第20話 百物語の午後5

「というわけで、事故現場にお供えをすること自体は良いのですが、管理をしっかりしないといけませんね。ジュースや菓子類は、その場に置かずに供養として自分で食べるか持ち帰った方が良いという意見もあります」

 さっきの怪談から、こんな教訓が出てくるあたり川北らしいと言える。

「どうでしたか、部長?」

「……あっ、うん、思っていたよりも良かったぞ。案外、素質があるのかもな、ええと」

 何だろう、天城部長の反応が少し遅れたような気がする。

「そ、そうだ。川北よ、ここに『実録怪談 ベストセレクション100』があるから、ええと適当に十九話分めくってくれ」

「いいですけど、何の意味があるのです?」

「ここに居るのは5人だ。一人あたり二十話語らないといけない計算になるけど、そんなの無理だろ。だから、その怪談集をめくることで代用しようってわけさ」

「マニ車かよ」

 高瀬先輩が聞き慣れない単語を口にする。

「何です、マニ車って」

「俺も詳しくは知らないんだが、チベット仏教で使う道具らしい。円筒形の物体の表面にお経が彫ってあって、それを回転させることでお経と唱えたことになるらしい。日本でもお坊さんがお経を唱えながら、経典をパラパラめくるのを見たことがあるが同じようなものなんだろう」

「ほほう、オレは、それを知らずに怪談集をめくって話数を稼ぐ方法を編み出したのだが、偉いお坊さんもやっていたとはな。さすがだぜ」

 天城部長は、身体をゆすりながら自画自賛した。相変わらず落ち着きのない人である。

「では、はじめますね。えっと『黒い腕』『路地裏にて』『校舎の七不思議』……。ええと、これで19話分で、自分が語ったのとあわせてで20話消化です。部長の1話を加えると、現在21話が語られたわけですよね。……部長?」

「あっ、いや、すまん。そう、それでいい」

 どうも先ほどから天城部長の様子がおかしい。ぼんやりしているというか、落ち着きがないというか。

「どうしたんだよ、そわそわして。トイレだったら、さっさと行ってこいよ」

「す、すまん。ちょっと、行ってくるから待っててくれ」

 高瀬先輩が言うと、天城部長はそそくさと立ち上がった。部長が部屋を出ていく際、開けられたふすまから眩しい夏の光が差し込んでくる。陽の光を見て、今はまだ昼だということを思いだした。


「まさか、本当にトイレだったとはな。遠足前に興奮しすぎて体調を崩す小学生か」

 高瀬先輩がふすまを閉めながら、あきれたように言った。室内は、再び人工的な蒼い光で照らされる。

「部長らしいといえばらしいですよね。いい感じに雰囲気が出てたのが、一気に現実に引き戻されましたけれど」

 僕が言うと、小幡さんがくすりと笑った。

「でも、わたしが想像してた以上に怖かったから、ここで一息いれられてよかったかも」

「部長自ら百物語途中でトイレに行くことのハードルを下げてくれたからよかったかもね」

 川北が言うと、その場のみんなは小さな笑い声をあげた。

 そのとき、天井の方から微かな音が聞こえた。


 パタパタと、何かが屋根に落ちるような音。雨だろうか、それは夕立の降りはじめに大粒の雨が屋根にあたる音に似ていた。いや、さっき天城部長がふすまを開けたとき、外は明るかった。雨ではない。よく聞いてみようと、耳をすませたときには、その音は消えていた。

「何だ?屋根に何かが当たるような音がしたが。雨じゃあないよな、天城がふすまを開けたときは晴れてたはずだ」

「雨戸を閉まっているのではっきりとはわかりませんでしたが、外の物置の方から聞こえたような気がします」

 高瀬先輩の疑問に、川北が答えた。物置か、確かに雨戸のせいで音の方向はよくわからなかったが、この部屋の真上ではなかったかもしれない。

「何でしょうね。小石が屋根に落ちたような音にも聞こえましたけど。あっ」

 小幡さんは何かを言いかけて、手で口を押さえた。

「この状況で、そんな意味ありげな態度をされると気になってしまうんだが。どうした?」

 高瀬先輩がうながすと、小幡さんは少し言いにくそうに口を開いた。

「考え過ぎだと思うんですけど、屋根から奇妙な音がするって、部長さんが最初に語ったお話に似てるなって思ったんです。確か、不吉な事が起こるときに、前兆が上空に現れるのでしたよね」

