第6話
兵士を父にもつオリヴィエは、国中にある王国直轄の兵舎のなかの一つで育った。
不自由はなにもなかった。父であるサンシャは、王都勤めでこそないものの、一個隊を率いる隊長だったので暮らしぶりはよく、なにより一人娘のオリヴィエを愛していた。リヴァー家のことを考えれば、男の子を授からなかったのを残念がってはいたものの、成長していくにつれて、オリヴィエが賢く、美しい娘だとわかって、サンシャは安心した。これほどの娘なら、優れた婿をもらえることは間違いないだろう、と。そんな父の期待を、母は繰り返しオリヴィエに聞かせていたし、オリヴィエもそれを疑問に思ったことはなかった。
あの、新月の暗い夜までは。
めずらしいことに、オリヴィエは夜更かしをしていた。王国中にユニコーンが見つかったのと報せがはしってから、ユニコーンの輸送部隊が編制されたとき、サンシャがその隊長に選ばれたのだ。
そのせいで、父は一月ほど家を離れることになったけれども、その夜、兵舎に隣接した施設にユニコーンを一時的に留め置くことになっていた。
久しぶりに父に会える嬉しさと、幻のユニコーンがやってくる、ということにオリヴィエの胸は躍った。
ユニコーンは、人目をさけて輸送された。移動時間は夜で、しかも人通りのない道が選ばれた。だから、ただの娘であるオリヴィエがユニコーンを目にすることができるのは、ひとえに隊長を父に持つがゆえの特権だったのだ。
いつもは早く寝床に入るようきつく言う母も、この夜だけはオリヴィエに夜更かしを許した。実際、母親自身もユニコーンを見たがっていたのだ。
兵士たちの隊列を乱さない規則正しい足音がだんだんと近づき、やがてサンシャはユニコーンを連れて帰還した。
オリヴィエは、真っ先に家から飛び出した。隊列の最前線にいたサンシャは、いましも馬を降りようとしているところだった。
オリヴィエは息を弾ませて駆け寄ろうとしたところで、サンシャの鋭い声に、はっとして身をすくませた。
ぜったいに手綱を緩めるな!
それで、どうやら様子がおかしい、とオリヴィエは気が付いた。恐る恐る近付いてみると、隊列の工法がやたらと騒がしかった。そして、ぞっとするような光景を目の当たりにする。
ユニコーンたちが、鉄の鎖でがんじがらめにされていた。早駆けができないように、前足と後ろ足のそれぞれには、ようやく歩ける分だけの幅しかない足枷がはめられており、口にも鉄製の轡をはめられていた。
それだけではあきたらず、ユニコーンのそれぞれの首には太い鎖の手綱が着けられ、兵士が一人ずつそれを握っているのだった。
それはまるで、罪人の扱いのようだった。
オリヴィエは硬直から覚めると、お父さま! とサンシャへ駆け寄った。
どうして、どうしてこんなにもユニコーンを縛めるのですか?
愛娘の問いに不意をつかれて、サンシャはやや気まずそうな顔をしたが、瞬時に軍人の顔つきにもどった。
それは、ユニコーンどもが私たちの予想をはるかにこえて、獰猛だからだ。普通の馬の手綱だと食いちぎってしまう。ここまでたどり着くだけでも、少なくない数の部下が怪我をしたのだよ。
父の言葉を聞きつつも、オリヴィエは納得できなかった。胸騒ぎをかかえてユニコーンを見やれば、まず仔ユニコーンを連れてゆこうとした兵士に、一頭のユニコーンが動揺して、暴れ出した。
オリヴィエは確かに聞いた。そのユニコーンが、仔ユニコーンにむかって、坊や! と叫ぶのを。それは、轡によってくぐもっていたけれども、たしかに言葉だった。
サンシャは慌てて、オリヴィエを家へ帰そうとしたが、仔ユニコーンが母親に応えて、助けて! と涙を流しながら訴えかけるのまで、オリヴィエは聞いてしまった。
オリヴィエは、父の腕に抗った。
お父さま、ユニコーンは話すことができるの? 私たちと同じ、感情があるの?
サンシャは押し黙ったまま、答えない。隊長が目を離したことと、一人の少女の悲しい瞳にさらされて、兵士たちがわずかに動揺する。
その隙を見逃さなかった一頭がいた。力を振り絞って、まず手綱を兵士の手から引き抜くと、何度も大きく跳ねて、足枷を解いた。
そして、今度は隣にいたユニコーンの手綱を持つ兵士に突進する。角の鋭さを恐れて身をかわした瞬間、やはりもう一頭のユニコーンは手綱から解き放たれた。
その身に二度と癒えぬ 深き傷をば刻みこまん!
