Chapter1-2 異世界召喚ですか? PART2

 翌朝、目覚めた和樹は足音一つ立てず、鬱蒼と生い茂る木々のなかに溶け込んでいた。

 日の出前ということもあり、あたりは不気味にも薄暗闇で染められている。

 不安定な足場を靴底でしっかりと捉えて迷い無く歩みを進める。

 目指す先は、昨夜に放置したばかりの手荷物の場所だ。迷わぬように生い茂る木々や草花などに目印をつけてある。



 静寂のなかに佇んでいるトロリーケースを、目視するや否や安堵の息を零す。

 野宿する際に安全考慮のために必要最低限の物資だけ整えて、残りの不必要な生活用品などを置いてけぼりにしてきたのだが、実のところ野生動物などが好奇心や餌を求めて掻っ攫う確率が高いと考えていた。だが運の良いことに物色された形跡も運び出そうとした痕跡も見当たらないところを見るに、手をつけられずにすんだようだ。



 予定通り荷物を確保した和樹は、即興で造形した拠点へと軽やかに、されど物音なく駆ける。



 朝焼けが木々の隙間から照らす。

 僅かな燻りをあげる簡易版発火装置の近くで規則的に可愛らしい寝息を立てる天使のまどろみを妨げないのが男の甲斐性のひとつだ。前年度に息を引き取った荘厳な祖父師匠の遺した言葉にも似たようなものがあった。



「おい……起きてるか……?」



 呼びかけるためではなく、確かめるために口にして和樹は右拳を固める。東側の陽光はしっかりと照らされ始めていて、微かな温もりが乙女の眠りを包み込んでいる。自然で出来た天蓋の下の天然式ベッドの上には、未だ目を覚まさぬ眠り姫が掛け布団代わりのシャツをフワリと羽織って気持ちよさそうにしている。



 晒け出された外気の空気を肺腑に送り込み、少女の仄かに香る甘酸っぱい匂いをすぅ、と吸い込み和樹は忍び寄る。

 そこでグッ、と。固めていたものを眼前に振り絞る。

 殺意の篭った拳が、木々の隙間から差し込む光を受けてより禍々しくなる。

 眠り姫は、いまだ起き上がる気配もない。



「そろそろ起きろよ。じゃないと─────」



 天使の眠り巣脇に立った和樹は、引き絞った拳を照準に合わせて─────



「─────殺しちまうぞ?」



 ドガッ!と、容赦無く和樹の細腕から放たれたとは思えない剛腕の一撃が振り下ろされた。

 寸前、シャツの端が勢いよく翻っていた。

 発条を十全に活かした飛び出しに感嘆しながら、土草でごろごろと受け身をとって反転しながらはね起きる少女に視線を緩やかに移す。



 身体のラインがしっかりと浮かぶ軽装と、ミスリルを彷彿とさせる白銀髪をあられもなく乱した少女が、肩で息を繰り返した。



「はぁっ……はぁっ、ゴホ……っ! き、貴様ぁ……っ。ワタシを殺す気かぁ! 宮部和樹ぃぃ!!」

「おぉ。おはよう、暗殺者擬きちゃん。良い反応だったぞ」



 満足気に答えて、地面を穿っていた拳を引き上げてみせる和樹である。

 忿怒の形相を浮かべる少女に対して、何食わぬ顔で投げ捨てられたシャツを拾い上げて整え、手際良く火を起こしてみせる和樹の姿に、当然ながら少女も憤然を露わにした。



「許さんぞ、宮部和樹ッ! 殺気で起こすだけでは事足りず、まさか本気の拳を躊躇いなく急所に打ち込むとはな! 恥を知れっ」

「昨日、俺をストーカーした分の仕返しだ。殺意を出して気付かせてあげるだけマシだと思え」

「そういうことではないっ。心臓が裂けるかと思っただろうが!」

「裂けなくてよかったじゃねぇか。俺的には潰しても良かったんだがな」

「殺す……ッ!」



 何を言ってものらりくらりと躱すだけの少年に、逆鱗に触れた少女が突貫する。

 暗殺術を極めた一閃が揺らめき、和樹の喉を裂く。が、手応えなく組み伏せられる。

 極まった。間違いない感触に少女は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。



「あ、ぐぅ……っ」

「大人しくしとけ。めんどいから」



 苦痛で顔を歪める少女を嗜めるような口調で叱責する。感情任せに激昂していないだけで、彼は怒りに苛まれている。

 証拠に、本来の少年なら間違いなく女性相手にこのような手法で身柄を拘束することはない。少女の這い蹲る形にしたのはある意味相手に屈辱の恥辱をあたえるためであって、それ以外に意味は無い。



