第7話

「その倒れた、ユニコーンは……?」

 ウィルは、答えを聞くのが怖かった。オリヴィエの顔が伏せられたのを見れば、なおさら。

「助からなかった。長老の一人息子、ベイチェルン殿だ。あの御方は、ご自分の命など顧みず、みなを逃がす好機を作ろうとして下さったのだ」

「待って、そのベイチェルンというユニコーンに、あなたの姉が嫁いだのでは?」

 青白い表情で尋ねたシルヴィアを、エヴァランは冷たく見やる。

「そうだ。姉の目の前で、ベイチェルン殿は亡くなったのだ。それは、しかと幼い息子のベイリルンの目にも映っていただろうな」

「そしてその、子供のユニコーンも死んでしまった……」

 レイラのつぶやきに、エヴァランは皮肉な笑みを浮かべた。

「目の前で尊敬する父を殺され、その人間にとじ込まれたその末期、あの子はいったい何を考えていたのだろうな?」

 ウィル、レイラ、シルヴィアの三人は、ただ黙ることしかできなかった。

 そんな三人を静かに見て、まだ何か言いたげなエヴァランを押し留めるように、オリヴィエはその身体に寄り添った。

「殿下。そして、姫君方。どうして長命なはずのユニコーンが死んでしまうのか、不思議にはお思いになりませんか?」

「ユニコーンに必要なのは、清い水だと本で読んだことがあるわ」

 声は沈みがちながらも答えたシルヴィアに、オリヴィエは「その通りです」と頷いた。

「けれども、私たち人間にとって、汚水を清らかな水に変えるなんて、とても簡単なことなのよ。ベイチェルンというユニコーンのことは、愚かな兵士が起こした事故だけれど、それを除けば、ユニコーンをリトホロまで連れてくるように、というのが王命なのよ。ユニコーンに必須の水を与えないわけがないと思うけれど」

 レイラの疑問を、オリヴィエは首を振るだけで否定した。

「人間の魔法ではだめなのです」

「なぜ?」

 眉をひそめたレイラの横で、ウィルが思い出したように、ゆっくりと顔をあげた。

「その言葉こそが我々と人間の違いを明らかにしている」

 オリヴィエは、目を見張って、ウィルを見た。

「ご存じなのですか、殿下?」

「いいや、長老が言っていたんだ。どうして魔法をつかって逃げ出さないの? と僕が訊いた、そのときに」

「人間の王子よ、長老はそのことを詳しく、語って聞かせたのか?」

「ううん。恐らく、一生理解できないだろうから、って教えてくれなかった」

「同感だ」

 冷え切った声だった。

「オリヴィエ。長老のご判断なのだ。私は、この人間の王子が、たとえいかに自分の無知を恥じていても、そなたのように易々と我々の魔法について理解できるとは思えない。……かえって、人間の王子は、ここで知り得たことを父王に伝えて、我々ユニコーンをさらなる危機に陥れるかもしれない」

「そんなことは、ぜったいにしない!」

 エヴァランの言葉に食い込ませるように、ウィルは叫んだ。

「父上がどうして、こんな残酷なことを許しているのか、僕はしらない。だけど、僕は違う。心の底から、ユニコーンを助けたいんだ。もうあんなふうに、ユニコーンたちに死んでほしくない。信じられないなら、その足元の腕輪を踏み抜いてくれたっていい」

「ウィル!」

 あまりに重すぎる交換条件に、動揺したレイラはウィルの腕をつかんだが、ウィルは構う様子を見せなかった。

 その横でシルヴィアはずっと黙り込んでいたが、もう呆然とするばかりでいるのではなく、エヴァランとオリヴィエの言葉の端々から察せることを、頭の中で懸命に組み立てていた。そして、口を開いた。

「……もしかすると、人間の魔法は、ユニコーンにとってとても危険なものなの?」

 エヴァランの歪んだ顔が、全てを物語っていた。

「どういうこと?」

 急いて尋ねるウィルに、「そうとしか考えられないのよ」とシルヴィアは答えた。

「あなたは群れの半分ものユニコーンが死んでしまったのを見た。でも、レイラが言っていたように、王命なのだから、兵士たちがむやみやたらにユニコーンを殺すはずがないのよ。それなら、原因は魔法で清めた水にあると考えられない? それが、ユニコーンにとっては猛毒なのかもしれない、って」

「さすが、王家の血をひく御方です」

 オリヴィエは、心底感心した表情を浮かべた。

「たったあれだけの会話から、そこまで察してしまわれるとは。私は、エヴァランから教えられるまで、理解できませんでした」

「じゃあ、本当なの? ユニコーンにとって、人間の魔法は危険なものなの?」

「少し、お待ち下さい」

 オリヴィエは、さっとエヴァランを振り返ると、その毛並みを撫でながら言った。

「エヴァラン。もうここまで知られてしまったのよ。それに殿下は、ご自分にとって致命的な秘密をあなたに教えることまでした。それならこれ以上、もう無理を重ねることもないでしょう。湧水を探して、あなたの見えない傷を癒しに行きましょう。そろそろつらさも限界のはずよ」

「見えない傷とはなに?」

 レイラの問いに、オリヴィエは振り向きながら答えた。

「人間の魔法に触れることは、ユニコーンにとってはひどく苦痛なのです。それは、真に清い水によってのみ、癒すことができるのです」

 言い終えたあと、オリヴィエは真摯な瞳でエヴァランを見つめた。その瞳は冴えた輝きをたたえていたが、人間とユニコーンのそれぞれの立場の間にある者として、ひどく苦しんでいた。そして、これ以上言葉を重ねずとも、ウィル王子のことを信じてほしい、とその目が語っていた。

 もし、エヴァランがたった一人信じるに足る人間だとオリヴィエを認めていなかったら、これほどまでに強く訴える瞳でも、かるく退けていただろう。けれども、そうするにはエヴァランとオリヴィエの間には、あまりに強すぎる絆があった。

「人間の王子よ、腕輪を拾うがいい。ただし、もう私の前で魔法を使うな。いま、オリヴィエが言った通りだ。そして、後をついてくるがいい」

 ウィルの返事を待たず、エヴァランは腕輪を放って歩き出した。人間でもついてこられるように、ゆっくりとした歩調で。

 心からほっとしたオリヴィエは、ほんの少しだけ表情を和らげて、三人に後へ続くよう促した。

「あなたたちは、どこか拠点としている隠れ家かなにかがあるの?」

 エヴァランに続きながらレイラが尋ねると、「いいえ」とオリヴィエは答えた。

「長く一か所に留まっていると、父が出した捜索隊に見つかってしまいますから」

「では、エヴァランはどこに向かっているの?」

「それは、エヴァランだけが知っています。ユニコーンは、水の在処がわかるのです」

 折しも日は暮れかかり、赤みを強くした太陽が、緑の地平の上に、熟しきった果実のように浮かんでいる。それを眺めるオリヴィエの目は、過去を思い浮かべて、ほんの少しおぼろげになった。

「初めてエヴァランに出会った夜もそうでした……」

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