第21話 百物語の午後6
「なかなか味わい深い怪談でしたね。白いモノの正体はわからずじまいでしたけど、下手な解釈がつくより尾を引きます」
僕が感想を言うと、天城部長がうなずいた。
「うむ、なかなか不気味で雰囲気を盛り上げるという意味では上々だったな。じゃあ、高瀬よ、この怪談集を19話めくるのだ」
「へいへい」
蒼い闇の中でパラパラと本をめくる音だけが聞こえる。
「これでいいのか、えっと現在四十一話だな。実際に百話語るとなると相当時間がかかるな、これ」
「一度は挑戦してみたいがな、じゃあ、次は小幡さんに語ってもらおう」
「は、はい、ご満足いただけるかわかりませんが」
ちょっと緊張気味な様子で小幡さんが語り始めた。考えてみれば、彼女が自分から謎や不思議な話をすることは今までなかったはずで、どんな話になるのか楽しみである。
「ええと、これはお友達の友達から聞いた話です。お友達の友達は関西の出身らしくて、その地方では有名な話だってことです」
友達の友達か、定番の始まり方だが僕は結構好きである。本当でも嘘でも、どちらでもありえそうな絶妙な表現だと思う。
「大学生4人が集まって、夜に飲み会をしていたそうです。えっと、AさんとBさんが男性で、CさんとDさんが女性という組み合わせです。飲み会をしているうちに怖い話で盛り上がってきて、Aさんが近くに心霊スポットがあるから言ってみようって言い出しました」
スタンダードな導入部分である。定番の展開だと、CさんかDさんあたりが霊感が強くて、気分が悪くなったり様子がおかしくなったりするのだが。
「Bさんは少し怖かったのですが、女性たちが乗り気になっていたので、仕方なくついて行くことにしました。Aさんが車を出して、山の方へ向かいます。行き先は、何年か前に潰れたと言われている廃病院でした。そこは……」
小幡さんはそこで言葉を止めると、しばらく黙り込んだ。
どうしたんだろう、と不審に思っていると、2階の方から微かな音がしたような気がした。
「うん?どうかしたの」
「あっ、いえ、何か音が聞こえたように思って。ええと、わたしの思い過ごしです」
のんきな口調でたずねた天城部長に、小幡さんは若干慌てながら答えた。僕たちは、部長の企みに気づいていないフリをしなくてはならないのだ。それにしても、一体何をするつもりなのだろう。もしや、2階に僕たち以外の誰かを呼んでいるのだろうか。
「ええと、続きです。廃病院に着くと、盛り上がるCさんとDさんとは対照的に、Aさんが怖がり始めました。その様子を見たBさんは、強がって病院の中に入ろうと言ったのです。Bさん以外の3人は戸惑った様子でしたが、Bさんが足を踏み入れるとついてきました」
Bさんは、Aさんに対抗意識を持っていたのだろうか。怖気づくAさんの前で、勇気のある振る舞いをみせて、女性陣の歓心を買おうとする気持ちはわからないでもないが、怪談的にその行動はアウトな気がする。
「病院内は、ガラスが割られたり備品が散乱していたりと荒れていましたが、建物自体は案外きれいだったそうです。Bさんは、怖さよりも好奇心が勝って病室や診察室を覗きました。Aさんは相変わらずびくびくしていましたが、CさんとDさんは先頭を歩くBさんにくっつくようにしてついてきます。その状況に気をよくしたBさんは、どんどん大胆になっていったそうです。ナースステーション、いえ事務室だったかな、とにかくそういう部屋に入ったとき、部屋の隅にキャビネットが倒れているのが目に入りました」
ふむ、霊安室や病室ではなくて事務室か、果たしてどんな展開になるのだろう。
「Bさんが調べてみると、キャビネットの中身はカルテでした。Aさんは、本当に怯えてしまって、そんなものに触らずに早く帰ろうとせかします。その様子を見たBさんは、悪戯心が湧いてきて、カルテを取り出してみんなに見せました。驚きと称賛の目を向けてくる女の子に気をよくしたBさんは、カルテを一つ取り出すと戦利品として持って帰ることにしたそうです」
調子にのったBさんが痛い目にあうパターンだろうか、ちょっと楽しみである。
「翌日、遅くまで騒いでいたBさんは、眠い目をこすって大学へ向かいました。駅のホームに立って電車を待っていると、何か声が聞こえたような気がします。不審に思ったBさんは周囲を確認しましたが、みんな黙って電車を待っているだけで知り合いの姿もありません。白線の手前でBさんが首をかしげていると『…え…て』『……して』とかすれたような女性の声が背後から聞こえてきました」
小幡さんは、声色を変えて聞こえてきたという声の部分を語ったが、なかなか雰囲気がでていた。
「Bさんは、振り向こうとしましたが、得体のしれない声が耳元で聞こえてきて動けなくなりました。背中から肩へと、何かがはいのぼってくる気配がします。それは、ぶよぶよとしつつも妙に硬い感触もあるという不気味なものでした。何者かの息遣いが首筋にかかってきたところで、Bさんは半ばやけになって振り返りました。そこには……」
蒼白い闇の中で、天城部長がビクリと身体を震わせる。
「ぼろぼろの患者服を着て、虚ろなをした目女性が、Bさんに密着するように立っていたのです。『カルテ……かえして』今度は、はっきりと声が聞こえました。驚いたBさんが尻もちをつくと、その背後ギリギリのところを電車が通過していきました。Bさんは、慌ててカルテを廃病院に返しにいった、ということです」
蒼い明かりがまた一つ消えた。残りは僕と天城部長の2つである。
「ど、どうだったでしょうか?」
小幡さんが心配そうな声を出した。明かりがこれだけになると、もはや表情も分かりづらい。
「良かったと思うよ。怪談としてはオーソドックスな話だけど、僕たちと同じような大学生の話っていうのがリアリティがあるし、人の口から聞くと、語り手の個性が出て味わい深いね」
「よかった。永瀬君って、本当に怪談が好きなんだね。あっ、この話に出てきた廃病院は、お友達の友達の地元では有名らしくて、この怪談をすると行ってみようか?っていう雰囲気になるんだって」
「へえ、それも面白いね。実際に行った人が、新たな怪談を産むことになるのかも」
関西で有名な廃病院か、こんど調べてみようかな。
「怪談担当の永瀬による講評も終わったことだし、小幡さんよ、怪談集を十九話分めくってくれ」
明かりがないと大変だろうと思ったので、僕の持っているスティックライトで照らしてあげる。光量の乏しい中で見る怪談集は、なんだか邪悪な書物に見えた。
「十一、十二……きゃっ」
パラパラとページを送る音の合間に、小幡さんの小さな悲鳴が混ざった。
「もう、この挿絵怖すぎ。絵がない本だと思っていたのに、急に出てくるから」
「何を言ってるんだ。オレは隅々まで読んだけれど、挿絵なんてなかったぜ」
「う、嘘……」
「もちろん、嘘だ」
「この状況で、心臓に悪い嘘はやめて下さい。ええと、これで全部だから、現在六十一話まできましたね」
「よしよし、順調だな。そろそろ、怪異の前兆が現れる頃かもしれないな。次は永瀬、頼むぞ」
「では、僕は夏らしく海の怪談を語りたいと思います」
スティックライトの蒼い光を見ながら、用意してきた怪談を語り始める。
「大学生のA君、B君、C君の3人は夏休みに海に行くことにしました。その海はナンパで有名なところで、男子3人は出会いを求めて繰り出したのです。ところが、海水浴場に居たのは親子連れとカップルばかりで、ナンパなんてとてもできそうにありませんでした。おまけに、すごい人でろくに泳ぐこともできません。仕方がないので、3人は人の居ない岩場の方へと移動しました」
「岩場に謎の巨大生物の死体が、という展開ではないんだろうな。あっ、いや、続けてくれ」
高瀬先輩が合いの手、というか願望を口にした。先輩は、水棲UMA好きなのだが、これはそういう話ではない。
「岩場には人が全くいないものの、波が激しい上に岩礁がところどころ海に突き出ていて、とても泳ぐことなどできそうにない。途方にくれていると、きれいな女の子が近づいてきて、3人に話しかけた。女の子が言うには、この岩場で過去に不幸な事故があったから近づかない方が良い、ということだった。女の子は、海の家で働いているのだが、岩場に近づく3人を見かけたので警告しにきたのだという。3人に泳ぐつもりはなかったのだが、どこか影のあるきれいな女の子に興味をもった彼らは、過去の事故について聞いてみることにした」
「定番のシチュエーションだが、やっぱりわくわくするな」
怪談に関しては、天城部長と僕の嗜好は似ているようである。
「十年ほど前、母娘二人連れが海にやってきたそうだ。混み合った海水浴場を避けて、母親は幼い娘をこの岩場で遊ばせていた。女手一つで娘を育てていた母親は、日頃の疲れたが溜まっていたのだろう。気がつくと、浜辺でウトウトしてしまったそうだ。どのくらいたっただろうか、母親が娘の声で目を覚ますと、眼前の景色が一変していた。潮が満ち、激しい波が岩場に叩きつけられている。そして、小さな娘は荒れた海の中にわずかばかり頭を出した岩礁に取り残されていた」
みんなは黙って話を聞いてくれているようである。
「助けを呼ぶには時間が足りない、母親は危険を承知で娘を助けに向かった。しかし、岩場に足を挟まれてしまい動けなくなってしまう。大きな波が打ち寄せて、母親の姿は海面下に没してしまった。幼い娘は、助けを求めて泣いていたが、意を決して母親が沈んだ辺りに飛び込んだ。……潮が引くと、母娘の亡骸が抱き合った姿で発見されたという」
「可哀そうな話なんだね」
小幡さんがぽつりと呟いた。この話はよくなかったかな、と思ったがここで路線変更もできない。
「その話を聞いたAさんたちは、泳ぐ気を無くしてしまってさっさと帰ることになった。帰り際、Cさんの提案で女性と写真を撮ることになったが、女性は写真は苦手だと言って撮影係を務めたそうだ。あっ、言い忘れていたけれど、これは昔の話だから、スマートフォンとかはなくて、フィルム式のカメラで撮影したんだ。だから、写真はカメラ屋さんに持っていって現像してもらわなくてはならなかった時代なんだよ」
そうだ、これを最初に言っておけばよかった。いや、それを言ったら写真に何かがあるということがわかってしまうか。
「写真を見た3人は驚いた。海を背景に写真を撮ったのだが、背後の海からは無数の灰色の手が伸びていたからだ。腐乱したような腕に恐怖した3人は、写真をお寺に持っていって見てもらうことにした。寺の住職に事情を話して、写真を見せたところ、住職の顔色が変わった。住職が言うには、死者の霊が海へ生者を引き込もうとしている。かつての事故の因果が、あの世へ魂を引き寄せようとしているらしいのだ。怯える3人に住職は言った『現場にいた者は、あの世のモノに触れられてしまっている。だから、お盆までは決して海や川に近づいてはいけない。うかつに水辺に近づくと引きずり込まれてしまう』と。また、住職は助言もしてくれて、その内容は『お盆を過ぎればあの世のモノは元の世界に帰るから、それまで水に気をつけなさい』というものだった」
自分で語っておいて何だが、お寺の住職がこんなことを言うだろうか。そもそも仏教が霊の存在を認めているかという問題があるし、除霊とかお祓いだと神社のような気がする。だが、怪談にこういうツッコミは無粋というものである。
「お盆まではあと少しだったので、3人はおとなしく過ごすことにした。海や川に行けないのはつらいが、異様な写真を見ると仕方がない。一度、Bさんがお風呂で溺れかけるという事件があり、3人は気を引き締めて生活していた。そして、お盆になった。あと一日というところで、Cさんが姿を消した」
話はクライマックスである。みんなは黙って聞いてくれているようだ。
「AさんとBさんは、慌ててCさんを探したがどこにも姿が見えない。もしかしたら、と思った2人はあの海へと向かった。そこで見たものは、例の岩場集まる人々の姿だった、どうやら若い男性の遺体が打ち上げられたらしい。無事でいてくれという願いも虚しく、2人が目にしたのは変わり果てたCの姿だった」
暗闇の中で、エアコンが作動する音だけが聞こえる。
「なぜ、危険だと知りつつCは海にやってきたのか。考え込んだAは、ある考えに思い当たった。寺の住職は、あの場に居た人間が呪われている、というようなことを言った。だとすると、自分たち3人だけでなく、あの女の子も対象だったのではないか。もしかしたら、Cさんはそれに気づいて女の子に警告するために海へ来たのではないかと。残されたAさんとBさんは、海の家で働いている、と言った女の子を探すことにした」
「女の子と写真を撮ろうって言いだしたのも、Cさんだったよね」
小幡さんがぽつりと呟いた。
「ところが、例の女の子は見つからなかった。海の家で聞いてみても、そんな子が働いていた形跡は一切なかったらしい。不思議に思いながらも2人は海を後にし、例の写真はお寺で焼いてもらったそうだ」
僕はスティックライトを操作して明かりを消した。残すは天城部長が手に持っている最後の1つだけである。
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