「ぁ……ぐぅ……っ、は、はな、せ……っ」

「襲わない。ちゃんと話をする。この二つを守れるなら今すぐ解放してやるよ」

「だ、だまれっ! 始めに拳を叩きつけたのは貴様からだろうがっ」



 呼気が荒く、痛みで屈伏させられるように組み伏せられているにもかかわらず、少女は逸脱したの胆力で上に跨る和樹に向けて鋭く冷酷な責め立てる視線をぶつける。



「うっせ。そもそも俺より長く気絶してるオマエが悪い。ちゃんと目覚まし代わりになってやったんだ。むしろ感謝してくれ」

「どこの世界に殺気を撒き散らして目覚まし代わりになると、ほざく大馬鹿野郎がいるというのだ! この大馬鹿屑野郎めっ」

「ここにいますけど、何か?」

「開き直るなっ」



 道化を演じる和樹の軽い対応に反応を示していると、気疲れを隠せないでいる。

 馬鹿らしいボケにツッコミを常時入れているだけで、ここまで疲弊するものなのか? 否、それだけで彼女がここまで意識を混濁させることはない。

 彼女が精神的に追い詰められている理由は明確。和樹から収めきれていない溢れ切った殺意が原因だと、気がつくのに数瞬もかからなかった。

 軽々しい口調でありながら、その身から放つ殺意は濃密で常人ならまず間違いなく意識を覚束せるレベルだ。

 下手な動きを見せれば殺される。それを実行できるだけの実力と胆力を彼は携えている。

 の戦闘ならば、万に一つでも少女に勝ちの目は無い。



「……わかった。貴様の条件を呑むことを、我が主神に誓いを立てよう」



 一間あけて降参の意思を表示した少女は組み伏せられて捥がく行為を止めた。

 抵抗の意思を抑え込み、少年の要求に付き従うことにしようと冷静な判断を下した理性が本能を屈伏させた。



「主神、ねぇ〜……今時、そんな事言う奴がいるとはな。正直、時代錯誤な文明だな」

「ふん。貴様等、下層の生命にはわかるまい。我らが付き従う神がどれほど崇高で万物なのか、な。彼こそ至高の神物────」

「知るかっ! オマエ、イタイ系かっ! 明らかに口調とか内容とか、完全に厨二全開だから! それと、いいこと教えてやる。俺は無神論推奨派だ。オマエの言うところの主神の存在なんざ知ったこっちゃねぇんだわ。興味もない」

「な……っ?! この不孝者めっ! 我が主神からの神託をその身に捧げられておきながら、その愚昧極まる発言っ! もはや看過できんっ。大人しく首を落とさせろっ」



 などと、話にならない平行線が暫く続き先に折れたのは結局は和樹だった。

 彼とて体力の限界もいいところで、本心ではさっさと自宅になる場所の寝室で草臥れたい気持ちで埋め尽くされていた。

 窶れた顔付きで諦観を示して、腕の拘束を緩めて、ある提案をひとつ少女に提示する─────



 ─────



「─────漸く、到着したぁ〜。あぁ、これぞアットホームっ! ビバ、マイホームっ!」

「キモい」

「普通に傷ついた」



 下山し、日を跨いで漸く帰宅した実家の門構えで、陽気で晴れやかな気分を表明するように朗らかに小躍りしてる様をキモいと一蹴した少女。と、同時に本気の傷心を負った和樹。



 どちらも泥だらけで薄汚れた服装で、擦り傷も多い。少なくとも人前に出れる格好でないことは誰の目から見ても一目瞭然だった。



 とにかく、この汚れを落としたい。その思いを一身にして和樹は少女に自宅で話し合うことを提案した。おもむろに自身の優位性を強調しながら、あくまで彼自身が主導権を握れる形での提示。

 反抗があって致し方ないと、心の隅では思っていた。

 だが返ってきたのは清々しいほどの了承だった。しかも必死だ。むしろお願いまでされた。

 これには、さしもの和樹ですら面を食らった。が、瞬間にして答えに至る。

 考えてみれば、なんとシンプルなことやら。両者に共通する現状の泥だらけの姿見。少女は逸早くこの状況から脱したいのだ。



 やはり、男勝りな口調で、高い身体能力と暗殺術を誇る彼女も年頃の少女だったということだったのだろう。

 可愛らしい一面があるじゃないか、と揶揄すると顔を朱に染めて羞恥しながら拳を振るわれたのは当然の帰結と言えるだろう。



 なんにせよ、二つ返事で了承された時点で長く山中にいる必要性は無くなり、二人は直様に、下山した。



 そして人に出くわさぬよう、細心の注意を払って警戒心を徐にして素早く移動を重ね、およそ三十分ほどで目的の実家に足を運ぶことができた。



(にしても、外見はボロっちくなっただけで、あとは何も変わってねぇんだな)


「どうかしたのか?」

「……いや、なんもねぇーよ」

「? そうか」



 過去の感傷に浸っていたが、思考を通常に戻して両親から渡された鍵を差し込み、玄関から真っ当に入った─────



「うわぁ……」



 ─────瞬間にして絶句。

 数年単位で蓄積された家電屑や大型ゴミなどで散乱されたゴミ屋敷が和樹や少女の精神力をゴリゴリに削って行く。

 足場すらままならない状況に、その場で頭を抱えこみちゃんとした事情説明を怠った両親と、質問しなかった過去の自分に怨嗟の念を送る。

 至らない自分に腹立たしさを覚えながら、少年は地道にやっていくしかないと諦念し、玄関を閉じた。



「……おい宮部和樹。貴様を含めた親族は片付けの『か』の一文字も知らないのか?」

「いい返す御言葉もございません」



 今日は、少女のジト目がよく突き刺さる。

 なまじ視線を逸らしながら、現実からも逃げ出したい衝動に駆られた。

 が、それを許される状況でないことは、分かっている。故に、その他の提案を模索する。



 そして、一筋の光明が脳裏を掠めて脊髄を通過する。



「仕方ねぇ。使うか……」

?」

「あぁ。だ」



 和樹の意味深な言葉に首を傾げながら、少女は迷い無い少年の歩みに沿うように着いていった。



 彼女の美しい白銀の双眸が捉えた少年の背中から漂うのは先程までの殺意で満たされていたものとは全く別物の酷く寂れた哀愁だった。


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聖杯の呪いですけど何か? リメイク版 KAMITHUNI @KAMITHUNI

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