第5話
「半分ものユニコーンが死んでいたなんて……。リトホロではそんなこと、一切聞かなかったわ。情報が隠されたのね」
渋い顔をしたレイラに、シルヴィアは悲しみが募って抱きついた。
「ひどい! ひどいわよ! ユニコーンを無駄に死なせておいて、ちゃんとお墓をたてもせず、物のように転がしておくなんて」
もし、シルヴィアが高貴な姫として、常に人目を気にするように躾けられていなかったら、エヴァランの前で憚りもせずに泣き出しただろう。しかし、シルヴィアはどんなに胸が痛もうと、そのような失態は犯さなかった。レイラに強く縋り付いて、涙をぐっとこらえた。
「人間の王子よ」
エヴァランは、努めて内心に滾る感情を抑えた声音でウィルに話しかけた。
「どうやら想像以上に、私の仲間が喪われてしまったようだ。誰が旅立っていったのか、それはわかるか?」
「全部はわからない。だけど、死んでしまった小さいユニコーンの母親の名前は聞いたよ。たしか、リーリエ、だったかな……」
「まさか、リーリエの息子が死んでいるのを見たのか!?」
信じたくないという思いをあらわに、エヴァランは問いただす。ウィルは、頷くしかなかった。それを見て、エヴァランは空を仰ぐ。
「ああ、なんと哀れな姉上!」
「姉?」
レイラの胸元から顔をあげたシルヴィアは、涙をためた瞳で尋ねると、エヴァランの憎しみのこもった目が向けられた。
「ああ、そうだとも。邪悪なる人間の王の血をひく娘。我が姉リーリエは、長老の息子であるベイチェルン殿に嫁ぐ誉れを許されたのだ。そして、みなが待ち望んだ息子を授かった。長老ののち、ベイチェルン殿が群れを率いたとき、後継ぎとして立つことになる、小さなベイリルンだ!」
レイラとシルヴィアは、ウィルに目を向けずにはいられなかった。死んでしまった、幼いユニコーン。その境遇は、とてもウィルによく似たものだったのだ。
「ウィル殿下」
オリヴィエが、ウィルに呼びかける。
「私の先ほどの質問に、まだお答え頂いておりません。どうか、教えて頂ませんか?」
とうとう答えなければならなくなったウィルは、オリヴィエとエヴァランのほうを見ることができなかった。じっと、自分の足元を見つめて、声を絞り出す。
「僕、僕は……何も知らなかったんだ」
顔を見ずとも、オリヴィエが最後の希望と絶たれて、失望していくのが気配で痛いほどに伝わってきた。
「それでは、どうして……?」
「オリヴィエ。言うまでもないだろう。この人間の王子は、我々を見物しに来たのだ。檻に入れられた、珍獣でも見るような気持ちで、な」
エヴァランの嘲笑交じりの声が言うとおりだった。ウィルはさらに深く俯いたのを見て、エヴァランは、嘲りの高笑いをした。
「何も知らなかった! そうだろうな、人間の王子よ。お前たち人間は愚かで、傲慢で、支配欲に満ち満ちている。だから、魔法を操る他の六つの種族から見放されたのだ。そんなことにすら気付かず、人間の魔力が圧倒的だから、六つの種族は滅んだのだと思い違いをして、世界の覇者のような顔をして振る舞っている。なんという愚かさだ!」
「見放された……?」
シルヴィアが眉をひそめたのを見て、オリヴィエは頷いた。
「ウィル殿下。そして、レイラ姫、シルヴィア姫。私たち人間に知らされていることと、真実は大きく食い違っているのです」
オリヴィエは、エヴァランを見つめ、その艶やかに虹色に光る身体を、慈しみをこめて撫でた。
「私は、エヴァランに出会ったことで、多くを教えられたのです。だから、父とは決別して、ここにいます」
オリヴィエは、そっと目を閉じた。
「そもそも、私たちの使う魔法というものが、他の六つの種族の魔法とはまったくの別物なのです」
「オリヴィエ!」
エヴァランが烈しい声で遮った。
「私がそのことを明かしたのは、対等なる存在としてユニコーンを認め、人間として唯一我が方についてくれたからだ。それを、こんな愚鈍な王子と、それに連なるものに話すというのか?」
「エヴァラン。いまはどうであれ、この方は間違いなく、将来、人間の王になる方なのよ」
オリヴィエの声に、必死さが滲んだ。
「それなら、知ってもらうべきよ。今後、ユニコーンをはじめとした、他の種族がこのような憂き目に合わないためにも」
「たった今まで、我々を無知な生き物としか認識していなかった人間が、真に理解できるとでも?」
「エヴァラン。どうか心を開いて、ウィル殿下をありのままに見てみて。あなたには難しいことかもしれないけれど、私には殿下が心から悔いていらっしゃるように見えるのよ」
