第7話

 都でいちばん大きなヘルメス駅は、大きなレンガ造りの建物で、各地へ向かう列車が乗り入れ、また国中から列車が到着するホームがいくつも作られている。リトホロと言う名の王が住まう都は、人々にとって、旅に出てゆく場所であると同時に、旅の終わりの終着点でもある。すべてがはじまり、すべてが終わる場所、と吟遊詩人たちはとおい昔から歌い続けている。

 絶え間なく人々を迎え入れ、また送り出し続ける巨大なヘルメス駅は、そんな都の象徴のようだった。

 そのうえ、ヘルメス駅はとにかく広大で、列車のホーム以外にも、旅行客を楽しませるありとあらゆる施設があるのだ。

「ねえ、列車は、コンパートメントを取らない? それで、中でお昼をたべるの」

 シルヴィアがうきうきとした口調で言った。

「どうして? 駅のお店で食べたほうが落ち着けるんじゃない? 素敵なレストランもあるみたいだし」

 駅構内につくられたレストランからは、おいしそうなにおいとともに客たちの談笑の声がもれ聞こえてくる。それを耳にすると、レイラはどきどきした。こういうレストランの中に入って食事をするなんて、まるで一人前の大人のようだと思う。

「それもいいけど、せっかくの旅行だもの。窓の外の景色を見ながら食べるのも素敵だと思わない?」

 レイラは、車窓から吹き込む風を頬に受け、青空の下の街並みを眺めながらお昼を食べるところを想像した。大人になれば、賓客としておしゃれなレストランで食事をすることはあるだろう。けれども、列車に乗る機会はもう二度とないかもしれない。

「シルヴィアに賛成。じゃあまず、コンパートメントを予約してしまって、それからお昼を探しましょ」

「案内板では、あっちが券売所みたいだよ」

 ウィルが指さしたさきには、魔法で浮かび上がった案内板があった。はじめて来る旅人たちが行きたい場所を思い浮かべるだけで、その場所を示してくれる魔法がかけられているので、券売所の場所はすぐにわかった。

 こういう場合、礼儀正しく大人受けのいいシルヴィアが大人に話しかけるところを、ウィルが「僕が行く」と主張した。

「なに言ってるのよ。あなたみたいに子どもっぽい人が行って、怪しまれたらどうするの?」

「そこは、おまかせあれ」

 自信満々の顔でにやり、と笑うと、レイラとシルヴィアが止める暇もなく、意気揚々とウィルは券売機の方に向かって行った。

 二人がはらはらして見守っていると、ウィルは悠々とした態度で、券売機のカウンターに手をつくと、ガラスの向こうの販売員の女性に、にっこりと微笑みかけた。

「こんにちは、お嬢さん」

 顔をあげた販売員は、そこに美青年を見つけてほんの少し頬を赤らめた。

「アギタリア駅までの切符を頂きたいのですが」

「はい、何枚に致しましょう」

「二枚。それから……」

 ウィルは、ガラスがほんのり吐息でくもるほどに近寄ると、「貴女のお仕事が終わる時間も教えて頂けるかな?」

 若い販売員の女性は、心のまま正直に赤面してうろたえる。それを見届けたウィルは、笑うと、手をひらりと振った。

「失礼。冗談ですよ。あまりにもかわいらしいので、つい。気持ちの高ぶった旅行者の戯れだと、お許しください。本当は、切符は三枚頂きたいのです。座席はコンパートメントで」

「か、かしこまりました……」

 女性は、切符三枚取り出すのに何度か取り落とし、ガラスの窓口越しに出てきた指は、かすかに震えていた。それを見て、ウィルはますます笑みを深めた。けれども、それは彼女の次の一言で掻き消えた。

「アギタリア行き列車、コンパートメント切符三枚、あわえて30デナリとなります」

 ウィルはたちまちきょとんとした顔になると、背後のレイラとシルヴィアを振り返った。そこでは二人も、しまった! と青ざめた顔をしているところだった。

 お金を持ってきていない……!

 三人の育ちがあまりによすぎるゆえの盲点だった。いままで、お金というものを自分で持ったり、払ったりしたことがまったくないのだ。

「どうかされましたか?」

 販売員の女性が首をかしげるのに、「いえ、それが、ちょっと……」とウィルがひとまず場をつなぐための笑顔で取り繕っていると、とつぜん背後の人だかりから大声が聞こえた。

「どろぼうだ!」

 三人がぱっと振り返ると、身なりの汚い、ひげ面の男が、人々のあいまをぬって駆けていくのが見えた。

 止めるひまもなく、ウィルが飛び出した。シルヴィアとレイラが声をそろえて、「ウィル!」と叫んだものの、聞きもしないで一目散に向かっていく。

 ついにウィルが男に追いつき、その足を狙って全身で飛び込んでいった。足を取られた男は、成す術もなく派手に倒れこむ。

 二人はあっというまのできごとに呆気にとられていたけれど、はっとして走り出した。それと同時に、背後から警笛が鳴り響き、警官がやってきた。

「きみたち、そこで何をしているのかね!」

 警察服を着た男のするどい声に、身がまえていなかったレイラとシルヴィアは、びくり、とふるえた。

「どきたまえ!」

 警官に言われて、二人はさっとわきによけた。ウィルも警官の姿に気づいて立ち上がったところ、倒れていた男は、警官の声にあわてて立ち上がり、駆け出した。

その背中に向けて警官がするどく腕をふる。


蛇のように その身を縛れ!


 それは、本当に短いフレーズだった。わずかに歌っただけで、たちまち男は縄でがんじがらめにしばられて動けなくなった。

 シルヴィアは、興奮気味にレイラの服を引っ張った。

「あれ、短縮呪文よ。わたし、はじめて見た」

 短縮呪文とは、本来は強力な魔法をいっしゅんで成立させるために、複雑な音律や、長い歌詞を持つ呪文を、短くしたものだ。誰にでも使いこなせるというわけではなく、よっぽど強い魔力の持ち主か、鍛錬に鍛錬を重ねた者でなければまず成功しない。

「都内の警官だもの。あれくらいは基本中の基本だよ」

 ウィルは、つまらなそうな口ぶりで言ったのを、警官が気に食わなそうに振り向いた。縄で縛った男が、もう身動きできないかどうか確かめ終わったところで歩み寄ってくる。

「ウィル、まずいわよ!」

「どうして、そう余計なことを言うの!」

 レイラとシルヴィアは、小声でウィルに文句を言い、両側から服の袖を引っ張っていたが、ウィルはまったく動じない。それどころか、「まあ、見てなって」と楽しげにウィンクまでしてきてきた。

