第5話

 白いふわふわの毛の猫が、街の路地をゆったりと歩いている。猫はなにが物珍しいのか、片時もじっと前を見つめることなく、きょろきょろと目を動かし続けている。

 ふいに、ぱたぱたとかろやかな羽音が聞こえてきた。猫は足を止めると、家々の屋根の上を飛んできたカナリアが、壁によせて置かれている樽の上に舞い降りてきた。見上げる猫の前で、カナリアは一声さえずると、たちまち金色のもやに包まれた。それが晴れてしまうと、樽の上で肩を揺らして笑うレイラが現れた。

「シルヴィアったら、いくら珍しいからって、きょろきょろして歩いていたら変よ。野良猫は、そんな歩き方しないもの」

 シルヴィア、と呼ばれた白い猫は、とまどったように前足で顔をさすったあとで、銀色のもやにつつまれて、たちまち少女の姿にもどった。

「そんなこと言ったら、街中をそんなに毛並みのいいカナリアが飛んでいる方が変でしょ。どこの家から逃げ出したのかと、すぐつかまっちゃうわよ」

「家を抜け出すための変身だもの。ここまでくれば、もうカナリアでいなくていいから大丈夫」

 シルヴィアは肩をすくめると、話を変えた。

「それで、本物のカナリアのシトリンは、おとなしく留守番しててくれそう?」

「それがねぇ……」

 レイラは膝の上で頬杖をついた。

「もともと歌が好きな子なんだけど、人間の歌を歌えるようになったのがよっぽど嬉しいのか、魔法をかけてからずっと歌いっぱなしなの」

 それを聞いて、シルヴィアは笑ってしまった。

「そういうシルヴィアのシェルちゃんは、どうなの?」

「あの子のお昼寝好きは、私になっても変わらないみたい。私のベッドが気に入ったらしくて、気持ちよさそうに眠ってた」

「けっきょく、カナリアはカナリアで、猫は猫ってことね」

 そのとき、羽ばたきがして、二人の頭上の屋根にカラスがとまり、短く鳴いた。それを見たシルヴィアは、顔をしかめる。

「いやね、カラスだわ。カラスといえば、不吉の象徴でもあるじゃない。これからなのに縁起が悪い」

「そんなのただの迷信じゃない、シルヴィア。大丈夫よ。今日はお天気だっていいし……」

 レイラが笑いながら言ったところで、二人は突然の声にびっくりして飛び上がった。

「これはこれは姫君がた、どうしてこのような汚い場所にいらっしゃるのです?」

 振り向いてみると、そこに立っているのは王宮に常駐する近衛兵の中でも、ウィルの護衛を務める、オーウェンだった。

 悪戯好きで、しょっちゅう人を困らせるウィルが、たった一人敵わないのが、このオーウェンなのだ。やわらかで優しそうな整った顔とは裏腹に、人一倍目端がきいて、ウィルの悪戯に先回りして、にっこりと笑いながら、こらこら殿下、いけませんよ、とまるで猫のように首根っこを掴んでいるのを見るのは、王宮では日常茶飯事だった。

 そのオーウェンのことだ。もしかしたら今日の計画が、筒抜けだったのかもしれない……。レイラとシルヴィアは手を取り合って、顔から血の気を引かせていると、突然オーウェンがらしくない様子で、お腹を抱えて笑い出した。

「二人ったら、そんなに怯えた顔しちゃって! 僕、僕だよ!」

 見事、オーウェンに変身した、ウィルなのだった。さすがに普段から叱られ慣れているだけあって、どこからどう見てもオーウェンにしか見えない完璧具合だ。

 驚かされた分、レイラとシルヴィアの怒りはすさまじかった。

「どうして、そんなつまらない悪戯をするの!」

「だいたい、計画とは違うじゃない! ロイに変身するんじゃなかったの?」

「だってさぁ」とウィルは悪びれもなく言った。

「いくらロイが子犬みたいにちっちゃいとはいえ、いちおうれっきとしたオオカミなんだよ? そんなのが街を歩いていたらおかしいじゃん。それにさ、君たち女の子が二人で出歩いているより、大人の男の人が一緒にいたほうが、自然だと思わない?」