オリヴィエの言葉通り、ウィルは打ちひしがれていた。生まれて初めて、自分は無力だと感じていた。
自分は、歌はうまくとも、それが魔法とは結びつかない体質だ、と診断されたときでも、ここまで心は痛まなかった。不便を感じるよりも先に、王である父は全力を尽くして、補助具を作らせ、与えてくれたのだ。
その父が、ユニコーンをリトホロまで連れてくるように命令を出した。王国で最も強い権限を持つものとして。誰も逆らうことのできない、絶対の命令を。
その結果が、薄暗い厩舎の中で見た、ユニコーンたちの無残な死だ。
いままで、何一つ、知らなかった。そんな自分を、ウィルはとても許せず、恥ずかしく感じた。そして、父に対して憤らずにいられなかった。
けれども、いまの自分に、王命を覆すほどの力はあるのか? 答えは決まっている。王子というのはあくまで身分でしかなく、自分はただの子供でしかない。
でも、とウィルをぐっと手を握りしめた。
「僕は、責任をとりたい」
「責任? なんの責任だ?」
エヴァランの声は、なおも冷たく、挑発的だった。ただ、もうウィルは俯いてはいなかった。エヴァランをひたと見つめる。
「何も知らなかったことへの」
そして、ゆっくりと腕輪をはめたほうの腕を上げると、その留め具に手をかけた。
「ウィル!」
レイラが厳しい声を出した。
「だめよ。それだけは、絶対にだめ」
しかし、ウィルはレイラに目もくれなかった。ただ、何をするのだ、というふうに眺めているエヴァランから目をそらさない。
「旅に出たのは間違いだった。ユニコーンを見ようだなんて、軽々しい気持ちで、楽しみのためだけに城を抜け出そうという発想をしたこと自体が、僕の罪なんだ。それなら、それを償わなくちゃいけない。その決意を、今から見せる。ただ、それだけのことだよ」
ウィルの声は、静かな決意に満ちていた。そんなふうに話すウィルを、レイラもシルヴィアもいままで見たことがなかった。そのため、止めなければならないはずなのに、それ以上ウィルに話しかけられなかった。
ウィルは腕輪の留め金を外すと、それをエヴァランの足元に置いた。
「それは僕にとって、命にかかわるほど大切なもの。それをいま、預けるよ。そして、命にかかわるっていうのが、どういう意味なのか、今から見せる」
ウィルが歌を歌おうと呼吸をすると、エヴァランが「待て!」と制した。
「ここで人間の魔法を使うつもりなら、やめろ。我々はそれを忌避しているのだ」
「大丈夫だよ。それは、見ていればわかるから」
そうしてウィルは吸い込んだ息を、声をのせた吐息として喉から発した。
茶色の毛ばだった
毛虫さん
いそいで歩いていく
木かげの葉っぱか茎か
どこだか知らないけれど
行きたいとこまで歩いておゆき
ガマガエルにも見つからず
空を舞ってる鳥にも知られず
まゆをつむいで死ぬといい――
生まれかわって蝶になるため
吹き渡る草原の風と、それをうけて鳴るさらさらとした草の音が、いっとき途絶えたように感じるほどの歌声だった。
しかし、ウィルの姿に変化は生じない。
歌声の余韻が、草原のはてない向こう、青と緑のはざまに消えて行ったとき、ウィルは口を開いた。
「これは、変身魔法の歌。さっき、長老の姿になった魔法だよ。だけど、僕は、その腕輪がないと、魔法が使えない。もともと、歌は歌えても、それが魔法にならない。そういう体質なんだ。これが、僕の秘密。ひいては、王国の秘密」
オリヴィエは目をいっぱいに見開いて、口元に手を当てた。それを、レイラとシルヴィアは、物憂く見つめる。
エヴァランは、かるいため息をついた。
「なんという歌声だ——」
はじめて聞く、エヴァランの素直な言葉だった。
「素晴らしいことを認めざるを得ない。だが、それで人間の魔法がおこらないとは、妙なことだ。もし、ふつうの体質だったら、我々の脅威になっていたであろうに」
エヴァランは足元の腕輪を見た。赤く輝く宝石をはめ込まれた、王子の腕輪を。その意味を吟味する眼差しを向けたのち、静かにオリヴィエを見た。
「オリヴィエ。人間の王子に話して聞かせよう。我々が出会った、あの夜のことを」
王国の重大機密を知って硬直していたオリヴィエは、エヴァランの言葉で我に返った。
「わかったわ」
オリヴィエは、あらためてウィル、レイラ、シルヴィアに向き直ると、一つ息をついて語りだした。
「新月の暗い夜のことでした——」
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