第3話

「ウィルのせいで、図書館を追い出されちゃったじゃないの! まだ、ユニコーンの本を半分も読んでなかったのに」

「僕のせいにされてもなぁ。シルヴィアの声が、いちばん大きかった気がするけど」

「それはウィルが怒らせるからでしょ」

 レイラがきびしく言うと、ウィルは肩をすくめて舌を出した。

 図書館を追い出された三人は、ウィルを先頭に王宮の裏庭に向かっていた。

三人は、まったく人の通らない裏庭を見つけており、そこを秘密の場所と呼んでいた。ウィルはそこで新しく覚えた魔法を見せるのだという。

「また陛下の本棚をあさったの?」

 レイラが訊くと、「そうだよ」とウィルは頷いた。

「だって、もったいないよ。珍しい本がわんさかあるっていうのに、父上はめったに読まないんだから」

「でもあの本は、ウィルの悪戯のためにあるわけじゃないでしょ」

 シルヴィアが冷ややかに言うと、ウィルは笑った。

「そりゃそうだ。だけど、いいじゃん。新しい魔法が使えるようになるのって、すごくわくわくするんだ」

 裏庭についたウィルは足を止めると、シルヴィアとレイラに向き直った。

「いいかい、ふたりとも。驚いても大声だしちゃいけないよ。人に見られると、さすがにまずいからね」

 もったいぶった言い方をしたウィルは、目を閉じてひとつ、深呼吸をした。吐いた息にそのまま声をのせて、かるく発声をする。

 すると、レイラとシルヴィアの髪が、風もないのに揺れて、ぞわぞわとした興奮が二人の背筋を駆け抜けた。


茶色の毛ばだった

  毛虫さん

いそいで歩いていく

木かげの葉っぱか茎か

どこだか知らないけれど

行きたいとこまで歩いておゆき

ガマガエルにも見つからず

空を舞ってる鳥にも知られず

まゆをつむいで死ぬといい――

生まれかわって蝶になるため


 ウィルのボーイソプラノはよく響き、空気を震わせながらのびやかに広がっていく。

 少し歌ったところで、かるくウィルの身体が浮いた。それからだんだんと光の膜がウィルを包み込んでいき、その光の中で、まず髪が長く伸び始めた。それから身体つきがひとまわり小さくなり、歌い終わって目を開いたときには、瞳の色があざやかな紫色になっていた。

 そこには、もう一人のシルヴィアが立っていた。

レイラは思わず、隣に立つシルヴィアと、変身したウィルを見比べた。

「うそ……。本当にそっくり」

 ウィルは、シルヴィアの顔でにっこりと微笑むと、呆然と立ち尽くすシルヴィアの手を掴んで、いきなりくるくると回り出した。何度も何度もまわったところでぴたりと止まると、二人 並んだシルヴィアのうちの一人が「さて、どっちが本物でしょう?」と笑った。

 二人のシルヴィアは、表情しか違わなかった。一人はいたずらっぽい瞳できらきらと笑顔を浮かべ、もう一人はひたすら困惑して不安そうな目をしている。

 レイラは、困り顔のシルヴィアを指差したけれど、あまりによく似ているのでまだ驚きがおさまらなかった。

「ウィル。いま使ったのって、もしかして変身魔法?」

「もしかしなくても変身魔法だよ。もちろん」

 ウィルはシルヴィアの声で、得意気に言った。シルヴィアは、ぱっと手を離すと、信じられないというふうに首を振った。

「なにやってるの、ウィル! すごいけど。たしかにとてもすごいけど、変身魔法はとても危険だって、授業で何度も習ったじゃない」

「変身魔法には免許が必要だし、免許を持ってる人だってよく事故がおきて、変身し損なったり、戻れなくなったりするって、よく話題になっているでしょう?」

レイラとシルヴィアはそう言ったけれど、ウィルはあっけらかんと「僕はそんなヘマはしないよ」と言った。そして、指を鳴らすと、あっという間にいつもの赤金色の髪の姿に戻った。

「ねえ、考えてほしいんだ。この魔法を、三人で覚えたら、ユニコーンを見に行けると思わない?」

 レイラとシルヴィアは、ウィルがとつぜん披露した変身魔法で、ユニコーンのことをすっかり忘れていた。変身魔法とユニコーンとがうまくつながらなくて、ふたりともきょとんとした顔をしていると、ウィルは早口でまくしたてた。

「まず、自分たちが動物かなにかに変身して、抜け出すんだ。ぼくらみたいな子どもが変身魔法を使えるなんて、ふつうの人は考えないから、三人だけの秘密にしておけば、絶対にばれないよ」

「うまく抜け出せても、いなくなったらすぐにばれるじゃない」

 シルヴィアが言い返すと、ウィルは首を横に振った。

「ばれないよ。身がわりに、ほかの何かを変身させておけばいいんだ」

「ほかの何かって、なによ?」

「僕は、ロイにするつもり」

 シルヴィアは、思い切り顔をしかめた。

「あの、いたずらもののロイ?」

 ロイは、まだ子犬くらいの大きさしかないものの、れっきとしたオオカミで、赤ん坊のときに、毛並みが赤色でめずらしいからという理由で、王家に献上された。けれども、誰にもちっとも懐かず、ひどい暴れん坊で手を焼いていたのに、なぜかウィルだけにはすぐ懐いてしまった。それでウィルのペットになったものの、飼い主に負けず劣らず悪戯好きで、しょっちゅう脱走しては、侍女に悲鳴をあげさせている。唯一言うことを聞かせられる飼い主のウィルは、叱るどころかおもしろがって、悪戯に参加することすらあるので、たちが悪い。

「あんな子を人間にしたら、悪戯がひどくなるんじゃない?」

「まあ、悪戯をして誰かを困らせるのは、本物のウィルでも同じでしょうね」

 レイラは、かわいらしい笑顔を浮かべたが、言っている内容はなかなか辛辣だ。

「僕がいない間、かわりに暴れまわってくれればいいんだ。そしたら、ロイを追いかけるのに忙しくて、きっと僕が魔法をつかったなんて、誰も考える暇がなくなるから」

 そんなにうまくいくわけがない、とレイラとシルヴィアの顔に浮かぶのを見て、ウィルは二人へ一歩踏み出し、身を乗り出した。

「失敗する可能性は、そりゃあるよ。でも、うまくいくかもしれないじゃないか。この魔法をうまく使えたら、きっと抜け出せる。自由に街を歩いて、自分の足でユニコーンを見に行けるんだ。いままでできなかったことだよ。それなら、あとでばれておしおきされたって、別にいいや、ってぼくには思えるんだ」

 ウィルの熱っぽい口調に、レイラとシルヴィアは少し心動かされた。そうして二人で顔を見合わせたとき、お互いが同じことを考えているのがわかった。

 レイラもシルヴィアも、王国のなかでは大変なお姫様だ。お世話係が何人もいるけれど、それはつまり、それだけ人の目に縛られているということだった。物心ついてから、一人で好きにでかけた思い出なんてない。

 大仰な馬車で街を行くたび、窓から見える普通の子供たちを見るのは、ひそかな楽しみだった。仲良し同士で、好き勝手に街を歩くことは、王女の娘である二人には絶対にできないことだから。

 けれども、もしかしたら、それが叶うかもしれない。レイラとシルヴィアが、お互いの顔に見つけたのは、その小さな興奮だった。

 そうして二人は図書館の本で、胸をときめかせながらながめた、美しいユニコーンが駆ける様子を思い出していた。

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