 たしかに、とシルヴィアが納得しかけたところで、レイラは思い切り冷たい目をした。

「違うでしょ。どうせ本音は、オオカミの姿で歩くより、人間の格好の方が楽しいって思ったからでしょ」

 図星を突かれたウィルは、よそを見ながら口笛を短く鳴らす。

「まあ、いいじゃん。今日は特別な日だもの。これくらい遊んだってさ」

 あきれる二人のいとこに、これ以上なにか言われる前に、ウィルはさっと手を振り上げて、大通りを示した。

「さあさあ、さっそく行こう!」

「ちょっと待って!」

 さっそく大通りへと出ようとしたウィルの腕を、シルヴィアはつかんで引き留めた。

「あのね、あなたいま、近衛兵の制服を着ているのよ? しかもオーウェンさんって普段はやんちゃなあなたのことを追いかけまわしているから忘れがちだけど、けっこう偉い人なんだから。そんな人が、街を歩いていたら目立ってしょうがないでしょ」

「そうよ。私たちだって、せっかく普通の女の子の服装をしてきたのに」

 ウィルは自分の格好を見下ろして「たしかに」と頷いた。

「でも、制服を着ているオーウェンしか見たことがないんだけど」

「オーウェンさんだったら、何を着ても似合うわよ」

 さりげなく言ったシルヴィアを、レイラは見逃さなかった。肩を掴んで抱き寄せて、頬をつつく。

「あらあら、シルヴィアったら、ああいう人がお好みなの?」

 途端にシルヴィアの顔は真っ赤になる。

「だって……わかるでしょ、美形ぞろいの近衛兵のなかでも、オーウェンさんって、なんというか印象的でしょう?」

「野心家だからでしょ」

 レイラの返事はにべもなかった。

「どうしてそんなことがわかるのよ」

 不満げに頬を膨らませるシルヴィアに、レイラは肩をすくめてみせる。

「かわいいシルヴィア。あなたって、こういうところは疎いのよね。考えてみればわかるでしょう? オーウェン・メイスフィールドのメイスフィールド家は、そんなに身分が高い家柄ではないのよ。それを、彼は出世頭として王子殿下の近侍をしているんだから、あの笑顔通りの中身であるわけがないでしょう」

 とうとうと語るレイラを、シルヴィアはちょっと目を見張った。

「レイラって、かわいらしい見た目に反して、ちょっと鋭いところ、あるわよね」

 そんなシルヴィアの感想を、にっこりと笑って流している最中、ウィルは大通りを眺めていた。こうやって見ていると、宮廷の決まりきった制服とは違って、街のなかはいろいろな格好の人がいて面白いな、と思う。

 見ているとだんだんと、市中の流行りというのがわかってくる。そのなかでも、着こなしが気に入った人を見て、さっそく歌った。

「ねえ、二人とも、見てよ! どう?」

 レイラとシルヴィアが目を向けた先には、清潔そうな白いシャツに、締まった黒いズボンを身にまとったオーウェン姿のウィルがいた。シンプルだけれど、シャツは胸元が少し開いているのが若者らしく、袖のなかほどが一度膨らんで、袖のところできゅっとしまっているのでラインが面白いし、ぴったりとしたズボンは、オーウェンの長い足を強調していた。

「すてき!」

 思わず手を組んで感嘆したシルヴィアに反して、レイラは人差し指を頬に当ててじっくり眺めた。

「ふぅん。たしかに見かけた中では、そういう格好が多かったかも。いいんじゃないかしら」

「ようし!」

 ウィルは両手で握りこぶしをつくると、それを天に高々と掲げた。

「それじゃ出かけよう! 僕らの冒険へ!」

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