短縮魔法が迸る。それは、握っていた手綱を無理やり放され、地面に叩きつけられた兵士が発した魔法だった。
その魔法は、最初に鎖から解き放たれた最初のユニコーンに直撃した。どっと音を倒れるユニコーンを目にして、オリヴィエの喉からか細い悲鳴が漏れる。
途端に、諦めたように鎖に繋がれていたユニコーンたちが動揺を深め、必死に騒ぎ出した。
「皆の者、手綱を緩めるな! そして、落ち着け! 王命だ! 決してユニコーンを傷つけてはならない!」
父の腕の中で、体調の顔に戻った父の声を聞きながら、オリヴィエの目は倒れたユニコーンにくぎ付けだった。
それは、群れの中でも見事に大きな体躯をした、ひときわ立派なユニコーンだったのだ。
きっと、仲間を助けようとしていたに違いない。
オリヴィエには、そのことが分かった。そう試みたユニコーンが、倒れ伏している。その現状を見て、涙を流さずにはいられなかった。
涙で視界がくもった一瞬、「隊長、あぶない!」という兵士の叫び声と同時に、天地が上下した。身体の痛みにうめきながら、何が起こったかわからないままに、どうにか身を起こすと、少し離れたところに父親が倒れていた。血を流している。
そして、目の前には——ユニコーン。
最初のユニコーンによって、足枷を外されたユニコーン。その目を見たときに、生き物の目は、こんなにも憎しみを滾らせることができるのか、とオリヴィエは痛みも、父への心配も忘れて見入ってしまった。
自分にむかって角が振り下ろされる。それに貫かれると思ったとき、オリヴィエは静かに目を閉じた。
当然の報いだと感じた。姿かたちは異なれど、彼らは感情を持つ、まぎれもなく私たちと同じ存在なのだから、と。それを脅かした者の娘。怒りの矛先になるには十分すぎる、と思った。
しかし、強い衝撃はオリヴィエの身体を貫いたのではなかった。角はオリヴィエの服をひっかけ、気が付いたとき、オリヴィエはユニコーンの背の上にいた。
隊長が!
オリヴィエ嬢が!
指揮するものを失い、隊長の娘をユニコーンに取られた兵士たちは、口々に声を上げたが、興奮するユニコーンたちを抑えるため、持ち場に留まるので精いっぱいだった。
わけがわからないままに、父の部下たちを見下ろしていたオリヴィエは、いきなりユニコーンが前足を高々と掲げたかと思うと、流星のような勢いで走り出したので、とっさにその美しい毛並みにしがみついた。
オリヴィエは成すべくもないまま、ただ疾走するユニコーンから必死に落ちないようにしていた。
兵士の子として生まれ、兵舎育ちのオリヴィエにとって馬は身近なもので、父から乗馬の手ほどきをうけていた。しかし、ただでさえ鞍も手綱もなく不安定な上に、ユニコーンは馬とはまったく違う生き物だった。
その早駆けといったら、馬とは比べ物にならないほどに早い。オリヴィエは、細く開けた目で吹き飛ぶような勢いで後方へ流れ去る風景をみた。それはまるで、描きたての絵に水を流したように見えた。
それほどに速く駆けるユニコーンの背に、いつまでも腕一本で乗っていられるわけがない。オリヴィエの身体は徐々に傾き始めた。
……もうだめ、落ちる。
オリヴィエが落下の覚悟をしたとき、ユニコーンがそれを察してか急に走る速度をだんだんと緩め、止まった。
どういうことかと考える暇もなく、身震い一つでオリヴィエはユニコーンの背から落とされた。ずいぶんな落下距離でしたたかに身体を打ったが、走っているときに振り落とされなかっただけでも幸運に思うべきだった。
父から、落馬の危険については懇々と言い聞かされて育っている。それが、あのユニコーンの早駆けなら、間違いなく即死だろう。
ユニコーンは、オリヴィエがどうにかこうにか立ち上がるまで、ずっと静かに佇んでいた。そうして、立つのを見届けると、くぐもった声で言った。
この忌々しい轡を取れ。
はじめてそのユニコーンの声を聞いたオリヴィエは、はっとして見上げた。ユニコーンが話せるということには確信を持ってはいたが、その言葉が自分に向けられることはまだ想像の範疇を超えていたのだ。
しかし、急くようにユニコーンは頭を突き出してくる。オリヴィエは恐々と手の震えを必死に抑えながら、轡を解く。
すると、せいせいしたようにユニコーンは大きく息を吸い込むと、今までのわずらわしさを振り落とすかのように顔を振った。
そうして、オリヴィエを見据える。その眼光の鋭さに、オリヴィエの身体は硬直した。
お前はいまから、人質だ。我々の仲間を取り戻すための。
人質……。
オリヴィエは、どうしてあのとき角に貫かれたのか得心がいき、膝から力が抜けた。
へたりこんだオリヴィエを見て、ユニコーンは話を続けた。
恐れて逃げようとしても無駄だ。さっきの走りでわかっただろう。お前はもう逃げられない。
逃げようとは思いません。
顔をあげたオリヴィエに、ユニコーンは意外そうに瞬きをした。
どうぞ、お好きなようにしてください。
どういうつもりだ?
ユニコーンの疑問に、オリヴィエは俯いた。
ご覧になっていたでしょう。あなた方を無理にここまで連れてきた隊の長は、私の父です。私は、その娘。交渉の材料には十分です。それに、あなたが仲間をあんな目に合わされて、憤るのは当然のことです。
言いながらオリヴィエは、膝を揃え、服の裾を整えると、目上の者にむかってする最上級の礼をした。
本当に、申し訳がございません。お詫びのしようもありません。
ここで涙を見せたら本物の卑怯者だ、とオリヴィエは自制しようと試みたが、さっき地面に倒れたユニコーンが瞼の裏に浮かんでしまったので、駄目だった。
嗚咽する声で詫びる人間の少女を、心から物珍し気にユニコーンは眺めていた。人間が、ユニコーンにとってこのような態度をとることは初めてだったから。
人間の少女よ、そなたの名を問おう。そして、顔をあげるがいい。
ユニコーンに言われるがままに顔をあげると、幾筋もの涙がこぼれ落ちる目を向けて、オリヴィエと申します、と名乗った。
そうか。私の名は、エヴァラン。
月のない闇夜。しかし、わずかな星明りのなかでもエヴァランの毛は、どんな白よりも純白で、虹色の輝きをまとっていた。
それが、オリヴィエとエヴァランの出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます