第4話

 ユニコーンの脚は速かった。兵士たちが飛んで追いかけるよりも速い。シルヴィアとレイラもたちまち引き離されてしまう。

 兵士たちを振り切ったところで、長老のユニコーンは足を止める。

「長老、どうして、いったいどうやって……?」

 戸惑いつつ近寄ってくるユニコーンに、長老は語りかける。

「エヴァランだね?」

 呼びかけられたエヴァランは、その声が長老のものでないことに気付き、足を止めた。

「誰だ!」

 たちまち厳しい目つきになり、脚を止めた。

「今すぐその姿を止めろ! もうこれ以上、我らが長を侮辱することは許さん!」

 言われるがままに魔法を解き、ウィルは姿を現した。

「兵士ではないようだな。人間の子供よ、なぜ我が長の姿を知っている? 正直に答えなければ、この蹄と角がその身をずたずたに引き裂くぞ」

「君たちの長老から、伝言を頼まれたんだ」

「伝言?」

 ウィルは頷き、あの痛々しい様子の長老ユニコーンを思い出しながら言った。

「もう、助けには来ないでほしい。どうか、生き延びてほしい、って」

「嘘だ!」

 言い終えるか否かのうちに、エヴァランは怒声をあげた。

「みなの意を汲み取る長が、そのようなことを仰るはずがない! さてはお前、兵士の手のものだな。子供を差し向ければ、私の油断をかけるとでも思ったか!」

 エヴァランの怒りは、なみなみと注いだ油に燃えさしを放り込んだかのように、瞬間的に燃え上がった。そして、怒りのままにウィルに向かって駆けてくる。

 よけようにも、エヴァンランの脚はあまりにも速かった。

 角に貫かれる!

 ウィルが両手で自分をかばったとき、いきなり人影が目の前に立ちふさがった。

「だめよ、エヴァラン!」

 急に現れたその人のために、エヴァンダルは突然駆けるのを止めざるを得ず、両足が高々とあがった。

「なぜだ、オリヴィエ。私の味方ではなかったのか!」

「もちろん、私の味方よ、エヴァラン。だけど、この人を傷つけてしまっては、永久にあなたの仲間を救えなくなるのよ。どうかわかって」

 少女の声は落ち着いていて、すずやかだった。エヴァランはまだ鼻息を荒くしたが、その言葉に押しとどめられて、いまはウィルを傷つけるのをやめた。

「……君は?」

 ウィルの呼びかけに応えて、オリヴィエと呼ばれた少女が振り返る。ウィルよりやや背が高く、おそらく二、三歳ほど年上に見えた。ほっそりとして、夜空の深い黒色を切り取ったような色の髪と瞳を持つ少女は、その年頃よりもずっと大人びて見えた。

 そうさせているのは、とても悲し気な瞳のせいだった。その瞳が、ウィルの髪と瞳をゆっくりと順に眺めていった。

「その髪に、瞳の色。……ウィル殿下なのですね? 本当に?」

「そう。僕は、ウィル」

「ウィル! 人間の王子の名ではないか!」

 驚愕の表情を見せたエヴァランに、オリヴィエは頷いてみせる。

「そうよ。エヴァラン、あなたは危ないところだったの。もしこの人を、ほんのかすり傷程度だとしても傷つけていたら、王都リトホロから大勢の軍隊が押し寄せてくるのよ」

 気に入らなそうに、エヴァランは鼻を鳴らした。

「偉大なる王の血をひくものならば、人間のなかでも多少はましなのであろうと思ってはいたが、見てみればなんてことはない、ただの幼い子供ではないか」

 ただの幼い子供。

 エヴァランの言葉は、ウィルの胸を深く突き刺した。俯くウィルを静かに見つめてから、オリヴィエは尋ねた。

「殿下。私はあなたに仕える兵を親に持つ娘です。王家の方への敬意の念は、生まれたその日から教え込まれてきました」

けれども、とオリヴィエの言葉は続き、おもむろにエヴァランの横に立った。

「私はいま、父と決別して、このエヴァランと共にいます。人間のユニコーンへの扱いが許せなかったからです。しかもあの処遇は、王命によってのものなのです。殿下。本来ならば、お会いしたその瞬間に、額づくべきところを、私の心がそれを拒んでいます。」

 澄んだ水面のように落ち着いていたオリヴィエの顔に、はじめて葛藤が映った。どうか、と声に切実さが滲む。

「どうか、お聞かせください。なぜ、王都リトホロの王城奥深くにお住いのかたが、このアギタリアの地にいらっしゃるのか。……それはもしや、陛下のユニコーンたちに対するお仕打ちに、何らかの疑念を抱かれてのことなのでしょうか?」

 オリヴィエは、王子に対する拝礼こそしないものの、まだ王家に仕える家の出の者として、礼を尽くしていた。しかし、隣には人間の王によって虐げられたユニコーンがいる。人とユニコーンの狭間で、少女オリヴィエは苦しんでいる。その苦しみから解放されるために、王子であるウィルはせめて、ユニコーンの窮状を知ってここに駆け付けたのだと思いたいのだった。

 そこまで察して、さらにウィルは自分の不甲斐なさを噛みしめることになった。旅立ちを振り返らずにはいられなかった。どこまでも無邪気に、ユニコーンを見に行こう! とその一心で城を跡にしてきた、今朝のことを。

 ただ、幻と言われている動物を見に来ただけなのだと、こんなにも必死なオリヴィエに言わなければならないのだ。

 なんて残酷で、自分の愚かしさをさらけ出す行為だろう。そう思うと、ウィルは俯かずにはいられなかった。

 人間として、しかも王家に仕える家に育ちながら、意志ある生き物としてユニコーンの弾劾に疑念を持ったオリヴィエが、愚かであるはずがなかった。

 すぐには答えない王子を見て、だんだんと失望の色を濃くしてゆく。それがまた、ウィルを苦しめた。

 気まずい沈黙を、雲雀のさえずりが打ち破る。

 もしかして、とウィルが上空に目を向けると、二匹の雲雀が空を飛んでいた。普通の雲雀ではあり得ない、地上への気に仕方をしながら。

 ウィルが思った通り、雲雀たちは急降下をすると、地面すれすれのところでたちまち、レイラとシルヴィアになった。

「ウィル! どうしてあなたがここに? もう一頭のユニコーンは?」

 駆け寄るなり尋ねたシルヴィアを、レイラが制した。

「気を付けて、シルヴィア。さっきのユニコーンに加えて、私たちの知らない人がいるわよ」

 レイラが言った途端、人間が増えたことに憤りを感じたエヴァランが、威嚇のために歯を見せながら唸る。それを制して、オリヴィエは、「レイラ……、シルヴィア……?」と、自分の記憶を探る様子を見せた。

「もしかして、そちらのお二方は、ウィル殿下のおいとこであらせられますか」

「ウィル! どうして正体がばれているの!?」

 レイラは、オリヴィエには構わず、ウィルを叱咤した。

「成り行き上、しかたがなかったんだよ」

「どうせ考えなしに行動した結果がこれなんでしょう」

 いつものウィルなら、飄々と言い返してくるはずだった。少なくとも、レイラはそのつもりだった。それが、神妙な表情で顔を伏せたので、狼狽えてしまった。

「考えなし、か。……そうだよ。なにも、否定できない」

「ウィル、いったいどうしたのよ、あなた?」

 向き合うウィルとレイラをよそに、シルヴィアは勇気を振り絞って、オリヴィエとエヴァランの方に一歩踏み出した。

「あなたが言った通りです。私の名前はシルヴィア。そして、一緒に来たのがレイラです。あなたは?」

 条件反射的に腰を折って礼をしそうになったのを、すんでのところで留まり、オリヴィエは強い意思を浮かべた瞳をシルヴィアに向ける。

「私は、陛下より軍隊に加わることを許されたリヴァー家サンシャの娘、オリヴィエです」

「サンシャ・リヴァー?」

 レイラは小首を傾げつつ、人差し指を頬に当てた。

「その名前には覚えがあるわ。たしか、今回のユニコーン輸送隊の隊長では?」

「……仰る通りです」

オリヴィエの顔がゆがんだ。

「ウィル。説明してちょうだい。どうして、ユニコーンを捕らえている隊長の娘と、ユニコーンが一緒にいるの? それに、さっきのもう一頭のユニコーンは?」

 シルヴィアが詰め寄るのを、ウィルは弱々しく手で制した。

「僕に答えられるのは、二つ目の質問だけだよ。僕が変身したんだ」

「なぜ?」

「いま、そこにいるエヴァランってユニコーンに、群れの長老から伝言を託されたから。どうしても伝えなきゃいけないって一生懸命考えて、ああいう方法になったんだよ」

「その伝言って?」

「もう助けに来るな、生き延びてくれ、って」

「どうしてそんなことを! それでは、他のユニコーンたちが助からないじゃない!」

 さらに詰め寄るシルヴィアを、ウィルは押し留めた。

「そんなにいちいち質問されたんじゃ、時間がもったいないよ。もう、エヴァランには全部話してあるんだ。ちょっと、黙ってて。いまから説明するからさ」

 ウィルは手短に、レイラとシルヴィアと別れてから、厩舎に閉じ込められたユニコーンの窮状と、長老が語ったことについて話して聞かせた。

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