 僕は、家の屋根に老婆が居て、じっと室内をうかがっている状況を思い浮かべた。暗い室内で想像してみると気味が悪い。みんなも、同じように考えたのか黙り込んだ。


 そのとき、再びパラパラともカリカリとも聞こえる音が聞こえた。小石が屋根に落ちたようにも、硬いもので屋根を引っかく音にも感じられた。

「案外、考えすぎじゃないのかもな。おっと、俺が言いたいのは心霊現象じゃない、天城のヤツだ。あいつ、なんでこのタイミングでトイレに行ったんだろうな」

「あっ、そういえば部長さんって、1人だけお茶を飲みませんでしたよね。なのに、トイレって不自然といえば不自然かな」

「こうなると、部長が2階へ立ち入ってはいけない、と言ったのも意味ありげに感じられますね。まるで、2階に見られては困る何かがあるような」

 高瀬先輩に続いて、みんなが疑問を口に出す。

「ええと、つまり部長はトイレに行くと言ってましたが、実は2階でさっきの音を鳴らしていた可能性があると。怪談を話す順番を指定したのも部長ですから、僕たちを驚かそうと何か企んでいるってことでしょうか」

 僕がまとめるように言うと、暗闇の中でみんながうなずく気配がした。 

「でも、どうしますか?戻ってきた部長を問い詰めるのも無粋な気がします」

「そうだな、ここは天城の企みにのってやろうじゃないか。おそらく、百話目が終わったあとに仕掛けてくるだろうから、気づいていないフリをしつつ警戒しておこう。子供だましの演出だったら、そんなものは見破っていたと逆襲してやろうぜ」

 高瀬先輩が言い終えると同時に、ふすまのむこうからドタドタとした足音が近づいてくる。僕たちは黙ってうなずくと、のんびりと休憩していたように装った。

「すまんすまん、ちょっと腹の調子が悪くてな。みんなもトイレに行きたかったら遠慮なく言ってくれ。あっ、できれば早いうちに行ってくれると助かる。百物語の後半は雰囲気を大事にしたいからな」

 慌ただしく入ってきた天城部長は、元の座布団に座った。僕は、ふすまが開いたときに外をちらりと見たが、文句のつけようのない好天である。やはり、あの音は雨などではないようだ。とぼけたふりをした部長は、果たしてどんな策をめぐらせているのだろうか。

「じゃあ、次は高瀬だ。言っておくが……」

「わかってる。俺は心霊関係には否定的だが、せっかく百物語をやってるんだ、わきまえているさ」


「これは、俺が中学生の頃に聞いた話だ。キャンプに行ったときに、指導員が叔父の体験だという設定で……。いや、指導員が叔父さんの話を聞かせてくれたものだ」

 高瀬先輩は、設定と言ってから慌てて誤魔化した。

「面倒なので、その叔父さんのことはAさんと呼ぶことにする。さて、Aさんは若い頃から山登りが好きだった。山登りといっても、少し変わっていて、彼の場合は1人でふらっと山に入って何泊かするというものだった。Aさんが言うには、誰もいないような山で寂しさを味わうのが良いらしい。そんなAさんだが、就職して同じ職場の女性と結婚することになった。相思相愛ではあったのだが、相手の女性は結婚するにあたって一つの条件を持ち出してきたんだ」

 山の怪談というのも、人気のあるジャンルではあるが、どんな話になるのだろうか

「それは、危険だから1人での山登りはやめて欲しいとのことだった。Aさんは、少し迷ったもののすぐに了承した。就職してからは、山登りへの熱が冷めていたし、奥さんが自分のことを心配してくれているのがわかったからだ。数年後、2人は仲良く過ごしていたが、ある日、奥さんは友人と一緒に泊りがけの旅行に行ってしまった。1人になったAさんに、ふと山登りがしてみたい、という欲求が蘇ってきたそうだ」

「男の人って、そういうところがありますよね」

 小幡さんが面白くなさそうに言った。もしや、これは彼氏のことなのだろうか。いや、父親のことか一般論として言っているのかもしれない。僕が深読みしている間にも、高瀬先輩の話は続いていく。

「当時、Aさんたちが住んでいたアパートはとある地方の盆地にあったので、天気のいい日には街を取り囲む緑の山がきれいに見えたそうだ。Aさんのアパートは玄関を出ると、遠くに山が見えるのだが、そこには電力会社が立てた鉄塔がいくつか並んでいた。あの鉄塔を見に行ってみたいな、Aさんはふと思いついたそうだ。そこなら、半日ぐらいで往復できそうだし危険もない。これなら奥さんとの約束を破ることにはならないだろう、そう思ったAさんは支度をして家を出た」

 鉄塔のある山、心霊現象とは関係のない話なのだろうか。

「Aさんが向かった山は、特に何もない山だから、きちんとした登山道があるわけではない。鉄塔へは電力会社が作った管理用の道があるのだろうが、関係者以外は立入禁止の可能性が高いので、Aさんは地図を見ながら適当な林道を登って行くことにした。杉林の中を細々と続いている道を歩いていると、昔に感じた楽しさが蘇ってくるのを感じたそうだ」

「ところが、その楽しさは長くは続かない、と」

 妙に嬉しそうに天城部長が言った。どうやら普段の調子が戻ってきたようである。

「まあな。Aさんが登ったのは杉の木が植林されたところだったから、次第に単調な風景に飽きてきたそうだ。山の中は暗い上に、よく育った杉が視界をさえぎるから景色を楽しむこともできない。しかも、Aさんの感覚ではそろそろ鉄塔の近くにきているはずなのに、一向にその気配がないんだ。引き返そうか、とも思ったそうだが、何だか意地になってしまってAさんは暗い杉林の中を歩き続けた」

 Aさんは、ずいぶんと物好きな人のように感じたが、僕たちだって、暗い部屋の中で怪談会をしているのだから大して変わらないのかもしれない。

「方角を間違えてしまったのではないかと、Aさんが焦り始めたとき、不意に杉林が途切れて、開けた場所に出た。陽の光が降り注ぐなだらかな山の斜面で、草むらの中にはところどころ小さな花が咲いていた。ほっとしたAさんが周囲を見回すと、フェンスに囲まれた場所に鉄塔がそびえ立っている。鉄塔は、Aさんが想像していたよりも大きく、よくぞこんな大きなものを山の中に立てたものだと、しばし感慨にふけったそうだ。自分の家の方角を眺めると、豆粒ほどのアパートが見えて不思議な気分になってくる。いつもアパートから眺めている鉄塔に自分は居る、この場所から双眼鏡でのぞいてみれば、もうひとりの自分がアパートに居るのではないか、そんな不思議な想いも浮かんできたそうだ」

 ふうむ、この展開だとドッペルゲンガーだろうか。

「どれぐらいその場にいたのか、気づけば太陽が傾きつつある。Aさんは、ぼんやり過ごしてしまったことに苦笑すると山を降りることにした。ただ、せっかく苦労して登ってきたのだから、もう一度よく見ておこう、そう思って鉄塔を見上げたんだ」

 そこで高瀬先輩は少し間をとった。  

「鉄塔の高いところに、何か白いものが絡まっていた。距離があるので、よくわからなかったのだが、Aさんは街から飛んできたビニール袋ではないかと思ったそうだ。ゴミをポイ捨てするとはけしからん、Aさんは街の方角をちらっと見て、再び視線を鉄塔に戻したのだが、白いビニール袋らしきものは別の場所にも絡みついていた。怪訝に思って目を凝らすと、1つ2つどころではない、鉄塔の上から下まで、至るところに白いモノがあったんだ」

 唐突に現れた怪現象に、みんなは黙って話に聞き入る。

「気味悪く思いながらも、低い位置にあるソレをよく見てみると、それはビニール袋ではなく幾重にも折り重なった紙のように見えたそうだ。はっきりした形はわからなかったそうだが、強いて言えば、しめ縄の下に取り付けられている紙垂に似ていたらしい。一体これはなんなんだと、Aさんは困惑していたが、徐々に恐ろしくなってきたそうだ。鉄塔に絡みついた白いソレは、まるで鳥のようにも見え、風もないのに揺れているように感じる。不意に、何者かの強烈な視線を感じたAさんは、先ほど登ってきた林の方へ逃げようとした。だが、先ほど通ってきた杉林にも、白いソレが鈴なりにぶら下がっていたという。逃げ道を塞がれたように感じたAさんは、誰も居ない山中で悲鳴をあげた」

 そこまで話すと、高瀬先輩は一息ついた。

「気がつくと、Aさんは電力会社の管理用通路を下っていた。行きと違って、帰りはあっという間に山の麓にたどり着いたそうだ。それから、Aさんの身に特に変わったことは起こらなかったが、アパートから鉄塔を眺めるたびに嫌な思いをしたらしい。半年後、例の鉄塔で中年の男性が首を吊って自殺しているのが発見されたそうだが、Aさんの体験と関係があるかどうかわからない。……こんなところだな」

 スティックライトの青い光がフッと消えた。残りは3本なので、まだ明るさには余裕がある。

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