたは、いつだって私を人質として父の前に連れていくことができたはずよ。それなのに、今の今までそうしようとはしなかった。……それはなぜ?」

 エヴァランは、おもむろに水から顔をあげる。

「そんなことは、言葉にするまでもなく、とっくに知っていると思っていた」

 その言葉を聞いたオリヴィエの心臓は、とくん、と大きく跳ねた。そうして何とも言えない、たまらない思いがこみ上げ、それが瞳から涙として現れそうになったとき、顔をエヴァランの首筋に押し付けた。

「私は……私は……」

 オリヴィエの声の震えはひどくなる。

「あなたの大切な仲間たちを殺し続けている兵士をまとめる長の娘なのよ……」

「そんなふうに思ったことは、一度もない」

 はっきりと言い切ったエヴァランに、オリヴィエは驚いて顔をあげる。

「私の縛めを解いてくださったベイチェルン殿が、人間の魔法に倒れられた、その瞬間、ひどく傷付いた私の目は、もう一対の自分の目を見つけたのだ。オリヴィエ。そなたのことだ」

 じっと見つめるオリヴィエに向けて、エヴァランは語りかける。

「魂の髄の髄まで傷つけられた者の目だった。ほかの人間たちで、そのような目をしている者など、一人としていなかった。ただ一匹の獣が傷ついた。そんな目をするなかで、本当に嘆き、私のかわりに涙まで流している瞳を、私は見つけたのだ」

「違うのよ……!」

 オリヴィエは、激しくかぶりを振った。

「あなたがウィル殿下を嫌悪するというのなら、私だってそうよ。ユニコーンが来ると聞いて、胸躍らせていた。あなたたちが、こんなにも気高い生き物だって想像もしなかった。私は、ベイチェルン殿が倒れたとき、初めて人間の罪深さに気付いたのよ。私だって、愚かな人間なの。あなたたちが忌み嫌う魔法だって、生まれてからなんの疑問もなく数えきれないほどに使ってきたの」

 ぽたぽたと涙のしずくを垂らすオリヴィエを見下ろしながら、「それならば」とエヴァランは、優しい声音で言った。

「もう言葉は必要ないだろう。たまらなく心惹かれることに、理由を求めることなど無意味だ」

 絶える様子のないオリヴィエの涙を、エヴァランは頬ずりして拭い取った。

「ベイチェルン殿が傷ついたとき、自分の仲間が傷ついたように感じられたその心。そして、人質の宣告を受けたとき、人間という種族に生まれ、父の業を娘だからと引き受けるその潔さ、心の清らかさ。オリヴィエ。そなたの高潔さを知ってしまった以上、人質として扱えるわけがないだろう」

「ああ、エヴァラン……!」

 オリヴィエは、エヴァランの顔を強く引き寄せた。

「こんなことを言って許されるならば……」

「許される? オリヴィエ。そなたは、許される必要などない。あのとき、私の心に同調して涙を流してくれたそのときから」

「私たち、人目につかないように夜に移動していったわね」

「そう。そなたが、ユニコーンを王都へ連行するその道筋を覚えていてくれたおかげで」

「私にとって、深夜は眠りの時間だった。人間は長く眠らないと、とてもつらいけれど、あなたたちユニコーンは、清い水がさえあればいつだって動ける生き物だから、深夜の移動は、エヴァラン、あなたにとってなんの苦でもなかったのね」

「でも、オリヴィエ。そなたにはつらい思いをさせてしまった」

「あなたは、私に背を貸してくれたわ、エヴァラン。私……私、あなたに信じてもらえて、とても幸せだった。最初の頃は申し訳なくて、本当に申し訳なくて、ただただ必死にあなたを案内していたの。でも、何日目かの夜にとうとう力尽きてしまって……」

 オリヴィエは、エヴァランに頬を寄せながら目を閉じる。すると、その時の思い出がありありと、思い起こすことができた。

 エヴァランの背に揺られていつの間にか寝入ってしまったオリヴィエは、泥濘に沈みゆくような疲労の眠りから、いっとき浮かび上がって、自分を叱咤して目を覚ましたのだ。

 しかし、それと同時にエヴァランがゆっくりと歩いているのに気付いた。夜、兵士たちは駐屯地に泊まって動かない。その場所は、オリヴィエが既に教えている。とはいえ、エヴァランの気持ちを考えれば、一刻も早く駆け付けたいところだろう。

 それなのに、エヴァランは眠ってしまったオリヴィエが、自分の背中から滑り落ちないように気遣って、ゆっくりと歩いていたのだ。

 その気遣いに、オリヴィエの胸の内にわだかまっていた罪悪感は解きほぐされて、全く別の、けれども苦しさだけは変わらない思いへと変化した。ただ、エヴァランの気遣いが嬉しかった。そのときもオリヴィエは、切ない喜びに心揺れて、泣いてしまった。せめてエヴァランの背中を濡らさないようにと、涙をぬぐいながら顔を上向けたとき、満天の星空が頭上いっぱいに広がっているのが、目に飛び込んできた。

「あの星空……」

 オリヴィエが瞼を開いても、そのときの星空は目の前からけっして消えることがなかった。それは、オリヴィエの目に、永遠に焼き付いているものだから。

「私が見た中で、もっとも美しい星空よ。……ずっと、永遠に」

「私も同じだ、オリヴィエ」

 エヴァランは、顎でオリヴィエの肩を引き寄せ、オリヴィエはエヴァランの首に腕を回すと、きつく、きつく抱きしめた。

 どれくらいそうしていただろう。オリヴィエは、この時間が永久に続けばいいのに、と願いそうになる心を押し留めて、エヴァランから身を離した。

「エヴァラン。あなたは必ず、今夜仲間を取り戻すわ」

 そう語り掛けるオリヴィエの目には涙の名残はありつつも、毅然とした態度だった。

「あなたにとっては、何物にも代え難い喜びね。それは、私にとってもそうなのよ」

「それなら、オリヴィエ……」

 言いかけたエヴァランの口を両手で塞ぎ、オリヴィエは首を横に振った。

「どうかそれだけは言わないで。叶わぬ望みを抱くのは、愚かなことだもの。……ユニコーンが忽然と姿を消してしまったら、幻は幻へとかえったのだと人々は思うでしょうけど、人間が一人消えたとなれば、そうはいかなくなってしまうもの」

 まだ何か言いたそうなエヴァランを、オリヴィエは切ない笑顔ひとつで留めた。

「私にとって、あなたとの旅はね、こう言ってはいけないかもしれないけれど、それでも、宝物だった。悲愴な旅だけれど、私はあなたたちの魔法を知ることができた。エヴァラン、あなたに出会えて、幾日も共に過ごすことができた。そのことは、私のなかで色あせることなく、残り続けるのよ。私の肉体が塵となって消える、その日まで。それだけで私は、じゅうぶん幸せなの」

 ただ、とオリヴィエは、再びエヴァランに身を寄せた。

「今だけはどうか、こうして私を離さずにいて……」

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