「失礼。本官に対する、あまりよくない言葉が聞こえてきたようだが」

 警官はまだ若く、自分の仕事に誇りを持っていて、そのためにいきり立っていた。怒りの表情で睨みつける警官にむかって、ウィルはにっこりと微笑みかけた。

「よくない言葉? ミティカス王国の陛下が住まわれる唯一無二の都、リトホロの警護を任されると自負があるものなら、身に着けていて当然の技術だと言ったまでだが」

 警官がいよいよ怒って言い返そうとした矢先、「ところで」とウィルは先に言った。

「君は新人かね? 私が誰かわからないほどの?」

「誰かわからないほど……?」

 そこで警官は、改めてウィルの顔をよく見た。いまは、オーウェンになっている、その顔を。そして間もなく、顔から血の気をひかせて、急いで敬礼をした。

「大変失礼致しました、オーウェン・メイスフィールド大尉!」

 ウィルはにっこりと笑った。

「さっきの捕縛用短縮魔法は、悪くなかった。これからもその調子で励みたまえ」

「はい! 光栄でございます。 ……しかし、あの」

「なにか?」

「王宮で殿下の護衛をされている御方が、どうしてこのようなところで私服でいらっしゃるので?」

 ウィルは、しゃちほこばって敬礼をくずさない警官に近付くと、眼前でくちびるに人差し指を当ててみせた。

「もちろん、理由がないわけじゃない。だけどそれは、知らぬが花。君も、ここで私に会ったことは、他のものにけっして話さないように」

 高位の上官からの含みのある物言いに、警官はますます背筋を伸ばすと、「承知致しました!」とほぼ叫ぶように言った。

 どたり、どたり、と重たげな足音が近づいてくる。その足音の主は、シャツの前がはちきれそうなお腹をした、中年の身なりがいい紳士だった。

「警官さん、私の財布ですが……」

 ぜいぜいと息をきらせているが、それは先ほど「どろぼうだ!」と叫んだ声と同じだと、すぐにわかった。

 警官が、男から取り上げた財布を紳士に返すと、彼は感激の顔つきになって「やあ、さすがリトホロの警官さんだ。本当にどうもありがとうございます」と、帽子をとって丁寧に礼をした。

「いえ、本官は最後に捕獲しただけのこと。この男を捕らえたのは、この方のご協力があってのことです」

 警官が恭しくウィルを紹介すると、紳士は、ほう、と目を見開いた。

「いえいえ。とっさに身体が動いたまでのこと。なにせ、当方には小さなレディが二人もいるものですから」

 言うなり、ウィルはレイラとシルヴィアを、やや強引に自分の前に立たせた。不服そうに振り向いた二人に、「ここは君たちの出番でしょ」とウィルが囁いたので、しかたなく、まずシルヴィアがきちんとしたお辞儀をしてみせた。

「どうも、はじめまして。お財布が無事にお戻りになりましたこと、本当にようございました。災難な目にお遭いになられましたが、不幸中の幸いで、何よりのことと存じます」

 シルヴィアの丁寧な物言いに、老紳士はたちまち笑顔になった。貴族の子女のなかでも、その物腰の美しさずば抜けているシルヴィアは、いつだって大人に感心されるのだ。

「ずいぶん可愛らしいお嬢様方ですな」

 今度は、レイラの鈴の音のような愛らしい笑い声が響いた。

「お褒めの言葉、嬉しいですわ。おじさまも、お怪我がないようでなによりです」

 そうしてレイラが笑みをほころばせると、まるで花が咲いたように場が華やいだ。老紳士は、レイラをじっと見つめて、ますます目を細めた。

 シルヴィアに対し、レイラはかがやくような愛らしさで群を抜いている。彼女を初めて見た者で、悪意を抱ける人はまずいないだろう。

「こんなかわいい小さな貴婦人を連れた方々に、ご苦労をおかけしたとあっては、お礼をしないわけには参りませんな」

 紳士は戻ってきたばかりの財布を開けると、中から金貨を一枚取り出して、ウィルに差し出しだした。受け取ったウィルは平然としていたが、それを見ていた警官が、驚いた顔をしたのを見て、レイラとシルヴィアは顔を寄せ合った。

「なんであんなに驚いているのかしら?」

「一枚だけど、金貨だからじゃないの?」

 ひそひそ声のつもりだったが、聞こえてしまっていたらしい。警官は、喉を鳴らすと、無理やり作った笑いをウィルに向けた。

「大尉。お連れのお嬢様方は、どうも深窓のご令嬢のようですね」

「君はいい目をしているな。よい機会だから、ざっとした価値を教えてやってくれ」

 ウィルは自分も知らないくせに、ここぞとばかりに言った。レイラとシルヴィアは面白くなかったが、「いいかね、お嬢さんがた」と腰をまげて言い聞かせる姿勢をとった警官には、お行儀よく並んで聞く姿勢をとって見せた。

「金貨一枚あれば、私なら一週間は不自由なく過ごすことができる。だから、こちらの紳士にはお礼を申し上げてもいいくらいなのだよ」

 普通の男性の生活一週間分の価値! 三人の間を、驚愕が走り抜ける。それは、それだけあればアギタリアに行けるだろうという喜びであった。ウィルは、素のまま、やった! と飛び上がりたいのを必死にこらえなければならなかった。

「なんて幸運なのかしら。うまくいきすぎて怖いみたい」

 本当にこんなことが起こるのかと疑問を持ち始めたレイラの肩を、シルヴィアは笑いながら抱いた。

「きっと私たちの普段の行いがいいからよ。なにを不安に思うことがあって?」

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